第四幕 海乱鬼の企み

 彼女・・は元々越後国(現在の新潟県)のとある武家の家に生まれた。幼い頃から活発で年頃の女子が好むようなものに興味を示さず、外を駆け回って遊び、同年代の男子とも取っ組み合いの喧嘩をし、長じてからは男のように馬術や剣術を好んだ。武家の娘らしいといえばそうなのかも知れないが、このままでは結婚にも差し支える。


 そう判断した両親や縁者達によって、他の武家の跡取りとの婚約が勝手になされた。結婚して家に入ってしまえばじゃじゃ馬娘も大人しくなるだろうと考えたのだ。


 これで許嫁の男が彼女の性質・・に理解のある人物であれば、彼女の運命・・も大きく変わっていたかもしれない。しかし婚約が決まった男は旧態依然の武家の仕来たりに凝り固まった男で、傲慢な性格をしており、女を見下し、彼女の趣味・・を一切認めようとしなかった。


 それでも皮肉な事に彼女の外見・・は、近隣のどんな家柄の娘も及ばないような、男の目を惹き付ける美貌を備えていた。……備えてしまっていた。ある意味でそれが彼女の悲劇だったのかも知れない。


 彼女の趣味嗜好には嫌悪を示しつつもその外見を気に入った許嫁の男は、彼女を強引にもの・・にしようとした。女など一度抱いてしまえば、簡単に従属させられる。その男はそう考えていた。それはこの時代の他の女・・・であれば或いは当てはまったかも知れない。だが彼女は他の女とは違っていた。


 傲慢に、そして乱暴に彼女を制圧・・しようとしてくる男に対して、彼女は懐剣を抜いて刺し殺す・・・・という形で応えた。



 初夜の凶行。当然許されるはずがない。良くて一生座敷牢、悪ければその場で手討ちにされるような犯罪行為。彼女は逃げた。その家から刀と甲冑を奪い、馬を奪って、無我夢中で駆けた。とにかくこの地から離れなければという一心で、ひたすら南方面に向かって逃げていった。


 武家の娘として生まれ、他に仕事もしたことがなく、また無一文で逃亡中であった事もあり、彼女は真っ当な職で生きていく術を知らず、生きる為に盗みや強奪を働くようになった。それまで培ってきた剣術が初めて役に立った・・・・・


 勿論犯罪が露見したり、衛兵に追われる事もあった。その場合、生き抜く為に殺し・・に手を染めざるを得なかった。彼女はいつしか悪名高い女盗賊になっていた。


 一箇所に長く留まる事ができずに、それでも無意識に生まれ故郷から離れるように転々と南へ移動していき、やがて同じような境遇の盗賊や犯罪者達と出会い、彼女に狼藉を働こうとするならず者達を自身の剣術で斬り伏せた。賊共は殆どが平民上がりの足軽や町人の落伍者であった為に、武士の剣術を収めた彼女に敵う者は誰もいなかった。そうして賊共を実力でまとめ上げている内に女頭目となった彼女は、飛騨の山中にそれなりに大きな勢力を築くまでになっていた。


 規模は大きくなったとはいえ生きる以外に目的を持たず、基本はその日暮らしの盗賊のままであった。だがある日、そんな彼女達のもとに身なりの良い、それでいて蛇のような冷酷な目をした男が現れた。男は彼女達に戦術・・と勢力を維持拡大する術を教え、烏合の衆はいつしか賊軍・・となった。そして『今』に至る。



*****



「……高山の人口は約1万5千ほど。三木氏が常駐させている兵力は多くて1000人程度という所でしょう。恐らくはもう少し少なく見積もって800程度が妥当とは思われますが」


 紅天狗砦の大広間。そこには紅牙を始めとした賊軍の主だった面子が集っており、彼等の前で作戦・・の概要を伝えているのは蛇のような目をした軍師・・、海乱鬼。


 この男が来た事によって紅牙達の山賊団は飛躍的にその勢力を増した。この男は高山の街に大規模な襲撃を計画しており、いよいよその計画が実行に移されようとしている時だった。


 だが紅牙はどうにもこの男が信用できなかった。高山の街を襲撃するのに兵力が必要なので、紅牙達に目を付けたのは間違いないだろう。だがこの男の助言によってここまで勢力が拡大したのも事実で、兵士達は既に海乱鬼を信頼している様子だった。



「800でもアタシらの4倍はいるだろ。アンタの知略は知ってるけど流石に無謀すぎないかい?」


 紅牙は消極的に懸念を呈する。別に彼女としてはそこまで大それた野心を持っている訳ではなかった。だが他の兵士達は海乱鬼の計画を聞かされてすっかりその気になって、いずれはこの飛騨国全域を支配し、三木氏に取って代わる等と嘯く者さえ現れ始めていた。


