6
担任の赤澤に呼ばれた陽鞠は緊張感で体が強ばっていた。
教室は窓が開けられて換気しているため、少し寒い。
対面でとなると、自分は何かやらかしたんじゃないかとヒヤヒヤする。
呼吸を整えて、陽鞠は担任と向かい合う。
「ごめんなさい。急に呼んじゃって」
ビジネス用のスタイルの赤澤は少し着込んでいる。
「あ、あの、私、何かやらかしましたか?! ごめんなさい、ごめんなさい……」
反射的に先手必勝するかのように頭を下げる。
「いや、違うの。依田さんが悪い話じゃない。お父さんが倒れたって話を聞いたから、心配で」
いつも挑戦的な口調で接してくる赤澤が今は穏やかに尋ねるので、陽鞠としては不安でならなかった。
何か裏があるはずと無意識に身構える。
「父は、無理が祟って倒れました。数日程入院して、今よそに住んでます。そして私も叔父の家にいます」
「えっ、じゃぁ、今日叔父さんの家から来たってこと?!」
赤澤は目を大きくして聞き返す。
「はい。そうなります。叔父と私の意向です。父は母のわがままに振り回されてきた結果、倒れてしまったんです」
陽鞠は父が倒れたこと、日常の生活をポツポツ話す。
今までこのように赤澤の前で話したことがない。
聞いてくれるとは思ってなかったから。
「――相変わらずね。呉松結花さん。まあ、そんなことだろうと思ってたわ。陽鞠さんもお父さんもよく頑張って来たね」
陽鞠は思わず涙を拭こうとティッシュを取り出す。
「あの人はね、昔っからあんな感じ。だから友達はいない。あ、世話係的な感じで従姉妹がいたね。あなたのおばあさんからずっと一緒にいるように言われて、志望校変えたっていつだったか言ってたの」
「望海おばさんですね」
「そう。でね、結花さんは自分が可愛い可愛いと日頃から言ってて、確かに男子にはモテてた。でも、彼氏を取っかえ引っ変えしてたね。なんというか、人のもの欲しがるのかな、私の彼氏や私たちのかつての担任の婚約者と揉めたの」
あー、うちの母ならやりかねないなと想像できる自分が嫌だ。
担任の先生の婚約者と揉めるとは……噂で聞いてたのは本当だったのか。
「待ってください、それは……」
やばいよと言いかけるのを察したのか、赤澤は続ける。
「たとえあなたのお母さん側が担任の先生に好意持ってても、お互い同意の上でも捕まるよ。フィクションの世界では先生と生徒の恋愛関係が美しく描かれてるけど、現実はそんなに甘くない。捕まるのは先生なんだから」
「そうなんですね……お互い同意でもだめは初めて知りました。担任の先生は断らなかったんですか?」
「……うーん、まあ、あなたのお母さんの性格だからねぇ。男性ウケいいタイプ。最初、先生は断ってたけど、強引に彼女が迫ってきたこと、彼女のお母さんがやたら後押ししてたことで関係出来てた」
当時結花と彼女の担任とのデート姿を目撃されていた。
呉松家に家庭訪問と称して、家に上がり込んでいた。
また結花が先生との写真を同級生に見せ回っていたので、すぐに広まった。
「母の担任とその婚約者は今夫婦なんですよね?」
「ええ。あの時――中2のときかな。学校で問題になって……学年集会沙汰。私も他の同級生達も学年主任や生徒指導の先生から、知ってる限りのことや見たことをアンケートで書けって言われた。結局先生は飛ばされて、あなたのお母さんとこの家族が、婚約者のもとにお金払って解決」
「では、赤澤先生の彼氏の件は? それに、吹部の浅沼さんとこのお父さんも母にいじめられてたって聞きました」
赤澤は自分の中学時代の恋愛について語った。
彼女に彼氏ができたのは、中学1年の冬休みのとき。
男子バレー部の1つ上の先輩である
当時赤澤は女子バレーに入っており、男女合同で練習する機会が多かった。
一緒に練習していくうちに、赤澤は高井と親しくなり気づいたらオフでも遊ぶ仲となった。
2人の仲を邪魔をしたのが結花だった。
中学に入った段階で結花は彼女がいる先輩達にちょっかいをかけて、トラブルになったのが3件。
赤澤も噂で聞いてた程度だったので、気にしてなかったが、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもなかった。
女子バレー部では高井と赤澤の関係を知っている人も少なくなった。
中1の春休みぐらいから、結花が堂々と男子バレー部の練習の邪魔をしにきていた。
そのターゲットが高井含む数人の部員だった。
女子バレー部と合同の練習会だろうがお構い無しだ。いや、その日を狙ってやっていた。
差し入れと称して手作り弁当を持ってくる、ベタベタ触ってくる、彼女と付き合ってるのが分かれば、悪口を引き出そうとする。
ちなみに結花はバレー部の部員でもないし、部活にすら入ってなかった。
雑用を手伝ってくれる訳でもなく、邪魔をするので、顧問や結花が苦手な人達にとっては、練習に支障をきたす存在に過ぎなかった。
高井も結花に押されてついオフの日にデートする関係になってしまった。挙句の果てには、春休みのオフの日、赤澤とデートすることになっていたが、他の男子バレー部員達と結花でパーティをやっていた。
赤澤はそのパーティに参加した男子から高井と結花がいちゃついてるのを聞いて、とうとう2人と揉めた。
話し合いしたのは練習で使ってる体育館。
男女バレー部全員がミーティングと称して結花を呼んだ。顧問も来た上でだ。
高井の言い分は「雰囲気に押されて」「他の男子達もいるから油断してしまった」と反省していた。
結花は「高井くん1人じゃないし、他の男子達もいたから別に良いでしょ。器狭い彼女ね」とせせら笑っていた。
――赤澤さんって真面目すぎてさぁ、ウザイんだよねぇ。そりゃ高井先輩も逃げるよ。とっとと首切って死ねばぁ? ゆいちゃんなら甘やかすからねっ!
