7
人感センサーが反応して玄関に光がついた。
ただいまーと声出すが誰も返事しない。
鞄からスマホを取り出して、通知欄を見るが母と連絡つかない。
依田陽鞠はスマホをカバンに入れて、舌打ちしながら自分の部屋に向かう。
病院に来るとしかとこの耳で聞いたのに。
叔父の前でキャラが変わったかのように、はい、行きますと嬉しそうに。
しかし待てど暮せど一向に来る気配がなかった。
面会終了の17時になってもだ。
その間に何度も連絡したのに、メッセージアプリでも送ってる。
返事はないし、寒い中病院の正面玄関で電話しても『ただいま電波のつながらない所に……』と返ってきた。
一体どこにいるんだ。父が心配じゃないのか!
怒り任せに学校の鞄をベッドに投げつけたくなるが、ここは、制服にしよう。
「ほんとありえない!」
このやり場のない怒りをどこに向ければいい?
母は一体何してるんだ?!
これからまた塾に行かないといけないので、制服から学校指定の紫色のジャージに着替える。依田とがっつり白色で刺繍されている。
陽鞠は
結花としては陽鞠が受験に落ちたことが近所や他の保護者にバレたくなかったから、逃げるように地元に戻った。
それもそのはずである。日頃から結花は近所の人やママ友達に「うちはあなた達下々と生きる世界が違うのです」とマウントを取っていた。その娘が受験落ちるのがバレると屈辱を受けることになる。
陽鞠も逃げたかった。
受験で落ちた云々より、母の日頃の態度で周りから厳しい目を向けられるのがこれ以上嫌だったからである。
授業参観で痛い服装で来たことで珍獣扱いされるのが嫌だった。
『いずれ依田陽鞠も母と同じようになる』と呪縛を受けているみたいで。
くよくよ考えるのはやめにしようと、春の台中学校で吹奏楽部で頑張ってきた。慣れない部活と勉強の両立、そして、部活内の厳しい上下関係と暗黙のルール。
最初の一年は慣れるのに手一杯だった。
2年生になってからは先輩と新しい後輩との板挟み。そしてもうこれからは後輩達を引っ張らないといけない立場になってきている。
スマホのロック画面を見ると、メッセージアプリでのグループチャット内で、部活の友達から「お父さん大丈夫?」のコメントが並ぶ。
陽鞠は「うん、なんとか」と返す。
――こんな状況でよく病院いけるね。さすが、あの母親の子だからね。バチが当たったんじゃない?
部長の
入った当初はそこまでではないが、部長に選出されてから、智景は陽鞠に対してきつい口調で話してくるようになった。
クラスは違うとはいえ、廊下ですれ違ってもにらみつけるような態度を取ってくるので、陽鞠にとって苦手なタイプだ。
智景の態度は好き嫌い分かれる。腕はいいということもあり、出来ない人に対してかなりきついし、マウントを取ってくる。
夏の合宿の時には、1年生の子が集合時間でもたついてしまい『もたつくぐらいなら辞めてくれ』からの、人格否定が始まった。
前部長の保坂も顧問の森河も当然といわんばかりに、とめなかった。
春の台中学校の吹奏楽部は、毎年きつい性格の人が部長に選出される。これが何十年も続いている。だから陰湿な嫌がらせは日常茶飯事、暗黙のルールに従えなかったら処罰される。その部長の機嫌次第で決まる。
陽鞠にとって保坂はまだましの方だった。智景とは違い、満面の笑みで遠回しに嫌味言うタイプだ。そこまでターゲットにされていなかったというのもあるが。
どうも智景の親も結花のことを知っているらしく、それもあって陽鞠はきつく当たられる。
「ほんと、ちか、きついなー。てかバチが当たったってなに?」
周りの話を総合すると、母はこの学校で色々やらかしたのかなと思う。
あの高飛車な性格なら十分ありえる。
娘である私は否定しない。でもバチが当たったひどい。
父が倒れたのは無理したから。母のわがままに振り回されて。
母のことで、娘の私がやいのやいの言われるぐらいなら、コツコツ頑張って証明するしかない。
その肝心の母は全く連絡取れないし!
