13
食堂から戻ってきた結花は、机でふて寝を始めた。
みんな意地悪ばっか。だーれも話しかけてくれないし、冷たいし。
そんなにゆいちゃんのこと嫌いなの?
誰も相手してくれないのは辛い。
挨拶して、はい終了。そこから先話が進むことはない。
毎日怒られてばかりで。
話し方がダメだとか、態度が悪いとか、マイナスことしか言われない。
誰も可愛いって言ってくれない。
ずっと武器である見た目で、なんでもかんでも甘やかしてくれた。
前にスーパーで働いてたときに痛感した。
でも環境変えれば、事情を知らない人の下で働けば、甘やかしてくれるかと思ってた。
そうはいかなかった。
トップが中学時代の同級生だから。
いちいち過去のことをやいのやいの言ってきてウザイ。
怒られても、泣いていたら、相手に罪悪感を植えてつけて許して貰ってた。
私のファンの人が「可愛いゆいちゃんを泣かせるなんて!」って、止めてくれてたのに。
今はだれもそういう人がいない。
注意されて泣いたら、社長は不愉快そうに、面倒くさそうな顔を向ける。
丸岡も「顔を洗って頭冷やしてください」と言うだけ。
みんなそんなに私のこと嫌いなの?
だからよそよそしくて冷たいの?
野澤くんに連絡先教えてもらえなかったし。
まじぼっちじゃん?! 誰も必要最低限しか話しかけられないって嫌。
少し砕けた口調で話そうものなら、社長に怒られるし。
同級生だからいいじゃん。なんで? 昔のよしみでさ。
結花は丸岡の顔を一瞥した。
スマホアプリで娘とやりとりして、破顔していた。
「丸岡さん、何笑ってるの?」
結花に声をかけられ「あ、いや、その……ま、孫の動画が可愛くって……」と、急に声が高くなった。
ほら、見て可愛いでしょ?
娘のとこの子供よ。1歳の男の子なんだけど、可愛いわぁ。
あとね、息子の所にも同い年の女の子の孫がいるけど、どっちも可愛いの。
娘夫婦の間に生まれた子供の動画が送られてきた。
手を叩いて喜んでいる姿だ。撮影者は娘。
彼女のスマホのロック画面は孫2人だ。
息子と娘夫婦の間に同い年の孫(1歳)がそれぞれいるので、毎回送られてくる写真や動画を楽しみにしている。
普段厳しい丸岡が、明るい口調で孫のことを話すので、結花は口を挟む隙がなかった。
「あー、丸岡さんとこお孫さん去年だっけ? 生まれたの?」
浅沼が話に入ってきた。
「うん、そうです。娘のとこが4月で、息子のとこが8月なんです。2人ともかわいくってねぇ」
「目に入れても痛くないぐらいなんですね」
「当然ですよ。うちの主人もすっかり孫バカになっちゃって。次会うのが楽しみ」
てかあのオバさん、孫いたの?
行き遅れのオバさんだと思ってたけど、そうでもないのね。
結花は起き上がって、丸岡と浅沼の話に耳を傾けた。
聞いているうちに、結花は下にうつむいた。
「呉松さんどうした?」
「あ、いや、孫か……って。私も、いつか娘に会えないかなって」
いつ連絡しても無視される。最後に会ったのはいつ? そうだ、5年前。
当時中2だった娘は大学生?
