第二十一幕 蝮使い

「今日、喜平次の死が正式に認められ触れが出された。ひとまずはよくやった」


 稲葉山城の中にある座敷牢。ここが現在の妙玖尼達の住まい・・・であった。本来は重要な捕虜や罪人が収監され、いつでも城主が面会できるように誂えられた専用の留置所だ。牢番は城主お抱えの小姓たちが務め、それ以外の者達は城主の許可が無ければ立ち入る事が許されない秘匿されたこの場所は、城主が重要な捕虜と内密の話をする為の設備であった。


 義龍は城主の権限で、妙玖尼と紅牙の2人が『三木良頼の密命を受けている間者であり、飛騨国の重要な情報を握っている証人』であるとして、2人の身柄をこの座敷牢へと移させたのだ。


 座敷の中は牢獄とは思えない程に整備されて畳や布団までが敷かれ、ちょっとした高級宿の一室のような様相であった。雫が皮肉交じりに『私がいる詰所より余程贅沢な部屋だぞ』と鼻を鳴らしていた。


 何と衝立の奥に専用の厠まで備わっているほどだ。雫が皮肉を言いたくなるのも分かろうというものだ。


 喜平次討伐の任務を成し遂げて城に戻ってきた妙玖尼達は、雫によってこの座敷牢へと案内され、そこで食事と傷の手当てを受けたのであった。翌日になって義龍が座敷牢を訪れた。その後ろには雫も追随している。そして彼が第一声に告げたのが上の台詞であった。



「へいへい、お褒めに与り恐悦至極でございますね。ならその手柄に免じてアタシ達を自由にしてもらえませんかねぇ?」


 座敷牢の中で胡坐を掻いた紅牙が皮肉ると、義龍ではなく彼の後ろにいる雫がスッと目を細めた。


「貴様……自分の立場が解っているのか? 口を慎め、下郎が」


「よい、雫。俺は気の強い女の方が好みなのでな」


 紅牙が胡乱な目を向けて口を開きかけた所を義龍が手を挙げて制止する。恐らくは不毛な口論で話が進まなくなるのを防ぐ目的と思われた。備え付けの床几を檻の前に置いて、そこにドカッと腰掛けた義龍は人の悪そうな笑みを浮かべる。


「喜平次如きを排除しただけではまだ足りん。忘れたか? 俺との契約はその兄の孫四郎と親父殿……斎藤道三の誅殺まで含まれている事を。むしろそれが本命だ。喜平次はお前達が本当に使える・・・かを試す試金石に過ぎん」


「……で、私達は合格・・でしょうか?」


 行儀よく畳に正座で義龍を出迎えた妙玖尼が問う。彼が来る直前まで諸肌脱ぎで傷口に包帯を巻いていたのだが、義龍が来るという触れがあって慌てて法衣を纏いなおして体裁を整えたのであった。ただ尼頭巾は外しているので、綺麗に剃り上げられた坊主頭が露出していたが。


 妙玖尼の問いに義龍は満足そうに頷いた。


「無論だ。喜平次の訃報に今頃孫四郎と親父殿は泡を喰っているに違いない。これで俺が本気だという事が向こうに伝わったはずだ。これで俺を廃嫡するなどという馬鹿な考えを引っ込めてくれれば良いが、恐らくそうはなるまいな」


 義龍は床几に座ったまま憂鬱そうに溜息をついた。何か彼等がそうしない心当たりがあるかのようだった。妙玖尼は気になっていた事を聞いてみる。


「あの……喜平次が死の間際に光秀・・という男の名を口にしていました。まるでその人物に唆されたような口ぶりでしたが……義龍様のご様子からしてその者にお心当たりが?」


「……!」


 義龍は若干驚いたように目を瞠った。だがすぐに気を取り直して顰め面になる。



「ほう……術だけでなく頭も切れるようだな。気に入ったぞ。確かに光秀という男に心当たりはある。まだ親父殿が隠居・・する前に斎藤家に仕官してきた男で、名を明智光秀・・・・・という」