もー腹たって仕方ない!
陽鞠は頭をかきむしる。
「あれ、珍しいな」
メッセージアプリの差出人はいとこ叔母だった。
開いて文面を確認する。写真も送付されている。
その瞬間スマホをぬいぐるみを抱きかかえるようにして、ベットに仰向けになって倒れた。
全身に嫌な汗が出る。
今日塾に行けるメンタルなんてない。いっそのこと休みたいとこだが、欠席の連絡は親の電話じゃないと認められない。
陽鞠は体をムチをうつようにして、塾に出席した。
授業開始から30分後、顔色悪い陽鞠を見た講師が家に帰るように結花に連絡したがつかなかった。
陽鞠は声を振り絞るように「お、おとうさんが、入院して……」と今日の経緯を話す。
代わりに陽貴が迎えに来た。結花と連絡がつかないことを聞いた陽貴は、自宅まで連れていき、一晩泊まるようにさせた。
もちろん、結花に連絡した上で。
結局連絡がついたのは、日付変わる1時間前だった。
陽鞠も親のことがきになるのか、中々寝付けず、陽貴の妻である
『ごっめーん! 病院行く予定だったけど、断れない急用がはいっちゃってー』
結花の声はまるで何かを楽しむように高くなる。
「……そうですか。分かりました。悠真は疲れによる体調不良です。2、3日後には退院出来るでしょうというお話でした」
『あ、そう。じゃ、退院次第また働いてもらいますから』
陽貴は切り捨てるような結花の言葉に「はい?」と聞き返した。
『だから、退院したらまた働いてもらわなきゃ。で、娘も早く返して。明日学校でしょ? 欠席なんてされたら成績が下がるわ』
陽貴は隣で聞いていた陽鞠に「お母さん帰ってきなさいって言ってるよ」と呟く。
陽鞠は顔を強張らせた。
中々寝れないし、母は夜結局父の様子を見に行こうとしなかった。それで、成績に関わるから学校にいけと。
とりあえず、帰ってこいというのは分かった。
でも正直帰りたくない。どうせ怒られるんだから。
「……とにかく、今後についてはまたお話しましょう。では」
陽貴は深い息をついて、着信を切った。
「結花さん、なんて?」
千雪が顔を曇らせて尋ねる。
「陽鞠ちゃんを早く帰らせろって。悠真も退院したらすぐ働かせろって。これ、弱ってる人に対する言い草か?」
「えー? 嘘でしょ?! 自分のことしか考えてないじゃん! 結花さんって働いてないんでしょ……倒れるまで働かせて殺す気?!」
眉根を寄せる千雪はリビングのソファーで横になっている陽鞠を一瞥した。
「あの人、なんか勘違いしてると思う。人を人と思ってないのよね。言動から節々に見下した言い方するからねぇ……うーん、下僕みたいな? 悠真さんもそうだし、陽鞠ちゃんも、自分のアクセサリーとしか思ってなさそう。そうじゃないと、こんな状況で普通に学校にいけなんて言わないわ。さっきね、陽鞠ちゃんが思いつめた顔で私に言ってきたんだけど……」
陽鞠は千雪に「お母さん、他所の男性と遊んでたっぽい。見て」と。
送り主は結花のいとこである望海だ。
望海が買い物帰りに結花の姿を見かけた。
病院に行くといいながら結局遊んでいた。しかも他所の男性と遊んでいる。袖口をつまみながら駄々こねる姿。
思わず写真を撮った上で陽鞠に送った。
『お母さんここにいるよ』と。
「あのアマ、どこまで舐め腐ってるんだ」
低い声で唸るように呟く。
これが本当なら、悠真と陽鞠を家に帰らせたくない。
こんな身勝手な人が支配する家に帰りたくないだろう。
「望海おばさんに聞いたら、たまたま他所の男性と一緒にいる様子を見たんだって。お見舞いに行くなんて嘘だったんだ!」
陽鞠の顔は今にも泣き出しそうで全身に悪い汗が流れていた。
嘘ついて、他所の男性の服の袖口を掴んでいた。