今大学に行ってるどころか、安否すら教えてくれない。
元夫の安否も知らない。
知ってそうな父や兄に聞きたいけど、他人だからと捨てられ、音信不通に。
そうだ、実家がもうないんだ。
父と兄と姉とは血がつながってないから。
実家にいれたのは、唯一血がつながってる母が存命していたから、呉松家の当主だったから。
でも兄に代わってから、母の立場は弱くなり、最終的に追い出されるかのように、老人ホームで亡くなった。
母が亡くなってからまるで、これ幸いと言わんばかりに私も追い出され、ここにいる。
ここでも実家でももう居場所がないんだ。
「このまま、一生娘と連絡とれないままなんですかね……結婚も孫の有無も知らないまま……」
「それはなんとも言えませんね。ただ聞いてる限りでは何年も会ってないのなら、連絡先変わってるかもしれませんし、難しいと思いますよ」
「うん。それはあると思う。あと、今の態度だと、娘さんますます軽蔑すると思う。まずは勤務態度や言葉遣いをきちんとして、変わった自分を見せられるようにしないと」
正直一生無理だろう。
たとえ、これから頑張って勤務態度や言葉遣いを改めたどころで、過去のことを引き合いにして、信用されないだろう。
1度失った信頼や評判を取り戻すのは、非常に難しい。
特に彼女のようなタイプは尚更。
お互い会わない方が幸せだ。
彼女の兄に近況を教えてるし、娘の近況も知っている。でも口止めするように言われているから、言わないだけだ。
「ううぅー……」
ぐうの音も出ないことを言われ、結花は黙り込んだ。
「とにかくこれからコツコツ努力するしかありません。まずは、電話の受け答えの練習からもう一度練習しましょう」
浅沼と丸岡から、しゃべり方が幼すぎるとか、ため口はダメと厳しい指導が飛ぶ。
一通り出来るようになった頃には、終業の1時間前だった。
「はい、社長室です。総務の吉原さんですね。ただいま社長は不在でして、ご用件は……」
吉原からかかってきた要件をメモしながら、復唱していく。
「はい、今から荷物運んでくるということですね。承知しました。では、よろしくお願いします」
吉原が切ったのを確認して、結花は静かに受話器を置いた。
「凄いじゃん! 呉松さん、今の調子!」
淀みなく内線電話を受け答えた結花に、丸岡と浅沼が拍手する。
「あー、緊張した……なんで、電話なの……」
結花の顔に疲労が出ていた。
業務のやりとりなんて、メールとかチャットでいいじゃん。
「電話が面倒な気持ち分かるけど、まだ必要な所が多いからね。それにこれからはオンラインでのやりとりも増えていくだろうから、他の人とのやりとりがスムーズに出来るようになるのに、まずは電話からだよ。チャットでちゃっちゃっと出来たらいいけど、いつも目に通してるとは限らないからね」
「でも、よく頑張ったから、この調子。はい、ご褒美のチョコレート」
丸岡は机から個包装されたチョコレート菓子を、結花と浅沼に渡した。
「あ、来たね」
浅沼は、廊下から聞こえる台車の音に反応して、ドアを開けにいった。
「吉岡です。段ボールの仕分け終わったんで、持ってきました」
「すまないね。ここに置いてていいから」
よっこいしょと吉岡は入り口近くに段ボール2つ置いていった。
「社長、ちょっといいですか?」
吉岡は浅沼を手招きして「今の電話って……」と耳打ちした。
「うん、呉松さん本人だよ? 本人に聞いてごらん」
吉岡は結花が座ってる席にやってきて「おー、元気か?」と調子の言い口調で尋ねた。
元同僚の口調が結花が知っているものではないので、目を丸くした。
「あ、はい……おかげ様で……」
「さっき電話でたの、呉松さんだって? すげーな。なんっていうかな、すらすら言えててさ、正直誰かと思ったよ。びっくりした。この調子で頑張ってな」
結花は吉岡に頑張ってと言われ「あ、ありがとうございます」とぎこちなく返事をした。
「ちゃんとお礼も言えてるじゃん。やっぱりお嬢さんはそうでなきゃ」
「じゃぁ、また来ます」と吉岡は台車を持って帰り、社長室を後にした。
あれ? 今褒められてた?
電話だけなのに?
首をかしげる結花に「良かったですね。この調子です。吉岡さんも驚かれてましたね。仕事のことで褒められたんですよ」と浅沼に言われて納得出来た。
結花の頬が少しほころぶ。
「私、ずっと思ってたんですけどね、呉松さん、多分見た目以外で、褒められたことがなかったんじゃない?」
それか褒める要素が見た目しかなかったから。
「えっと、そうですかね?」
そういえば、前も似たようなことを言われたようなと思い出す。
スーパーで働いていた時に、教育係的な人に。
最初は色々言われて嫌なやつだと思っていたけど、休憩時間の時は優しかった。
あれができた、これが出来るようになったと見つけてくれては褒めてくれた。
元気にされてるだろうかとふと思い出す。
「確かに一理ある。お兄さんとお姉さんが優秀だったからねぇ」
「うん。そうかもしれない」
周りの人はいっつも見た目だけコメントしていた。
小学校の頃に、同級生で困ってる人を助けても、絵で頑張っても、兄と姉に追いつけるように勉強を頑張っても、誰も褒めなかった。
アピールしても気づいてくれなかったり、特に触れられることなかった。
容姿端麗文武両道を求められている感じだった。
母はいつも可愛いねしか言わない。
