天道の涯
三好長慶
第1話 序章
「──」
最後の竹簡に文字を書き終え、深く息を吐き筆を置いたその男の顔は、深く刻まれた年輪ゆえに実年齢の45歳よりずっと老いて見えた。
彼はあしかけ25年をかけて完成させた著作を前にして、喜びと苦難の入り混じった感慨を胸に
後世、
そして彼がいま完成させた著作こそ、中華史上初の
史記の完成時期がいつかについては諸説あるが、この物語の中では漢(前漢)
『史記』
《所謂天道是邪非邪》(いわゆる
「歴史上、善人が苦しんで死に、悪人が安楽に生きた例がたくさんある。世間では〈天は公平で善人は良い報いを得る〉といわれているが、本当に信じて良いのだろうか?」という、普遍的なクエスチョンである。
古代中国では、"天"という人格神ではない漠然とした上位存在があり、"道"という法則のようなものに従って人の運命を司っている、と考えられていた。その天の法則に疑問を呈したのだ。
司馬遷自身の悲惨な経験が、その問いをより切実なものとしている。
史記完成より8年前の天漢二年(BC99)のことだ。
北方の異民族
この悲運の武将は時の皇帝・
獄中で司馬遷は苦悩した。李陵を弁護したことには一片の悔いもない。己の正義を貫くことができて、晴れやかな気持ちでさえいた。
だが、男性機能を失わせる宮刑を受けるということは、男性としての誇りを打ち砕き、人間以下の存在として臆病者の
この当時、刑罰を免れるためには、多額の賄賂を支払って自らの身を贖う方法もあったが、清貧な歴史家である司馬家にそのような大金はなかった。
司馬遷は宮刑を受け、宦官として生き続ける道を選んだ。
一時の激情で司馬遷を投獄したものの、頭の冷えた武帝は少し後悔した。
司馬遷の能力と高潔な人格を評価していたのだ。そこで宦官の就任する
完成した歴史書はすぐに公開しなかった。皇帝批判と受け取られかねない文章もあるため、武帝の怒りを買って破却されないように
公開される後世の人々に史記の評価を、「天道、是か非か」という疑問の答えを託したのだ。
だが、史記が完成したまさにその頃に起きたある事件が、司馬遷個人に降りかかった悲劇より遥かにおぞましく、多くの人々に深い傷を負わせることに、
心ある人々の「天道、是か非か!」という叫びが天下に満ちることを、司馬遷はまだ知らない。
─後世、その事件を《
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