逆転世界で錬金術師のお弟子さん生活

三文茶筆

第1話 お師さんとホットケーキを 前編

「それじゃあ、これでお願いします」

「あいよ。……お代ちょうどだね!重たいから気を付けなよ!」


愛想の良い、店主である年配女性へ代金の銅貨を渡し小麦粉の袋を受け取る。彼女の娘が店番をする可能性もあったのでおつりが出ないように代金ちょうどの銅貨を用意していたのだが。


「ありがとうございます」


今回は無駄に終わったが転ばぬ先の杖は大事。そう思いながら本当に重い袋を抱えて店先から離れる。店主が軽々と扱っていたので勘違いしそうになるがやっぱり重い。買い出しの一番最後に回して正解だった。


黒いマントに黒いとんがり帽子。黒い手袋に黒いベール。男の僕がベールを纏うのもいかがなものかと思うのだがそこに黒い仮面が加わるのでベールを纏うのは些細な問題かもしれない。商店街の皆さんがこの格好でも気にしないでいてくれるのは感謝しかない。


そうやって、えっちらおっちら工房区の端っこにある我がお師さんの工房に向かって歩く。春から夏へと変わる季節と肌の露出が一切ない厚着でおデブの僕は汗まみれだ。一刻も早く工房に帰って、汗を拭いてさっぱりしたい。


開店中の札が下がったドアを押し開けて工房のお店部分に入る。聞きなれたドアに付けられた小さなベルの音とひんやりとした空気が僕を迎えてくれる。


「ただいま帰りました~」


外から帰ってきた僕の目に飛び込んできた光景はカウンターを飛び越えているお師さんの姿。そして、リアクションをする間もなく正面から抱き締められる。


「我が愛しのお弟子さん~!怪我は無いか?痒いところはないか?貞操は無事か?」


女性ではあるがお師さんの方が背が高い。正面からハグされるとお師さんの胸元へと顔が埋まる。自然と。


普段なら内心嬉しい状態だが、外から帰ってきたばかりで汗まみれ。両手は荷物。加えて、黒い仮面と汗で張り付いたベールのせいであんまり嬉しくない。出来れば、室内のひんやりした空気に包まれたい。


「はいはい。お師さん。僕は今日も無事です。大丈夫ですよ~」


でも、これはお師さんの愛情表現なので満足するまでは我慢するのみ。発言内容についても我慢するのみ。我慢するのみ……。


お師さんのされるがままに任せていたのだが僕に抱き着いていたお師さんの右手が高度を下げてくる。本人は抱き着いたまま、さりげなくを装っている。そんな魔の手が僕のお尻へと到着する。


もみもみもみもみ。


到着すると必死に揉みこんでくる。こっちは下着とズボンの上にマントまで羽織っているので感触なんか分からないと思うのだが一生懸命に揉んでくる。その必死さといつも通りの予想通りに怒りや引く感情を通り越して悲しくなる。


これでも名の通った錬金術師で、腕は最高峰に近いという話なのだが……この状況ではその名声が逆に情けなさに拍車をかける。僕は貝になりたい。


……現実逃避しても事態は解決しない。割と本気で、ほっとくといつまでもお尻をもみ続けそうなので自力救済を行使しなければならない。


「お師さん!セクハラは禁止って言ってるじゃないですか!」

「あとちょっと!あとちょっとだけ!」


悲しいかな言葉では止まらない。荷物を地面に置き、絡みつくお師さんの体を引きはがす。距離が少し開いたらすかさず額にチョップ!お師さんの行動が停止した隙をついて脱出……。


「あ、あ、あ」


くっ!今日のお師さんは再起動が速い。小麦粉の重さで帰宅が少し遅くなってしまったのが原因だろうか。こうなるとチョップでは止まらない。やむを得ないが、背に腹は代えられない、心底嫌だが切り札を切らなければいけない。


決意をすればあとは行動するのみ。絡みつくお師さんをいったん無視してマントを留めている金具を外す。あとは先程と同じ。お師さんを引きはがし、額にチョップ!次の行動は脱出するのではなく、再起動する前にマントを脱ぐこと。


逸る心を押さえつけ、無事にマントを脱ぐことが出来た。だがお師さんが再び動き出す。ゾンビに襲われるているような恐怖を押さえつけ、脱いだマントをお師さんの顔面へと投擲。


いくら僕の背が低くてもお師さんの頭から顔全体を覆うぐらいにはマントは大きい。僕のマントで視界がふさがれたお師さんの両手の動きが止まる。


それを確認しながら僕も動きを止める。僕が動いた拍子に邪悪な両手が再び僕を捕捉しょうと動き出さないように。


緊迫の静寂が過ぎ、お師さんの邪悪な両手が僕ではなくマントを抱きしめるように動き出す。そして、


すーーーーっと大きな音がする。


経験則で分かる。お師さんが鼻から息を吸い込む音だ。僕にとっての悲しみの音だ。お師さんが僕の匂いを嗅ぐために全力で鼻から息を吸っている。あまりにもな状況に涙がでそうだ。その行動は言い訳のしようもなく変態だ。


輪をかけて悲しいことにこの光景にドン引きしない僕がいることだ。慣れているのだ。平常運転なのだ。日常の一コマなのだ。初遭遇時はドン引きしたはずなのに悲しいだけで済んでしまう今の僕。ある意味、汚されてしまったのだろう。こんなことで人間の環境への順応性の高さを実感したくなかった。


安全が確保されたはずなのに気が重い。さらに、重い荷物を両手に重い足取りでお師さんの脇をすり抜け……マントインお師さんからぴちゃぴちゃと水の音が出始める。


お師さんをこれ以上は貶めることになるので水音の原因について明言は避ける。が、この瞬間だけではなくこの後、涎まみれのマントを洗う時にも悲しくなるのでこのマント生贄の切り札は切りたくなかったと言っておこう。


悲しみを振り切るように振り返らず、店の奥、居住部分へと僕は進む。

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