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 陽鞠と陽貴が悠真がいる病室に戻ると、ヒステリックな声がカーテン越しから聞こえる。

 陽鞠はうんざりと言わんばかりに真顔になった。

 陽貴がカーテンを開けると、下に俯きながら苦い顔をしている悠真がいた。横では結花が一方的になにか話している。

「悠真、どうした?!」

 声に気づいた悠真が陽貴に助けてと目で訴える。

「どうしたんですか? 結花さん」

「あらぁ、はるちゃん戻ってきたぁ!」

 にぱぁと笑いながら陽貴に顔向ける結花。

 態度の変わりぶりに陽鞠は唖然としていた。

「あのねぇ、この人、働けってうるさいの! なんとかしてぇー」

 結花は陽貴のもとに縋り付く。その様子を見ている悠真は真顔になった。

「離してください。ここは病院ですよ」

 淡々と突き放すような口調で、うんざりそうに結花を振り払う。

「えー、だって、そうじゃないとうちお金ないもん! 私働けないしー!」

「そうですよ。うちの結花ちゃんは箱入り娘なので、働くなんて無理ですよ」 

 結花と周子が追い打ちをかける。

「もう、静かにしていただけますか。悠真は疲れてるんです。先程もいいましたけど、これ以上働いたら、弟は死にます。その原因がよーく分かりました」

 陽貴は結花と周子に強い視線を送る。

「な、なんなのよ! わ、私なの?!」

 結花は「そんな訳ないよね?」と狼狽しながら悠真の腕を引っ張る。悠真は聞いても無視をした。

「……結花、悪いけど少し距離おいてほしいんだ」

 ぼそっとつぶやいた言葉に「何でよ! 世界一可愛いゆいちゃんが、お見舞いに来てあげてるのに! 感謝なさいよ!」と喚く。

 同調するかのように周子が「そうよ。ただでさえ格下のおたくが、うちの結花ちゃんのに面倒かけるなんて図々しいわね! いっそのことうちに婿養子に入りなさい!」と煽る。

「周子さん黙ってくれますか? 少し席を外してください。あと、足は自分でご用意してください」

 陽貴は周子をエスコートするような体で、病室を退室するようにさせた。

 これ以上家族の問題に嫁の母親が出しゃばられても困る。本来おかしな話だが。

「はるちゃんひどいよ! うちのお母さんを追い出すなんて!」

 結花の訴えを無視して、悠真に「どういうことを言われたんだ」と尋ねる。スマホの録音アプリを使って。


 さっきのまんまだよ。家業を底辺がいくスーパーとか、格下の癖に偉そうにとか、結花と結婚させてあげたんだから、婿養子入れとか……。

 

 悠真にたずねている最中にも、結花はわーわ「だって格下なのは事実」とか「働かなかったら生活に困る」「黙ってお金だけ渡せばいいの!」とか喚いていた。

「俺、結花と距離置きたい。頼むからゆっくりさせてくれ」

「うん、その方がいい」

「だーかーら! 私の言うこと聞いてとっとと働きなさい! 専業主婦は私の子どもの頃の夢なの! 世界一可愛いゆいちゃんの夢一つ叶えてくれないの?!」

「結花さんほんと黙ってくれますか? 今悠真に聞いてるんです。あなたの話は必要ありません」

 陽鞠はじっと見ているだけだった。

 母の金切り声、疲れ切っている父と叔父。

 家に帰っても、放置された洗濯や流しにすら置いてない食器が放置。お風呂も入ってない。

 それもそうだ。

 母は私より帰りが遅いんだから。

 夜の9時に終わる塾から帰って、食事の準備とお風呂の準備が待っている。

 塾がない日は部活が終わったらまっすぐ帰って同じように。家のドアを開けてもいつも真っ暗。

 母が帰ってくるのはだいたい夜10時。その後に遅れて父だ。

 父も仕事が終わってから、ゴミ捨てや洗濯や掃除を夜にやる。

 母がいると独壇場に巻き込まれてしまうから。

 一体家で何してるんだという話になるが、家に帰っても、私と父に丸投げで自分はSNSの投稿やスキンケアに時間かけるし、お風呂も一番じゃないと気に入らない上に、平気で2時間ほど入る。それまでお風呂に入れない私達は我慢している。

 私と父は日付が変わってからやっとお風呂に入れる。

 最近は私が早く帰った場合、先にお風呂入って、1回抜いて、湯張りをやり直す。冬の時期寒いのをこらえてまで、母のわがままに付き合う必要がないと思ったから。

 でも母の帰りが遅い理由が分かった。

 ほんとバカバカしい。くだらない理由だ。


「……結花さん、今は悠真の話を聞いてもらえますか? 今まで自分のわがままを聞いてもらったんですから、今回は悠真の番です。暫く距離を置く方がいいと思います。そして、今度は悠真を支える番です。支払いも、家のことも」