しかもどう見ても父ではない男性。
――あなたのお母さん、同級生の彼氏にからかってたね。異性遊び派手なのは学年で有名だったから。あと、
担任の口からでる母の過去を思い出した。
比良田先生は2年前私の中学校に再赴任してきた40代の男性。今1年5組の担任で、バレーボール部の顧問をされている。教科は社会。
去年授業でお世話になったけど、いつも変な冗談を言ってムードメーカー的な雰囲気の人の印象だった。よく奥さんの話を授業中にしていた。
もし担任の言うことが本当なら? と疑いたいところだけど、今の状況を見ているとさもありなんと思う。
とにかく良くも悪くも母は中学校では有名人だったのだろう。
――ほんと母を軽蔑したくなる。
母の前では言えないが、今日の行動といい、担任から言われる母の中学生時代の話を考えた時に、依田結花の娘であることを恥ずかしく思う。
「確かにこれはひどいな……よし、明日学校休もう」
陽貴は手をぽんと叩いて満足げに頭を上下する。
千雪も「その方がいいと思う。ほら、1日、2日休んだってそこまで成績に影響しないんだから」と納得している。
「で、でも……欠席の連絡は母か父じゃないとダメだから……」
弱腰で答える陽鞠は母が学校に欠席の連絡を入れるとは期待出来ないと思っている。
「それじゃぁ、もういっかい電話してみようか? お母さんに」
陽貴に言われ一か八かの思いで陽鞠は結花に電話する。
「あ、お母さん? 私だけど」
『なんなの? 今スキンケア中なの』
自分の世界を邪魔されたと言わんばかりに、結花はつっけんどんに答える。
「あのね、やっぱり明日学校休むよ。お父さん心配だし……」
『はぁ?! なに言ってるの? お父さんは明日にでも無理やり退院させるわよ! 仕事してもらわないと困るのは陽鞠よ! それか呉松家がお世話になっている病院につれていく。いいね?!』
烈火の如くキャンキャン喚くような声が陽鞠のスマホから漏れ出る。
すかさず陽貴が「ちょっと代わって」とアピールした。
陽鞠は悠真にスマホを渡して「結花さん、少しお話したいんですが」と穏やかな口調で尋ねる。
『あらぁ、悠真さんのかっこいい声が聞けるなんてー。どうしましたぁー? うちのバカ娘がお泊りされてるそうで? 明日には帰らせますので、うちまで送ってくれませんかぁ?』
語尾を伸ばして声も高くなり恋する乙女のような口調になる結花。そのペースにのまれないように冷静になろうと深呼吸をする陽貴。
「いえ、陽鞠ちゃんもお父さんのことで心配なので、明日は学校を休んだほうがいいと思います。ですから、結花さんが学校へ連絡していただけると助かるんですが……それにまだ結花さんは悠真の所に行ってないんですよね? 一度顔を見せると悠真の喜ぶので……」
『うん、分かった。じゃぁ、明日学校に連絡するわ。じゃ、おやすみー』
陽鞠が出た時に比べて声のトーンが高くなった結花だった。
「一応休みの連絡するって言っといた。てか、あの態度すげーな。今日の昼もそうだけど。俺が出た瞬間、やたら声が明るくなってさ。まるで女優みたい」
ふんと息を漏らす陽貴に、陽鞠は同情したくなった。
「うちの母、父と祖父以外の男性――特に若い男性や叔父さんみたいに顔がいい人に対して、めっちゃ態度変わるんです。去年の私の担任が男性だったんですけど、三者面談の時に、彼女の有無や好きなタイプを聞いてて……今度デートしましょなんて言ってたの。担任の先生は婚約者がいるからと強くお断りしていたんですけどね」
陽鞠は毎回三者面談で婚約者がいる担任を口説こうとする母にうんざりしていた。
中学入ってから初めて知った。母が男性教師に目の前で「デートしませんか」なんて言っている姿。
