第二幕 紅天狗砦

 飛騨国の中程、飛騨大名である三木氏のお膝元ともいえる高山の街からそう離れていない、集落と集落を結ぶ峠道。元々は大八賀峠と呼ばれていた何の変哲もない小街道であった。しかしこの峠道は最近になって『赤狩り峠』と呼ばれるようになっていた。その理由は……


 日中の『赤狩り峠』を歩く1人の尼僧・・。退魔の旅でこの地を訪れた妙玖尼である。黒いゆったりとした法衣に白い尼頭巾。手には杖代わりに錫杖を携えている。


 峠道は左右に覆い被さるように生え並ぶ木立のお陰で直射日光が和らぎ、高地である事から季節は夏であるにも関わらずそれほど暑くはなかった。しかしこの飛騨国そのものが高地にあり、ましてや表街道からは外れた峠道だけに傾斜と悪路も多く、旅慣れている妙玖尼をして歩くのには苦労させられていた。



「ふぅ……はぁ……ようやく中程ですか。我々修験僧も人の事は言えませんが、よくこのような場所を縄張り・・・にしようと思いますね」


 一人旅の中ですっかり癖になってしまった独り言で愚痴をこぼしながら、妙玖尼は悪路が続く峠道を恨めしそうに見上げる。といっても彼女もまた目的があって敢えてこの峠を歩いているので、誰に文句を言う訳にもいかなかったが。


「宿や村で聞いた情報によれば、そろそろ現れても・・・・おかしくないはずなのですが……」


 邪気を祓う退魔の使命をおびて旅する妙玖尼だが、彼女の敵は妖怪ばかりではない。無論彼女狙う敵は邪なる存在だけなのだが、彼女狙う者は何も妖怪に限った話ではないという事だ。それはつまり……


「……!」


 妙玖尼の足が止まった。目の前に3人ほどの人間の姿があった。他の旅人や通行人ではない。というよりつい先程まで前には誰も歩いていなかった。そしてその3人の男達は粗末な鎧兜を身に着け、刀や槍などを携えていた。顔の雰囲気も明らかに堅気ではない。


 彼女はチラッと後ろにも注意を向ける。いつの間にか後ろにも武装した男が2人立っていた。前後を挟まれて逃げ場がない。一瞬の出来事であった。



「よう、尼さん。こんな辺鄙な山道まで行脚とはご苦労なこったな」


「……何か御用でしょうか? 仰る通り今は修行の最中で、ただ通りかかっただけです。先へ進みたいので通して頂けますか?」


 男の1人がニタニタ笑いながら話しかけてくるのを妙玖尼は慎重に言葉を選んで返す。


「そいつは出来ねぇ相談だな。ここら一帯は俺達『紅狼衆』の縄張りだ。この道を通りたきゃ通行税・・・を払ってもらわなきゃな」


 別の男……いや、が素性を明かす。付近の村で聞いた通りだ。紅狼衆は賊としてはそれなりに規模が大きい集団らしく、大名である三木氏を始め周辺豪族たちも手を焼いているらしい。 


 勿論飛騨の大名たちが一丸となって討伐に乗り出せば、殲滅する事は可能だろう。だがこの戦乱の世で周辺国との戦どころか国内の豪族同士でも小競り合いが起きるような世情では、賊討伐のためだけに大規模な討伐軍を編成する事など不可能だ。


 それに飛騨山脈は広い。紅狼衆の本拠がどこにあるかは判然としておらず、討伐となったらこの広い山脈を山狩りしなければならず現実的ではない。そのような背景で賊共は増々調子に乗って、このような街からさほど離れていない峠道にまで出没するようになっていた。



「通行税……ですか? 関所の類いは見当たりませんでしたが。それにここは朝廷から承認を受けた三木氏の領地であり、あなた方に徴税を行う権利はないはずです」


「ああ? 舐めてんのか、この尼! 三木なんざ関係ねぇ! ここはもう俺達の領土・・なんだよ! いずれこの飛騨全体がそうなるさ!」


「このような山奥に獣同然に隠れ潜んで無力な旅人を襲うしか能のない方々が、随分ご自身を過大評価していらっしゃるのですね? 妄想に浸るのは自由ですが、行脚の邪魔なので通して頂けませんか?」


「……っ! この尼、もう容赦しねぇ!」


 尼僧から痛烈に皮肉られた男達が顔を真っ赤にして武器を向けてきた。


(ふむ……相手は5人。大した腕ではないようですし返り討ちにする事は出来ますが、それでは彼等の根城・・が解りませんね。恐らくそこ・・に『瘴気溜まり』があるはず。倒してから無理に案内させると騙されたり逃げられたリする可能性もありますし……)