「――頼む、暫く距離おかせてくれ!」

 悠真の言葉に、陽鞠と陽貴が同調する。

「お母さん、狭い世界で完結した結果がこれでしょ? お父さんや叔父さんの言う通りだよ! 私も叔父さんのとこにいるから!」

「はぁ?! あんたまでお父さんの味方なの?! もうみんなひどいっ、ぐすんっ」

 わざとらしくハンカチを抑えながら、結花は病室を飛び出した。

 結花がいなくなり、3人は一斉に安堵のため息をついた。

「……ほんと、結花に疲れた。一事が万事あんな状態なんだ。自分の思い通りにならないと無視するか不機嫌モードになるし。生活も一緒にいるぐらいなら、遅くまで働いていたほうがいい」

「陽鞠の今の担任が結花と同級生っぽい。家庭訪問で結花が担任に失礼なことを言ってたらしくてさ……それから学校関係のやりとりは俺がしている。多分昔結花になにか言われたかやられたんだろうな。だから俺と陽鞠に態度きつい」 

「毎月結花の買い物で十万越えるんだよ。なんとか陽鞠の部活のお金や習い事は払えているけど、俺のお小遣いさ、いくらか知ってる? 3000円だよ?! 陽鞠の月のお小遣いと一緒なんだぜ?! 趣味のクイズサークルも出来る限り月1回に減らしてるけど、結花は文句言うし、サークルで使う問題集がいくつかなくなってるんだ」

「家のことも全部俺と陽鞠に押し付けててさ、なんにもやらないんだよ。日中はどうしてるか知らないけど。働いてもないのに、一体何してんだ? 前に母さんが倒れた時も働いてほしいと頼んだけど、断固拒否して、専業主婦頑張るでやってきたけど、最初だけだったな。陽鞠が小さい頃は、俺が早く帰って、出来ることは一緒にやったよ。幼稚園の送り迎え、行事の参加、料理や洗濯と掃除……参観日、保護者面談の出席かな。陽鞠が六年生になったら、参観日と保護者面談は結花だけ行ってる感じ」

「陽鞠が小学生の時は、結花が保護者達をうちに呼んでホームパーティーみたいなことを週何回かやってた。で、俺は雑用係。結花は保護者達とのんびりお茶してた」

 依田家のホームパーティの参加メンバーは、陽鞠の同級生や習い事の保護者達だった。

 毎回輸入食器や高価な食材を買っては、料理や盛り付けは悠真に丸投げ。結花は料理やパーティーの様子をスマホで撮影して、SNSに上げるだけだった。

 片付けも悠真がしていた。

 結花は他の保護者達に『専業主婦最高』とか『親が働いてるって可哀想』とマウント取る発言や先生の悪口など話すため、段々保護者達が来なくなった。

 保護者達は表向きはいい感じの関係だが、結花の態度は学年でも有名になり、必要最低限以外関わらないスタンスになっていた。

 そして子どもたちも親から依田家に遊びに行くのを禁止するようになり、陽鞠と遊ぶ時は基本的に外でになった。

 近隣の公園は人気がなく、不審者情報のスポットになっているので、結局陽鞠は習い事に打ち込むようになった。

 四年生になると中学受験のために塾に通う時間や勉強で忙しくなったため、同級生達と放課後遊ぶ機会が減ってしまった。

「ほんとお母さん平気で失礼なこと言うんだよね。それでさ、モンペ入ってるから、先生にも腫れ物扱いされてさ……段々居心地悪くなったの」

 結花は毎年毎年担任に音楽会の楽器は必ずピアノにさせること、宿題は週一回だけ、学校にスマホの持参を認めること、林間学校や修学旅行では、好きな子と一緒に部屋にさせること、お風呂は個室であること、タクシーでの移動を認めることなど、無茶な要求をしていた。

 出来ませんと断る人もいれば、体調不良になり退職した人など様々だった。

 悠真は陽鞠の担任の愚痴を聞かされ、代わりに頭を下げて「妻の言うことは無視してもかまいません」と各担任に言い続けた。

 結花の暴走により陽鞠の立場は微妙なものだった。

「本当はみんなと同じことをやりたいのに、お母さんが先生達に特別扱い求めるし、私が嫌だと言っても『陽鞠ちゃんのためだから』とか『呉松家の名前出せばみんな黙って言うこと聞いてくれる』って。でも先生達の私に対する評価は『めんどくさい親の娘』なんだよ。お母さんは何一つ私のことを分かってない」

「お母さんは何一つ私のことを分かってない」に集約されるものはなんだろうか。

 諦め、侮蔑、決まりわるさ、恥ずかしさ……。

「――まず、結花さんがやってるのはモラハラと経済DVだと思う。悠真は取引先との付き合いで食事会あるのにさ、月のお小遣いが中学生レベルだよ?! わざとなのか、世間知らずなのか……悠真の退勤時間が遅い理由はなんとなく分かる」