「既に計画は練ってあります。5倍の差など物の数に入りません。今回の襲撃が上手く行けば、或いは高山の街を陥落させ、占領する事さえ不可能ではないでしょう。そうなれば略奪も強姦も思いのままです」


「な……」


 他の者達はそれを聞いて歓声を上げるが、紅牙だけは唖然とした声を漏らした。この飛騨国にあっては大都市といっていい高山の街を、たった200人程度の賊軍が占領する。どう考えても現実的とは思えなかった。


「待ちな! いくらアンタの言う事でもちょっと信じられないねぇ! 調子のいい事言ってアタシらを捨て駒にする気じゃないのかい? その計画とやらの詳細を説明して納得しない限り勝手に動くことは許さないよ!」


 紅牙は強い調子で海乱鬼を牽制する。これ以上こいつの好きにさせて捨て駒にされては堪らない。元々信用ならなかった男だ。この機会に問い詰めて、ボロを出したらそれを理由に叩き斬ってやろうと決める。だが……



「ふ……そうか。どのみち既に我が計画は仕上げを残すのみだ。それほど知りたければ教えてやろう」



「……! アンタ……!」


 口調と雰囲気の変わった海乱鬼を警戒して、紅牙は刀の柄に手をかけて立ち上がる。しかし海乱鬼はその余裕を崩す事なく手を挙げる。すると……


「……っ!? お前ら、何のつもりだい!?」


 なんと周囲にいた手下達が一斉に彼女に武器を向けてきたのだ。どいつも目が異様な光を帯びて、赤く輝いていた。明らかに尋常な状態ではない。


「海乱鬼、こいつらに何をしたんだい……!?」


「ふふ、戦乱の世、ましてやその中で容易く犯罪に手を染めるならず者共は、実に我が誘惑・・に掛かりやすかったぞ? そして瘴気・・にもな!」


「……!!」


 海乱鬼の哄笑と共に、周囲の賊兵達の様子が変わる。奇怪な唸り声を上げて悶えたかと思うと肌の色が赤銅色に変わり、筋肉が異様に肥大して骨格まで変形する。犬歯が牙のように長く伸び、その額から不揃いな長さの『角』が一本生えてくる。瞳の赤い輝きは更にその光を強くする。


 数瞬の後、紅牙は身の丈が七尺(約2メートル)以上、重さが百貫(約300キロ)を超えそうな、角や牙の生えた筋骨隆々の『鬼』達に取り囲まれていた。



「人の道を外れた罪人共が更に邪気に侵される事で変じる鬼……『外道鬼』。鬼としては下級の尖兵だが、それでも一体で人間の兵士10人分には相当する戦力だ。200の兵で2000相当。高山の街を落とせると言った意味がこれで理解できたか?」



「……っ!!」


 紅牙は冷や汗を垂らしながら唇を噛み締めた。海乱鬼は最初からこれ・・が目的だったのだ。盗賊団の中に入り込み、徐々に邪気を浸透させ、彼等を『鬼』に作り替える。それを以って高山の街に攻め入るという計画だったのだ。


「鬼に変じるのは男だけ・・・。頭目が女だった事は誤算であった。故にお前の目を盗んで事を運ばねばならなかったので余計な時間を食わされたが、それもようやく終わりだ。手間を取らされた分の代償はお前の身体で払ってもらうとしようか」


「……!!」


 海乱鬼の合図で周囲の鬼共が包囲を狭めてくる。紅牙は愛用の刀を抜いて構えるが、一体で10人分の強さだという鬼共に、逆に単身で取り囲まれているのだ。正直ここから逃れられる算段さえ付かない状態だ。


(ち、ちくしょう……アタシとした事が。こんな奴の罠にハマって終わりだなんて……!)


 無念と諦念に紅牙は呻吟する。何か目的があった訳でもない。ただ生きるために生きていただけ。そんな獣のような暮らしをしてきた自分にはある意味で似合いの末路かも知れなかった。


「やれっ!!」


 彼女が半ば自分の運命を受け入れ、海乱鬼が周囲の鬼どもをけしかけようとした、その時……!



『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』



 美しい声音による、聞き慣れない言語。次の瞬間、紅牙を包囲していた外道鬼の一体が光の柱のようなものに包まれて、悶え苦しみながら焼き尽くされて消滅していった。


「……! 何者だ……!?」


 海乱鬼と鬼共の注意が、その声が聞こえてきた方に向く。紅牙も今の光で消滅した鬼が開けた包囲網の穴の先に視線を向けた。そしてその目が大きく見開かれた。


「な……あ、あんた……」


「……凡その事情は察しました。言いたい事は色々ありますが、今はまずここから脱出する事を優先しましょう」


 黒い法衣に純白の尼頭巾。その手には取り上げたはずの錫杖が握られている。それは戦利品・・・として献上され、今は地下牢に幽閉してあるはずの、あの妙玖尼みょうきゅうにという美しき尼僧であった!

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