 妙玖尼が内心でどうしてものか思案していると、それを恐怖しているのだと勘違いした男達が囃し立てる。


「ひゅうっ! おい、見ろよ! この尼、よく見るとエラい別嬪だぜ!」


「ほぉ!? 本当だな! 尼ってのはツルッパゲだからイマイチ食指が動かねぇと思ってたが……こんだけ別嬪なら話は別だな」


 賊共の顔が如実に好色な光を帯びる。妙玖尼は内心で舌打ちした。やはり賊などこのような低劣で低俗な者達ばかりだ。流石にこんな奴等に自分の身体を好きにさせる気はないので、この連中は打ちのめす事にした。最善の方法ではないが、根城にはこの中の誰かに案内させるしかないだろう。


 そう方針を決めた彼女は錫杖を構えようとする。だがその寸前に……



「おい、待て! 女……それもこんな上玉に勝手に手を付けると、お頭・・の怒りを買っちまうぞ!」



「……!」


 賊の1人が言った言葉に他の賊たちの動きが止まる。


「だ、黙ってやっちまえばバレねぇだろ」


「いや、お頭の嗅覚・・は相当なモンだから絶対バレるぜ。それだったらこのまま献上・・した方が俺達も『ご褒美』がもらえるはずだ」


「……!!」


 ご褒美という単語に反応する賊たち。少し雲行きが変わってきたようだ。妙玖尼は余計な口を挟まずに成り行きを見守る。


「そういう事なら……このままお頭の元まで連れてく方が無難か?」


「まあ惜しいがな。それに験を担ぐ訳じゃねぇが、尼を無理やりってのはどうも縁起が悪くて落ち着かねぇしな」


 既に外道に手を染めているだろう賊が縁起を担ぐのも妙な話だが、人々の心の奥に根付いた神仏の影響というものは意外と馬鹿にならない。とりあえず妙玖尼はは捕らえてその『お頭』とやらの元まで連れて行く事に決まったようだ。


 彼女としては願ってもない展開だ。お頭とやらがいるのは間違いなく紅狼衆の本拠地だろう。即ち現在の彼女の目的地だ。



「そういう訳だ。これからお前をお頭の元まで連れて行く。俺達に乱暴されたくなきゃ大人しくしてろよ? 抵抗したらどうなるか保証はできねぇからな」


「……解りました。好きにすると良いでしょう」


 渋々従う振り・・をして錫杖を下ろす妙玖尼。賊の1人が錫杖を取り上げ、彼女に縄をかける。後は極力男達を刺激せずに根城まで連れて行ってもらうだけだ。


「よし、他に通行人はいないようだ。一旦引き上げるぞ」


 撤収する男達に引っ立てられながら、妙玖尼も紅狼衆の根城に向かって歩き出していった。




 深い森の中を、そこに住んでいる者達にしか分からないような獣道が縦横に走っていた。妙玖尼を引っ立てている賊達はそれを器用に見分けて山中を進んでいく。妙玖尼は既に方向感覚を狂わされて、自分が今どの方角を向いてどの方向に歩いているのかも解らなくなっていた。


(これは……確かに山に逃げ込まれたら討伐は難しいでしょうね。私も無事に瘴気溜まりを祓えたとして、麓まで帰り着けるのでしょうか……?)


 瘴気を祓えても、帰りに山の中で遭難というのでは笑い話にもならない。使命とは関係ない部分で不安がよぎるが……


「へっへっへ……さっきまでの強気な態度はどうしたよ、尼さん?」


 すると彼女の態度を勘違いしたらしい賊の1人が下卑た笑いを浮かべて揶揄してくる。否定する理由は全くないので、不自然にならないように顔を背けて返答を拒否する妙玖尼。それを都合よく解釈した賊の笑みが深くなる。


「へへへ、まあ安心しろよ。お頭は女には優しい・・・からな。ただし……自分の気に入った・・・・・女に対してだけだけどな。精々お頭に気に入られるように頑張るこったな。そうすりゃ長生きできるぜ」


「…………」


 山賊の頭目など、この連中に輪をかけた人間のクズに違いない。妙玖尼は仏門の徒ではあるが、極端な博愛主義者という訳では無い。自分が食い詰めたからといって無辜の人々を脅かす犯罪者たちには嫌悪と軽蔑しか感じなかった。



 それからどれくらい山の中を歩いただろうか。時間の感覚は既に無くなっていたが、1刻ほどは歩いたかもしれない。


「ほら、着いたぜ。ここが俺達の根城、紅天狗べにてんぐ砦だ」


「……!」


 森の木々が途切れ急に視界が開ける。その先に広がっている光景を見て妙玖尼は若干だが目を瞠った。どうやら元は打ち捨てられた廃村であったらしい。しかし今、ある意味でその村は再建・・されていた。それもかつての村とは比較にならないような規模でだ。