「多分世間知らず半分、意図的半分かな。呉松家のお嬢さんで、働いたことないから、ただ単に食事するだけと思ってそうだな。あの家も自営業してるんだろ? 取引先との関係がいかに大事かって分かるはずなんだけどねぇ」

 実際会社と会社との付き合いに食事会や打ち合わせは避けて通れないものだ。それでスタッフ達に活躍の場が増えたり、業績が上がったりとなるのに。

「呉松家は今の当主は確かお義母さんだったかな。でも会社の経営に関わってるのは、お義父さんと結花の兄の良輔さんだ。お姉さんの静華さんは、何やってるか分からん。俺と結花の結婚式以来、全然会ってない。結花は兄と姉とお義父さんの話になると不機嫌になる」

 多分仲が悪いんだろうなと思って、悠真は結花の前では良輔と静華の話を極力しないようにしている。

 結花から「うちの兄と姉と関わらないで」と結婚の時に言われたが、良輔とは密かに連絡をしている。

 2年前、新たな事業所を建てる際に、その土地の管理をしているのが呉松家だった。責任者として良輔が立ち合った。

 当時悠真は責任者の良輔が結花の兄であることに気づかなかったが、向こうから声をかけられたことにより、意気投合した。

 仕事のやりとりと称して隠れて連絡している。

 結花の横暴さを知っている数少ない人物だ。

「そうか。呉松良輔さんか。俺の高校の後輩なんだ。たまに連絡してるから、もしかしたら、悠真にとって心強い味方になるかもしれない」

「あぁ、そうだな。その前に結花が本気でやり直す気があるかどうかだがな」

「うーん、お母さん働くにしても人間関係で問題起こしそう」

 悠真は結花があの高飛車な性格と年齢にそぐわない行動・言動から、職場で総スカン食らうのは想像できた。それもあって働くという選択肢はどこかで諦めていた。

「まず、呉松家の会社は避けてもらう。身内だと甘やかされるだろうから。良輔さんにもそうお願いする」

 悠真の案に二人は頷く。

「あとは、お義母さんは結花と距離おいてもらうこと、口出ししないこと、金銭援助しないこと。そこも良輔さんに相談する」

「でな、家のことなんだけど、悠真と陽鞠ちゃんがいない時は、お手伝いさんとお義母さんを呼んでたんだよ」

 陽貴の言葉に悠真は「やっぱ、やってたか……前一度お手伝いさんを呼ぶのやめてもらってたし、来ないようにしていたのに」と肩を落とす。

「うん。だってお父さんがいない時見計らって、おばあちゃんとお手伝いさん達が交代で来てた。朝練早いから、ちゃんと見てないけど。試験期間中に早く帰ったら、お母さんとおばあちゃん何もやってなくって、お手伝いさんをいじめてた。お手伝いさんくるようになったのは私が中学生入ってからかな。私何回もお母さんとおばあちゃんに、自分でやりなよとかお手伝いさんいじめないでとか、私の部屋はやらなくていいからと言ってたんだけど、ダメ」

 陽鞠としては知らない人が台所や自分の部屋に入られたり、掃除されるのが嫌だった。恥ずかしかった。

 友達とのやりとりした手紙や、プリクラやスケジュール帳などプライベートな物がある。それを見られるのが嫌だ。

 自分の部屋の掃除は自分でやると言って、入るのをやめてもらったが、母は今でもやってもらいなさいと言う。

 年頃の娘の部屋に親でも無断で入られるのは嫌なのに。なんでそういうのがわからないのだろうか。

 自分はどうだったのか聞きたい。

 人にされて嫌なことはやめましょうなんて、子どもの頃から散々言われてきただろうに。

「多分、結花さんは、人にやってもらうのが当たり前、人の気持ちが全くわからない。だから他の人もそうでしょみたいなのあると思う。そうじゃないと陽鞠ちゃんがお手伝いさんに自分の部屋に入ってほしくない言った時に、やってもらいなさいなんて言わないでしょ?」

「うん」

「あとな、あの手のタイプは被害者ポジションにずっといたいんだよ。注目を浴びてもらうのが子供の頃から普通だったんだろうな。ちやほやされて当たり前。本来は、そういうのがいつまでも通じないと学ぶものだけど、結花さんの場合、あのお義母さんが口出しして、有耶無耶にしてきたんだろう。だから敵にいるとめちゃくちゃ厄介。俺の妻が苦手だと思う気持ちは想像できる」

 陽貴の話に悠真と陽鞠は「ほんまそれ!」と言わんばかりに頭を上下する。

「おっ、そろそろ帰ろう。長居してすまん。とにかくな、退院は俺達で迎えに行って、実家に行こう。さぁ、陽鞠ちゃん帰ろう」

 

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