「明智光秀……」


 妙玖尼は勿論、美濃国の事情に比較的詳しい紅牙も知らなかったようで首を傾げていた。


「知らぬのも無理はない。あの男は仕官以来何か目立った功績を上げた訳でもないからな。だが……俺にはあの男が敢えて・・・家中で目立たぬようにしていたと思えてならんのだ」


「…………」


「出自も定かではない、得体の知れぬ気を纏ったあの男を俺は最初から警戒していた。親父殿はあいつの何を気に入って仕官を許したのか解らなかったが……。親父殿が隠居・・すると、それに付いて鷺山城に移り、そしてそれから時を置かずして親父殿は外法に手を染め、更にはこの度の謀反・・だ。元から怪しいと睨んではいたが、お前達が聞いたという喜平次の今際の言葉で確信した。この事態の裏にあいつ……明智光秀がいるという事をな」


 義龍の懸念が本当だとすると、一体その明智光秀という男は何者なのだろうか。喜平次はろくろ首の妖怪に成り果てていた。他にも外道鬼や鉄鼠などの妖怪が屋敷を彷徨いていた。そのような力を彼等に与えたのは光秀だと仮定するなら……


(……此度の美濃国の騒動、道三だけでなくその光秀とやらも暗殺せねば終わらないかも知れませんね)


 妙玖尼はそう予感していた。



「まあ今さら斬る奴が一人か二人増えようが大した違いはないさ。その光秀って奴が怪しいようならそいつも叩き斬っちまえばいいって事だろ?」


 紅牙はあっけらかんとしたものだ。だがまあ確かにその通りではある。どうせ喜平次の暗殺によって道三勢力との全面対決は避けられないのだ。ならばその光秀とやらも倒すべき敵の一人というだけだ。


 義龍も苦笑したようだった。


「ふ……確かにその通りだな。お前らのやる事も俺のやる事も変わらん。そういう訳で次の任務は既に決まっておるが……傷の具合はどうだ? かなり痛手を負ったと聞いたが」


 義龍が若干懸念した表情を妙玖尼に向ける。当然負傷の事は雫の報告で知っているのだろう。妙玖尼は正座のまま浅くお辞儀した。


「ご心配ありがとうございます。お陰様で手厚い治療を施して頂き、また法術にも傷の回復を早める作用の術があります故、大きな障りはございませんのでご心配には及びません」


「む……そ、そうか。それは何よりだ。これからが本番だというのに使い物にならぬでは困るからな」


 義龍は一瞬安心したような顔を見せたが、すぐにそれを取り繕うように顰め面になる。



「オホン! ……次の標的は俺のすぐ下の弟、斎藤孫四郎だ。親父殿が実質的に家督・・を譲るとしている対象。孫四郎を討てば、親父殿の馬鹿げた計画は頓挫する。任務の重要性は喜平次の時とは比較にならん。本来はもう少し療養期間を与えてやっても良いのだが、時間を与えれば奴等も万全の態勢を整えてしまう。なので悪いが明日には任務を開始してもらう事になる」



「いくら高級座敷牢とはいえ牢屋暮らしには変わんないし、この境遇とおさらば出来るのが早けりゃ早いほどいいからアタシは全然構わないけど……」


 義龍と紅牙の視線が妙玖尼に向く。いくら法術で回復を早めて手厚い治療を受けたとしても、流石に昨日の今日で完治とはいかない。本来であれば最低三日は療養期間が欲しい所であったが、義龍の言うように時間を掛ければ掛けるほど敵の陣容が万全になる可能性を考えると余りゆっくりもしていられない。相手に罠を張らせる余裕を与えてはならない。


「……構いません。先程申し上げたように既に大きな障りはありません故お気遣いは無用です。任務の詳細を教えてください」


「……良い心掛けだ。次の任務にもこの雫が同行する。そして案の定、喜平次の死を知った孫四郎は屋敷を引き払って親父殿のいる鷺山城に逃げ込んだ。よって次の任務は……鷺山城に潜入し、斎藤孫四郎を暗殺する事だ」


「……!」


 間違いなく先の任務より困難であろう内容に、妙玖尼と紅牙は揃って表情を厳しくするのであった……

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