第3話 逢魔時
江充は
趙王太子の
なぜそのようなことをしたのであろうか。自分の報告で尊大な太子が父に叱られ平身低頭する様に愉悦を覚えたサディストだったのかもしれない。王に高く評価されたいだけの短絡的な行動だったのかもしれない。平素から謹厳で厳罰主義の趙王は当然太子を廃嫡すると考えたのかもしれない。
だが、案に相違して趙王は息子には大変甘く、太子丹は口頭注意されただけで済んだ。
当然、太子丹は江充を恨んだ。江充と家族を捕らえるよう命じ、江充の父と兄を処刑してしまった。だが江充は間一髪で追手から逃れ、趙を脱出し名前を変えて(元々は江斉という名だった)潜伏しながら旅をし、
今度は江充が復讐する番である。お恐れながらと司法機関に趙太子の悪行を告発した。
ことは皇帝の甥に関することである。役人の手には余るため、武帝直々に審理されることになった。審理当日、証人として法廷に現れた江充の姿を見て、居並ぶ貴人たちの中からどよめきが上がった。
大柄でたくましい身体にド派手な服装と冠を着けた、いわば
裁判の結果、太子丹に有罪が宣告された。
武帝の異母兄である趙王による必死の嘆願で死刑は免れたものの太子丹は廃嫡され、命以外の全てを失った。江充の復讐は成されたのである。
だが、この成功体験は江充を更なる怪物へと成長させてゆく。
武帝直属の取締官に任じられた江充は、皇族・貴族・高官の贅沢や法令違反を見つけては遠慮会釈なくビシビシ摘発し、寛大な処置を懇願されても一切容認せず武帝に報告した。
それは進入禁止の道を通る微罪に触れた皇太子・
武帝からは、江充こそ権力におもねらない勇敢で正義の忠臣に見え、ますます信頼を篤くした。実際には武帝という虎の威を借る狐である佞臣中の佞臣なわけなのだが。
震え上がった高官貴族たちは列を成して江充に賄賂を贈った。与党を増やした江充に逆らえる者はいなくなり、一族は繁栄し得意の頂点となった。これが太始三年(BC94)のことである。
江充一党の傍若無人を見て、まともな人間は貴族も庶民も苦々しく思っていた。
実直な貴公子として人望の
この頃、武帝はますます病がちになり、長安の中心部から離れた
江充はふと気付いた。
(帝は老いぼれだ、病で突然死ぬかも知れん。そうなったら俺はどうなる?あの皇太子が跡を継いだら俺をただでは済まさないだろう。さてどうすればいいだろうか…)
これだけ好き放題やっておきながら今更怖気付くというのも呆れたものだが、行き当たりばったりで向こう見ずな男が今までは悪運だけで上手くいっていたということなのだろう。
だがこの男、やはり常人とは違うところがある。良心というものが欠片もないのだ。
(そうだ、今担当しているあの事件をうまく使えば皇太子も皇后も片づけられるぞ!)
それは
当時の
公孫賀は息子を助けるため、目覚ましい功績を上げようと焦った。
調べたところ、裏社会のボスである朱安世という男は指名手配犯でありながら長いあいだ逮捕できずにいることがわかったため、全力を挙げての捜査を命じ、遂に逮捕できた。
(この功績を引き換えに息子の釈放を嘆願できる)
そう公孫賀はホッと胸を撫で下ろした。
だが、なぜ一介の庶民である朱安世を誰も逮捕できなかったのか、その理由に思い至らなかったのが公孫賀の運の尽きであった。
自分の逮捕された経緯を聞いた朱安世は不敵にせせら笑った。
「俺が知ってることをぶち撒けたら、丞相だけでなく皇族まで恐ろしい目に遭うぞ。逮捕される人数は数え切れぬ程になるだろうよ」
ただの凄みではない。朱安世は暗黒街のボスとして数多くの人間の弱みを握っていた。これをやっているとされただけで文字通り命取りになる秘密である。
もうおわかりだろう。
朱安世は、巫蠱の儀式を請け負う元締めとして数多くの人の秘密を握っていたのだ。
それだけでなく、
近現代のヤクザ・マフィアと同じと言えよう。
自分の死刑は免れないと悟った朱安世は、死なば諸共と獄中から
〈丞相の息子の敬声は
と告訴した。そして捜査の結果、供述通りに巫蠱人形が発見された。
偶々この事件の裁判を担当したのが江充なのだ。やはり悪運の強い男である。朱安世の訴えに乗じ、敵対勢力である皇太子の味方となる衛一族に次々と有罪判決を下すことにした。
主犯とされた公孫敬声と陽石公主、それに連座した丞相公孫賀とその妻(衛皇后の姉)、
だが江充の真の狙いは皇太子と皇后であり、偶々朱安世に便乗して外堀を埋めたにすぎない。
皇太子と皇后を確実に葬る方法は決めた。だが、66歳を迎えた武帝は老いたりとはいえ愚鈍ではない。ピンポイントで皇太子を狙えば策略を見抜かれるかもしれない。
(皇太子だけを狙っていると悟らせないためにはどうする…?そうだ、木を隠すには森の中、だ)
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