――他の女子もさぁ、可愛くないのよねぇ。芋臭いし、ブスばっかで。こんな人と付き合ってる彼氏達可哀想。ゆいちゃんは世界一可愛いし、金持ちだから、幸せに出来るよ!
結花の言い分に赤澤はじめ、男女バレー部の顧問達も空いた口が塞がらなかった。
言い過ぎだとか、酷すぎると部員達が口々で言う中、結花は怯むことなく、だからこのままバレー部に顔出しするねと意気揚々と宣言した。
顧問達は結花がいることで、練習に支障きたし始めてること、新入生に結花がちょっかいかけたことで体験入部を遠慮してる子が出てること、部員達がギスギスしているので、呉松結花にバレー部出禁にすると宣言した。
結花を出禁にして以来、男女バレー部では暗黙の了解のように部員同士、他の部活とでも恋愛禁止になった。
他に吹奏楽部、野球部、サッカー部で結花による同様のトラブルが起きた為同じ措置を取った。
それはいまでも続いている。
「だから吹部も恋愛禁止なんですね……諸悪の根源は母ですか……」
陽鞠は納得出来たのと同時に絶望と呆れがわき出た。
ただの暗黙の了解で恋愛禁止じゃなくて、母の身勝手さやワガママで、人間関係崩壊させたり、部活に影響を出していた。
これがいま自分の代迄来ているし、その前の先輩方も納得本当の理由を知らないままやってきたのだろう。
母は後輩達から恨まれる立場だ。
「あなたのお母さん、陰でなんて呼ばれてたか知ってる?」
陽鞠は頭を横に降った。
「“トラブルメーカー楊貴妃”ってね。知ってる? 楊貴妃って、世界三大美女に入る中国のお姫様。あと”
陽鞠は思わず吹き出した。
「そ、そんなあだ名あったんですか。楊貴妃やマリーアントワネットに失礼だと思います……」
歴史人物をもじったようなあだ名で呼ばれてたとは。確かに間違ってはないと思うけど、彼女達もうちの母のような人間と一緒にされたらたまったもんじゃないと思う。
個人的にはサークルクラッシャー呉松が一番似合うと思う。
「そうね。あれ考えたの誰だったかな。男子が勝手に呼んでたのが広まったの。ああいうの最初に思いつく人はスゴいと思う」
「赤澤先生の話聞いて、やっぱり母は昔からあんな感じだったのがよく分かりました。メンタルが中学生。娘の私ですらこんな人同級生でいたら嫌ですし、関わりたくないと思います」
担任が自分に当たりキツイのは無理もないだろう。
かつて付き合ってた男子と浮気した人の娘が、目の前にいる。それが重なって見えるのかもしれない。
「あと、浅沼さんのお父さんの件は、あなたのお母さんがいじめてたの」
陽鞠の目が剣呑になる。
いつも昔いじめられてたと話していた母。
祖母からも繰り返し聞いている。
「浅沼さんのお父さんって、小さい頃に大きな病気して、歩き方が少しおぼつかないの。でもね、トランペットの腕が凄くってね、吹奏楽部の花形だった」
普段は杖をつきながら歩いていて、体育は基本見学。
しかし勉強で努力したきたタイプで、学年でも上の成績をキープしていた。
「あなたのお母さんは浅沼さんのお父さんが歩くのに、杖が必要であることを分かった上で、隠したり、窓から投げたりね。かと言って浅沼くんは、あなたのお母さんに怒ったり、手を出すことはなかった。彼は人望があったから生徒会の副会長になったの。そういうのあるからな、あなたのお母さんは、自分より目立つことやチヤホヤされるのが男女誰であろうと気に入らなかったんだろうね」
智景の父は生徒会引退後、結花による嫌がらせで精神的にダメージが来たのか、1ヶ月近く学校に来なかった。
「あなたのお母さんは浅沼くんを不登校に追い込んだと自慢してたけど、皆全然聞きやしなかった。むしろ軽蔑されてた。それを理解してないのか、彼女はますます悲劇のヒロインになってたよ。学校じゃむりだから、他所の学校の男子と遊び回ってたの。受験なのに。それでもって、
雲雀女学院はこの辺でも指折りの名門校。
