3章

1

 冬の朝は何でこんなに起きるのに億劫にさせるんだろう。

 まだ寝ていたい。ベッドから出たくない。

 ベッドの後ろに充電しているスマホからやかましくアラームが鳴っている。

 結花はスマホを充電コードから外して、時間を確認する。朝の7時半だ。

 ロック画面には母からの連絡があった。今からお手伝いの柿本さんを連れて行くと。

 起き上がると隣には夫がいない。

 そうだ入院したんだっけ。これから退院させないと。

 結花は急いで洗面台の所へ向かい、入念にスキンケアする。

 何で起こしてくれないんだ、うちの母はと朝から不機嫌モードになる。

 スキンケアも高い化粧水や乳液をパックをつけても、化粧ノリが微妙だ。

 あーもう、なんでこんな時に限って!

 結花はムスッとしながらリビングに向かった。

 すでに母の周子とお手伝いの柿本が朝食の準備をしていた。

「あら、結花ちゃんおはよう。今柿本さんがフレンチトースト作ってくれるからね」

 キッチンでは手際よく柿本が銀色のボウルに人数分の卵やホットケーキミックスを入れて作っていた。

「えー、フレンチトースト? ま、いいや」

 結花は既にダイニングテーブルに置いてあるコーヒーが入ったカップを手にする。

「昨日さ、あの人職場で倒れてさ、今入院してるの」

「まぁ、大変ねぇ。結花ちゃん大丈夫?」

「お金ないと困るから今日にでも無理やり退院させようかと思ってる。だってお金ないと困るじゃん。それに陽鞠も今日学校休むって言っててさー。ほんとわがまますぎる! これから連絡しないと……てか担任嫌いだからしたくない。なんであの女に連絡しないといけないの? 休むのなんて適当でいいじゃん」

 春の台中学校の欠席の連絡は原則保護者からで、しかも8時までにしないといけない決まりになっている。

 だから保護者が欠席の連絡をしなかったら、無断欠席になってしまう。それはそれで辛い。

 結花は陽鞠の担任を見下している。

 自分より格下の家の人に、なんでわざわざ欠席の連絡を自分からしないといけないのか理解できないと。

「そうねー。いいんじゃない。しなくても。もし何かあったらお母さん呼んでいいから」

「うん。じゃお願い。……さすがに今日あの人の様子見しないとまずいよね?」

 仏頂面でため息をつく。

「確かにねー。じゃぁ、お母さんも一緒にいくわ。また依田家に借りを作らせよう。そしたら結花ちゃんの言うこと何でも聞いてくれるでしょ」

 柿本は出来上がったフレンチトーストを載せた丸い白皿を持っていく。

 