 防衛というよりは周囲の木々の侵食を抑える役割の方が大きいであろう、材木や石を積み上げて作られた防壁の内側には大小様々な建物の姿が確認できた。その中でも特に目立つ建物が村の中央に屹立している。


 外壁や装飾の所々を朱で塗り上げた無骨で巨大な建物は、紛うことなく『砦』と呼べる規模の建築物であった。屋根の上にはやはり朱色に塗られた悪趣味な天狗像が据え付けられているのが特徴的だ。


 確認するまでもない。あれが『紅天狗砦』とやらで、間違いなくあそこが頭目の居城であろう。それは村というより小規模な山城とでも言うべき施設であった。


(こんな山奥にこんな規模の根城を築くとは……紅狼衆とやら案外侮れない集団かも知れませんね。或いはここにあるはずの『瘴気溜まり』が関係しているのでしょうか?)


 邪気は妖怪を始めとした人ならざる者共を呼び寄せる。邪気が更に凝り固まり目に見える・・・・・ほどに濃くなると『瘴気』となる。瘴気の元には必ずより強力な妖怪、もしくは鬼がいるはずだ。強力な妖怪は力だけでなく奸智にも長ける存在が多い。そういった者が手を貸していれば、紅狼衆がここまで勢力を増したのも頷ける。


(或いは……その頭目とやら自身が人外の存在という可能性もありますね)


 どのみち今ここで考えても分からない事だ。虎の子を得るためには虎の穴に入らなくてはならない。



「ほら、さっさと進め」


 賊に背中を押されて歩かされる。妙玖尼は極力不自然にならない範囲で防壁に囲まれた砦の内部を観察する。同じような賊と思しき無法者達がそこら中で屯したり、巡回したりしている。パッと見ただけで数十人ほどはいそうだ。防壁上には弓を持った見張りの姿も見受けられる。


 しかし賊だけでなく、明らかに攫われてきたと思しき人々の姿もあった。男も女もいる。どちらも奴隷として働かされているようで、男は鍛冶や普請などの力仕事を主にさせられており、女は炊事や掃除、洗い物などの仕事をさせられているようだ。


 やがて妙玖尼の予想どおり、あの巨大な『紅天狗砦』の前に連れてこられた。砦の前は広い敷地となっており、そこには警備と思しき賊兵の姿が並んでいた。


「赤狩り峠班だ。見ての通り上玉を捕まえた。お頭に献上したい」


「上玉だと? だがそいつは尼だろ?」


 賊の1人が警備兵に声をかけると、そのうちの1人が妙玖尼の顔を覗き込んできた。そしてすぐにその目が興味深げに見開かれた。


「ほぅ、なるほど。こりゃ確かに上玉だ。尼でもこれくらい別嬪だったら充分お頭の眼鏡に適いそうだな」


 納得したように頷いた警備兵が砦の中に走っていく。恐らく頭目への取り次ぎだろう。そう待つ事もなく、警備兵が1人の人物を伴って出てきた。


「……!?」


 その人物を見た妙玖尼は驚きに目を瞠る事となった。



「へぇ……大した女じゃなかったら、連れてきた奴等をぶった斬ってやろうかと思ってたけど……こりゃ中々上物じゃないのさ。尼なんぞにしとくのは惜しいねぇ」



 その女性・・は跪かされている妙玖尼を品定めするように見回してから満足気に笑った。そう……それは明らかに女性であった。しかも無造作に後ろに垂らされた長い髪は艶を帯び、今は悪意に歪められているその面貌もかなり整った造作である事が分かる、自身こそ上物・・と言っていい年若い美女であったのだ。


 女性にしては背が高いが、それでも一般男性の平均程度だ。下帯だけの素肌に直接紅い甲冑類を身に着けており、その程よく鍛えられ引き締まった肢体が惜しげもなく晒されていた。上腕部や腹部、それに太腿などが大胆に露出されていて、手下の男達の好色な視線を集めているが本人は気にした様子もない。


 足袋たびも履いておらず、草鞋わらじから素足が露出していた。腰鎧にはやはり朱色の鞘が目立つ刀を挿している。


 色々な意味で妙玖尼とは対照的な女性であった。その美女頭目が近づいてきて妙玖尼の顎に手をかけて覗き込んでくる。


「……っ」


「アタシが紅狼衆の頭目、『武士殺し』の紅牙べにきばだ。アタシの城、紅天狗砦にようこそ。歓迎するよ、美人の尼さん!」


 美女頭目――紅牙は野性的な笑みを浮かべて、彼女の姿に目を奪われている妙玖尼を機嫌良さそうに見下ろすのだった……

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