春の台中学の先輩で行ったのは毎年片手で数えられるほどで、入るのが難しい。
中学時代優等生ポジションが最低ラインで、それ以外にボランティアとか何かで賞を取ったとか求められる。
母のタイプはまず無理。一方であるクラスだけお金積めばいけると言われている。多分そこに入ってたと思う。
そこは裕福だけど中学時代問題起こして入るとこないとか、実力的に無理だが、雲雀女学院という箔が欲しいための人が入るクラス。
しかも校則がそれなりに厳しい。母のことなので、多分問題起こしてもお咎めなしだったんだろう。
同級生を不登校に追い込んで、のうのうと贅沢三昧をしている母。その様子をブログやSNSに載せている。
ちかの父が母にいじめられてるのにも関わらず、母の姿を見たら腹立たしさが沸くのは無理もないと思う。
仮に母または私が母の代わりに謝ったって、ちかの父の心の傷は癒えないし、自己満足に過ぎない。
呉松結花の娘というだけで、遠巻きにされるのも、私が辛く当たられるのも、仕方ないの?
私は私。母と一緒にしないで!
「依田さん、あなたのお母さんがやったことはゆるされるものではない。いくら陽鞠さんは関係ないとはいえ、やられた方は呉松結花のムスメというだけで、”親の因果が子に報いる”を願ってる人も少なからずいる。それだけあなたのお母さんは良くも悪くも地元で有名なのよ。後輩たちに影響与えた意味で」
「それって、私は大人しく親の因果応報を受けなさいと言ってるようなものじゃないですか。じゃぁ、私はどうすればいいんですか?! 私に母のやらかしなんて関係ないですよね?! 先生も結局、母に恨みあるから、私に辛く当たるのを正当化してるだけですよね?!」
陽鞠は強く机を叩いた。
赤澤は一瞬怯んだが「やっばりそういうとこ、お母さんに似てるねぇ」と口角を釣り上げた。
「あんなのと一緒にしないでください」
さらに強く言い切るが「いや、その感情的な所がよく似てる。ムキになるところも」と煽る。
赤澤の口調はまるで子どもを揶揄うような楽しみ方だった。
いやだと言ってるのにも関わらず、わざと地雷を踏んでいくスタイル。
陽鞠の顔は泣き始めそうなぐらい顔が真っ赤で、赤澤を直視できる状況ではなかった。
「じゃあ、わ、わたし、は、何すれば、引き合いにされなくてす、すむんです?」
精一杯訴えられることは今ここで言うしかない。
あの問題児の娘である私がここにいる限り、私は親のことで引き合いにされて、因果応報を理由にして、理不尽な嫌がらせも甘んじることなく受けないといけないのか。それを阻止する方法はないの?
私は私! 依田陽鞠!
小学校の時のあの授業参観で、母の姿を見て反面教師にしようと思った。
勉強も生活態度も、家のことも隙を作らないように。
呉松結花の娘じゃなくて、依田陽鞠として見てくれるために。
中学に入ってから拍車がかかったけど、部活と勉強の両立や、先生からとやかく言われないように、先輩から言われないように、地道にやってきた。
母と顔を合わせたくないから、忙しい吹奏楽部を選んだ。
担任から話された母の在学中の話。
自分の知らない所で広まってるのかもしれないし、同級生の保護者や先生達の中で面識があった人や、被害にあった人達がいた。そこから知らない人達に話が広まったのかもしれない。
そもそも地元で有名なお家なので、母の素行が既に広まってたのだろう。
母がいじめっ子だからといって、私がそうするとは限らない。そうならない様に、見なされないようにやってきた。
目の前で担任の否定により今までの努力が水の泡になりそうだ。
なんだか疲れてきた。私はどうも母の罪を償わないといけないみたいだ。
「母親のことを引き合いににされない方法教えようか? ――環境を変えること」
その一言は陽鞠にとって十分なぐらい心を抉りとった。
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