小学校の時は保護者と担任だけだったので、その姿を見ることはなかった。
多分同じくやっていただろうなと考えるだけで、当時の担任の先生に申し訳なく思う。
「私が結花さんが苦手なの、そういうとこだね。悠真さんだけでなく、
千雪の指摘に「ほんとそれです!」と勢いよく指を差しをしそうになる。
「言ってたもんな。親族の集まりで、めっちゃマウント取ってきたって」
「子どもいないことを突かれるのが一番きついね。私も好きでこうなったわけじゃないのに。お義母さんとお義父さんですらそんなこと言ってこなかったのに」
千雪は陽貴とブライダルチェックをした際に、子どもが出来ない体質であることが分かった。精密検査をすると婦人科系の病気があることが分かった。
義理の両親にも話した上で今に至る。
本当は子どもが好きなのに、結花から『子どもいないんですかー。早く作らないと、参観日に老けたお母さんなんて嫌でしょ?』と毎回言われる。
その度に下に俯きながら歯を食いしばってた。
若くして子どもがいるのがそんなに偉いのかと。
正直余計なお世話だし、それ以外にも実家のことを見下されるのも嫌だった。
人目がない時に言われるので、今年の年始の挨拶ではこっそりスマホの録音アプリを入れて、帰宅後、陽貴に聞かせた。顔が青ざめた。
陽貴の悪口や義理の家族そして悠真の悪口もあったから。これも毎回千雪の前で言っていた。
今その録音は陽貴のスマホに入っている。
「ほんと、無神経な親ですみません……」
へこへこ頭を下げる陽鞠は、まさか親族に言ってたとはと思うのと、母の性格の悪さに辟易したくなった。
親戚づきあいを嫌々やっているのは、娘の陽鞠からも見て明らかだった。
家に帰ったら父方祖父母、叔父叔母達親族の悪口や見下した言動をしょっちゅう聞かされる。それで同意しなかったら、ヒステリックな声で怒られる。最後にはやっぱり呉松家が一番と締めくくる。
父方祖父母の血が半分入っている陽鞠としては、目の前で自分が否定されているようで、毎回言葉では言い表せないような屈辱感、怒り、悲しさが募っていた。
陽鞠は悠真に似ている。
背は187あり、細身。長い髪にシャープな顔立ち。丸アーモンド目の一重でクールな雰囲気だ。
悠真はもう少し陽鞠を背を高くした感じで、努力家。
だから陽鞠は結花から「お父さんじゃなくて私に似たらよかったのに」とよく言われる。しかし、陽鞠としては、真面目で努力家の悠真の方が好きだ。
結花と一緒におでかけしてもファッションショーに付き合わされるわ、正直いらないと思っているのに高額なブランド物の服や鞄を押し付けられるので、うんざりしていた。
逆に悠真とだったら博物館や図書館やレジャー施設などに連れてってもらえる。それに物知りだから知らないことを教えてくれるし、知らなかったらきちんと調べてくれるから頼りになる。
悠真のクイズサークルで使っている問題集を呼んで、少し興味を持ったが、近隣にそういう場所は中々ない。
高校に入ればあるのはあるらしいが、地元の難関校に受からないとだめだ。
本当は家でのんびり読書したり、友達と遊んだり、クイズサークルに参加してみたいと思っている。
結花といると家事を押し付けられる。
陽鞠としては今回を機に結花が態度変わるとは期待していないし、いっそのこと離れて暮らしたいと思っている。
「いいのよ。陽鞠ちゃんは謝らなくて。悪いのはお母さんなんだから。もう寝ましょ」
「うん。あの感じだと結花さん色々やってそうだ。まだボロが出てきそうだね。ま、明日考えよう」
結局陽鞠が寝たのは日付を越えてからだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます