第40話 浦島太郎は兎を疑う
王城の一室では三回目となる軍事委員会が開催されていた。
「マリンピア国防軍は現在、リューグ王国との交易再開に向けて直通航路の掃海作戦を実施しています。昨日の時点で主力艦隊は既に両国の国境まで約十五海里の距離まで進出。早ければ来月にも航路の再開通が可能になるかと」
マリンピア外務省から派遣されたサクラの報告を受け、
「その作戦を開始したのって、今月に入ってからですよね? それでもうそんな場所まで来たんですか?」
「しかも
リューグ王国の持つ技術力では到底不可能な速さで、航路に蔓延る海異を倒しているらしい隣国の軍。大砲を装備した帆船と己が剣のみで戦う騎士で構成された我々海伐軍との力の差は彼女の話を聞いているだけでも明白だ。科学大国であるマリンピアがどのような技術を使っているのかは想像もつかないが、とにかく圧倒的な軍事力を有しているということは十分に理解できた。
そんな二人の横で、一切表情を変えずにオトが淡々と話を進める。
「こちら側からも軍を出撃させましょうか? 両側から同時に作戦を行った方が効率的だと思うのだけれど」
「ん〜、いや。それは大丈夫。多分こっちだけで何とかなるはず。でももし何か予測不能な事態が起きた時には応援要請させてもらうよ」
「ええ。準備は整えておくわ」
頷いた女王の月白の瞳がこちらを向く。
お願いね、の意味だと受け取って、こちらも首を縦に振って了承した。
アーシムとロンボがオトと知り合ったのは十三年前。僕たちが九歳でオトがまだ四歳になったばかりの時だった。子供の頃からずっと一緒だったオトとは、言葉を交わさなくても完璧に意思疎通が出来る。まさに以心伝心の関係。
だから今も、目が合っただけで何を言いたいのかが分かった。分かってしまった。
あの時ナギサを危険に巻き込んだことを、アーシムはまだ許せていない。彼女は未だに眠ったままなのだから、当然許せるわけがない。だというのに、オトの言うことを素直に聞いてしまうのは、オトが逆らってはならない絶対的な権力を持つ女王であるからか、はたまた強い絆で結ばれた幼馴染であるからか。
どちらにせよ、自分の感情と関係なくオトと通じ合えてしまうことがアーシムは気に食わなかった。
「マリンピア外務省からの報告は以上になります」
「それじゃあ、他に何かある人はいるかしら? いないようなら、もうこの委員会は終わりにするけれど」
女王が参加者全員の顔を見回しながら問う。
すると、カイビトス公国から派遣されたアカリが可愛らしい声でぼそりと呟いた。
「これ、アカリ居なくても良かったんじゃないかなっ?」
「えっ? いやいや、アカリ監視官が居てくれないと委員会を開いてる意味が……」
アカリの言葉に、困惑の表情を浮かべて首を傾げるロンボ。
委員会とは監視官二人が出席してこそ成立するものだ。アカリが不在では委員会の役目は果たされない。
ピンク色のツインテールを揺らして、魔法少女は補足するように続ける。
「考えてもみなよっ? そもそも委員会って、オセアーノ差別を無くす方法を話し合う場でしょ? だけどさ、ロンボさんもアーシムさんも最初から差別なんかしてなかったから、わざわざ対策を話し合う必要無いよねってなって。結局、軍事委員会で話してる内容は海異対策とか治安維持についてばっかりじゃんっ。アカリはあくまでオセアーノ差別解消に向けた取り組みを監視する立場で、政治家ごっこをしに来たじゃないんだよっ」
「そうか、それは確かにそうだな……」
アカリの主張に、ロンボは一理あるなと納得した様子で腕を組む。
カイビトス航路上の海異は完全に排除され、現在の主戦場はマリンピア航路。サクラとの情報共有はあれど、アカリには全くもって無関係な議題だ。治安に関しては完全に国内の問題であり、他国の高官には助言をする以上の口出しは過度な内政干渉になってしまうために出来ない。
なるほど確かに、アカリがこの場に居る理由は皆無だろう。
「せめてアカリにも関係がある話題を出してくれればいいんだけどな〜っ」
退屈そうに独りごちる魔法少女に、手を挙げたのはセーラー服姿の女性だった。青い髪が特徴的なパラキャントゥラス=ヒパタス中佐。アーシムとロンボと同じ二十二歳でありながら、救護から兵站、諜報から宣伝に至るまでどんな任務でもこなせる才能豊かな人物だ。
パラはおもむろに椅子から立ち上がると、室内をふらふらと歩き始めた。
「アカリちゃんに関係のある話題なら、私一つ持ってるよ?」
諜報活動もしているが故の職業病か、あるいは昔からの癖なのか。足音を立てずに部屋の中を移動しながら、意味深な微笑を浮かべる。
「ホントにっ!? 何なにっ?」
早く教えてよと言わんばかりに物凄い勢いで食い付いたアカリに、パラは妙な意味合いを含んだ微笑みを湛えたまま言う。
「マイコット大公の息子さん、名前はえっと……モム大公子、だっけ? その人がなんかコソコソと工作活動してるって噂を聞いたんだけど。アカリちゃんは何か知ってる?」
不意に立ち止まったパラが、真っ直ぐにアカリの目を見つめる。
「えっとっ……」
その瞬間、ほんの僅かにだがアカリの赤い双眸が見開かれたのをアーシムは見逃さなかった。魔法少女が答えるよりも先に、すぐさま追及を重ねる。
「アカリ監視官、何か知っているなら教えてください。リューグ王国に関係のあることなんですよね?」
パラがわざわざ話題に出したということは、つまりはこの国の存立に関わる問題だということ。
カイビトス衛士団の中でも高い実力を持つ親衛隊に名を連ねるアカリなら、大公子と繋がりがあっても何ら不思議ではない。直接的ではなくとも、それっぽい会話や噂を耳にしている可能性もある。どんなに些細な情報でもいいから、とにかく教えてほしかった。
しかしアカリは、明らかに嘘と分かる涙声で怯えたような仕草をしつつ答える。
「アカリ、何も知らないっ。分からないよ……」
「本当に知らないなら、どうしてさっき動揺したんです?」
「それは、そのっ。モムく……大公子様がそんなことしてるって聞いて、ちょっとびっくりしちゃって……」
そうやって、しらばっくれるつもりか。
どうやら大公子とも親しい関係のようだし、アカリは確実に何かを知っている。そしてそれを隠そうとしている。このまま有耶無耶にするわけにはいかないと、アーシムは更に問い詰める。
「僕は最初からあなたのことを疑っていました。ふざけた挨拶をしてきたかと思えば、フォーカ大将に自分の胸を触らせてみたり、脅しまがいな挑発をしてみたり。挙げ句オト女王を殺そうとまでして。アカリ監視官、あなたは何の目的でこの国に来たんですか? もしかしてあなたこそが、工作を主導している首謀者なんじゃないですか?」
「首謀者なんて、そんなっ……! アカリじゃない、私は違うっ……!」
今にも泣き出しそうに、目を潤ませるアカリ。
必死に首を振って否定する魔法少女の、ピンク色のツインテールが激しく揺れる。
「だったら、知っていることを正直に教えてください。アカリ監視官がその態度を変えないなら、僕はあなたを工作員だとみなします」
強く言い放って、鋭く睨んだアーシム。
リューグ王国の平和を脅かすようなら、誰であろうと僕は容赦しない。
十年前にこの国で起きたあの惨劇を、十五年前に故郷を襲ったあんな悲劇を、もう二度と味わいたくなどないから。
感情のままに爪が食い込むほど握りしめた拳を、そっと優しくロンボの両手が包む。
「落ち着けアーシム。アカリさんはこの国を良くしたいと思って、わざわざカイビトスから来てくれてるんだ。それを一方的に工作員だと決め付けて、責め立てるのは違うんじゃないのか?」
続けてサクラも口を開く。
「ボクもロンボ大佐の意見に賛成かな。アカリが白なのかどうか、現状で判断することは出来ない。であるならば、マリンピアの考え方としては『疑わしきは罰せず』。このままアカリには監視官として頑張ってもらって、もしも黒だっていう証拠が出てきた時には、そこでちゃんと処分を考えればいいと思う」
「…………」
アーシムはしばし逡巡した。お人好しなロンボの説諭はともかく、サクラの意見は正当性があって納得のいくものだった。
アカリが嘘をついているのは明らかだが、だからといってそれが工作員であるという証拠とはなり得ない。
「そうだね、ごめん。アカリ監視官、先ほどはあなたの心を傷付けるような発言をしてしまい申し訳ありませんでした。深くお詫びいたします」
謝罪の気持ちを込めて、机に額がぶつかりそうなくらい深々と頭を下げる。
するとアカリは、袖口で目尻に溜まった涙を拭いながら柔らかい笑みを浮かべた。
「アーシムさんっ……! ううん、大丈夫だよ。思わせぶりな態度を取っちゃったアカリも悪かったよねっ」
こうしてアカリはアーシムの追及から逃れることに成功した。
しかしこれにより、パラが聞いたというモムが行っている工作活動の詳細については分からずじまいとなってしまった。
軍事委員会終了後。
廊下に出たアカリの元に、オトに仕える使用人デルフィーノが歩み寄る。
「アカリ様宛てにお手紙が届いております。こちらでお渡ししても宜しいでしょうか?」
言って、デルフィーノが封書を取り出す。
ロンボと共に歩いていたアーシムは、それが誰からのものなのか、内容は何なのか、気になって立ち止まった。
「ん、ありがと〜」
使用人から魔法少女に手渡された封筒を横目で確認してみるも、差出人の表記はどこにも無い。
だが、受け取ったアカリは気にすることもなくそれを服の隠し(ポケット)にしまいこむ。まるで誰からの手紙なのか分かっているかのようだ。
怪しい。
アーシムはこれの差出人はモムで、中身は工作活動の指示書なのではないかと推測する。
けれど、確証は無いのでこの場ではどうすることも出来なかった。
「? どうしたんだ、アーシム?」
立ち止まらずに歩き続けていたロンボが、アーシムが隣にいないことに気が付いて振り向く。
「ううん、何でもない」
僕は首を横に振って、小走りで彼に追いついた。
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