学校で頑張っても、勉強はできなくたっていいのよ。何も出来なくたっていいのよ。お姫様だからみんなが手伝ってくれる。
そんなに可愛いというなら、芸能界に入れてよって言ったことがある。
母は『ゆいちゃんは可愛いから嫉妬でいじめられちゃうからダメ』と。
別に芸能界だけでなかったけど。
仕事せず、誰かに養われて、傅かれるような生活が合ってるといつも言っていた。
いつしか、他人に親切したり、努力するのも嫌になった。兄と姉を引き合いにされるのも嫌になった。
誰も見てくれないから。
それなら見た目を武器にして、注目された方がマシだと思うようになった。
「ある意味、呉松さんも"被害者"かもね。元凶はお母さん。いつもお姫様扱いさせてたのって、呉松さんが自立されるのが嫌だったんじゃない? しっかりされるのが嫌みたいな。”お母さんがいないと、何もできないお姫様"でいてほしい的な? 呉松さんは無意識に”お母さんの呪縛”にとらわれてる」
「母の呪縛、ですか?」
丸岡の話にオウム返しする。
「そう。お母さんに支配されてたって言えばいいのかな」
「……確かに少し分かります。母が当主だったので。誰も逆らえない雰囲気ありました」
学校で問題起こして父に怒られて納得してたら、母は『ゆいちゃんが可哀想。被害者よ』と横から入って、父と母で言い合いになった。
自分の部屋の掃除も、プライベートだからいいよと言っても、母は『お手伝いさんにさせればいい』『お母さんがやるから』とやっていた。
兄と姉の部屋も母がやりたがってたけど、2人は頑なに拒否していたと思う。
「本来なら将来に向けて、出来るようになるものだけど、お母さんが全部阻止してたんじゃない? 他人にやらせとけばいいみたいな。それが染みついてたんでしょう。自立って、全部自分で出来るようになるんじゃなくって、必要な時に助けを求める力も入るんです。それすら教わってなかった。悪いとこは悪い、いいと思ったとこは褒められることなく生きてきた。全部お母さんが尻拭いしていたから」
「結果、今では"自称お姫様"の痛いオバさんのできあがりと。こっちとしてはたまったもんじゃないな」
「社長、言い過ぎです」
浅沼の辛辣な言葉に丸岡が止める。
「家族に見切られたんでしょう? 気づくのは遅かったけど、これから"自立"すればいい。分からないことは調べたり、相談する。そして真面目に仕事する。そしたら、もしかすると周りの目は変わるかもしれない。家族に会えるかもしれない。変わった自分を見せるためにも、今から努力するんです。しょうもないプライドを捨てて、現実に向き合う」
はいと静かに頷いた結花。
「やり直そうとするのはいいけど、真面目は当たり前のことです。あなたはただでさえ前科が沢山ある。被害者がいる。信用されようとか、
バインダーを渡され、データ打ちを頼まれた結花は「いつまでですか?」と尋ねた。
「今週中に。できるだけ早く。あぁ、あとゴミ捨てもやってくれないか? これは今日中に」
あれこれ言いつけられる結花は「無理です!」と、顔を曇らせた。
丸岡が手伝いますよといった瞬間、浅沼は「呉松さんを甘やかさないで」と切り捨てた。
「いいか? 呉松さんはここにいさせてやってるんだから。仕事を選べる立場だと思ってる? 烏滸がましいね。それならやめるか? ここやめたって借金あるんだし、前科のある君に雇ってくれる物好きないと思うよ。ましてこの年でなーんもキャリアないんだからさ。短期間で仕事やめたという過去が残るだけ。それとも、ホームレスになりたいかい?」
浅沼は口角をあげて結花を追い詰める。
ホームレスなんて嫌だ。また知らない子達に動画でつるし上げされちゃう。
悪い意味で有名になってしまったし、働き口なんてないと思う。そもそも働きたくないから結婚したんだし。
でも現実を受け入れないと。ここは無理してでも言うこと聞かないと。
結花は「分かりました」と浅沼の顔色を伺うように、弱気で答えた。
浅沼は満足げに頭を上下した。
それから、結花は浅沼に毎日あれこれ言いつけられては、あれが出来てない、書類の日本語がおかしいだ、にらみ付けてるような態度で気に入らないと、難癖をつけられる日々を送っていた。
浅沼から嫌味を言われるが、丸岡は出来たら出耒たら褒めていた。
浅沼が結花を褒めていたのは丸岡がいる手前であり、2人きりになれば、中学時代の仕返しと言わんばかりに嫌味や難癖をつけられ、結花は精神的に疲弊しだしていた。
顔色も悪く、寮に帰っても話相手が全然いないので、はけ口がなかった。
しかも浅沼に言われたことを思い出して、泣きそうになったり、寝れない日々が続く。
精神科のお世話になりはじめていた。
あれこれ薬を処方され、業務の合間を縫っては、服用してやり続けていた。
結花が借金を返し終わったのは、50代半ばだった。
返済後、浅沼から体よく退職を言われ、住む所が浅沼工場からほど近い安アパートになった。
やっと自由になった結花はすぐにスマホを普通タイプに変えた。
とはいえ、生活に余裕があるとは言えず、毎日もやしや納豆とか、毎食1品ずつ。
当然スキンケア商品にお金をかけられるはずもなく、髪はボサボサ、悪い意味での年齢不詳になってしまった。
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