相変わらず陰険な母娘だと。

 ほんとあのお嬢様は母親に似てる。性格の悪さといい、わがままぶりといい、人を見下す所。

 何十年経っても精神が女子中学生みたいだ。

 良輔坊ちゃんと静華お嬢様はそんなことないのにと。

 お手伝いさん仲間である野田と大野の三人で毎回結花と周子のことをグループチャットで報告している。

 今日は結花の機嫌が悪かったとか、周子が甘やかしていたとか。

 毎回正直やめようかと考えてしまう。

 他の二人も結花と周子の性格にうんざりして、もう依田家へお手伝いに行くのを辞めたいと申し出ようと。

 でも周子に止められてずるずると。

 結花の夫がいない日で日中だけ来ているが、何でお嬢さんの結婚先の家の手伝いに行く義理はないと思う。

 これで彼女は家事したと夫にアピールしているんだから。


 一時期お手伝いさん3人は依田家に来ないことがあった。

 一回お手伝いさんを呼んで家事やってる体をしているのがバレたから。

 離婚騒ぎになって、自分でやるという形で収まった。

 しかし、結花はこっそり周子を呼んで家事をさせていた。陽鞠が生まれてもそうだった。

 周子もだいぶ年なので2年前にまたお手伝いさん3人を交代で依田家に来るようにさせた。

 結花の据え膳上げ膳メンタルは根っから変わっていない。

「柿本さん、後で西南せいなん病院に連れってって。お母さんも一緒に」

「お嬢様、私はもう年なんですよ。今どきお年を召した方が車の運転するのはリスクが高すぎます。少しはご自分の足で行ったらどうですか!」

 遠回しに断る柿本に対して結花は「お手伝いさんの癖に私の話一つ聞けないの? あんたの家にお金の支援したのどこだっけ?」と唾を吐く。

「柿本さーん。呉松家に対する恩を忘れたのかしら? うちが支援しなかったら今頃路頭に迷ってたでしょうね。お孫さんからお金のないおばあちゃんはすぐに見切られるわ」

 柿本の家業が傾きそうな時に、周子が目をつけて資金援助をした。その見返りに呉松家のお手伝いとして来るようにお願いした。

 家業は今でもあるが、柿本もその夫もそこそこ高齢なので、息子夫婦が継いでいる。

「……わかりました。お車お借りしますね」

 不承不承で柿本は「ではお出かけの準備をなさってください」と、玄関に向かった。

「お母さん、さっすがね!」

「でしょ?」

 フレンチトーストを食べながらニタニタ笑う2人。

「恩に着せることでだいたい言うこと聞いてくれるからね」

 周子は困っている人を助けることで、それを引き合いに脅すことで支配するスタンスだ。

 しかもニコニコして穏やかな口調で言う。

 二人がフレンチトーストを食べ終わった頃に、柿本が玄関ドアを開けて「お客様が来られています。依田陽貴様です」と告げた。

 結花は名前を聞いた瞬間、すっと立ち上がってペンギンのようなポーズで玄関ドアに向かう。

 ドアを開けると黒スーツ姿での陽貴がいた。

「朝早くからすみません。悠真のことで少しお話をしたくて」

 営業スマイルで言われた結花は車庫にいる柿本に「柿本さーんスリッパ用意してー。恥かかせるような真似しないで」と大声で言う。

 柿本はすっと戻ってきて、陽貴のために来客用スリッパを用意した。

「あぁ、これはお手数おかけします」

 柿本はスリッパを用意した後、ダイニングに案内する。

「さぁ、行きましょ」と結花は陽貴の腕を組もうとするが、すっとよけられた。

「どうしたんですかー。こんな早くからー。もー化粧も服も完璧じゃないのにっ! 恥ずかし!」

 恋する乙女のように赤らめて、陽貴に上目遣いするが無視をされる。

「どうぞ、こちらお座りください。今お茶用意しますからね」

 上座に案内された陽貴は「いえ、結構です」と断った。

「あら、確かあの人の……」

 結花はすかさず「あの人の一番上の兄」と周子に耳打ちする。

「どうもお久しぶりです。悠真の兄、依田陽貴です」

 周子は立ち上がって小さく頭を下げる。

「まぁ、ご丁寧に……お座りになって」

 結花は周子の隣に座って向き合う形になった。

「今私の隣に座ってるのが母です」

「呉松周子です」

「はい、確か弟の結婚式でお会いしましたね。お久しぶりです」

 陽貴は人の顔と名前を覚えるのが早いタイプである。親族はもちろん、スーパーの常連客はだいたい覚えている。

「もーそんなかたくなんないで。これから病院に行くつもりだったんですぅ。私運転免許もってなくて、あのお手伝いさんに連れってってもらおうかとしてたらはるちゃんが来たからさー。なに、デート?」

 初っ端から結花の空気読めない発言に陽貴は苛立ちを隠そうと顔がひきつる。

「そうですか。それでは後で一緒に行きましょう。それで、学校には連絡されてますか? 陽鞠ちゃんの欠席の件」

 いきなりやってないことを突かれるが「まだやってなくって……娘の担任の先生私に意地悪するから……はるちゃん代わりにやってくれる?」

 アヒル口で上目遣いでお願いするが、陽貴は「自分でやってください」と一蹴した。

「もーっ、はるちゃんのけちっ! いいんでしょ、やれば!」

 結花はその場でスマホを取り出し、春の台中学校に陽鞠が欠席する旨を伝えた。

 出たのが男性教師と分かった瞬間、猫撫で声になって、宿題をうちまで届けてほしい、今度食事しましょと関係ない話してから終わった。

 近くで聞いていた陽貴は周子に「いつもあんな感じなんですか」と聞いた。

 周子から「うちの娘可愛いでしょ」とあさっての方向のコメントが来て、もういいですと話を切った。

「やっぱり来て正解でした」

 今朝陽鞠から「うちの母のことなので、担任嫌いとか言って、欠席の連絡しないと思うけど、おじさんが立ち会ったらやってくれるかも」と言われたから。

 案の定やってなかった。しかも急に声のトーン高くなるから怖い。

 先程の柿本という女性に対しては自分の恥しか気にしないような態度だった。

「ではとりあえず、病院に行って悠真の様子を見に行きましょう。先に家出てください」

 2人がいなくなったのを見計らって、柿本は朝食の片付けを行う。

「柿本さん、ちょっとよろしいですか?」

「は、はぁ……。依田様なにか?」

 いきなり男性に声をかけられ柿本は目を丸くする。

「あなたはここでお手伝いさんみたいなことをされてるんですか?」

「え、ええ。もうずっと。結花お嬢様が嫁ぐ前からですね。他にあと二人と一緒に交代で、依田家の家事を手伝ってるんです。見ての通り、結花お嬢様はあんなんなんで……毎日三食分冷凍して、洗濯や掃除も……」

「そうですか。分かりました。それでは柿本さんと他のお手伝いさんにお願いがあるんですが……」

 結花と周子は陽貴の運転で西南病院に向かった。

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