第36話 人混みの中のマリオネット

 女王の交代方針や委員会と監視官のことを国民に向けて公表する日取りは、マリンピア外務省側からの要請で二月一日に決まった。


 その発表日を五日後に控えた神暦しんれき九八九年一月二十七日。

 まだアカリがカイビトス公国から戻ってきていない中、サクラから話があると真剣な顔で言われて、オトは急遽二人きりでの話し合いの場を設けた。

 テーブルを挟んで向かい合わせに女王と機械人形が座る。


「どうしたのサクラ? 何か問題でもあった?」


 首を傾けるオトに、サクラは手をひらひらと振って否定する。


「ああいや違う違う。別にヤバいことがあったとかじゃなくてね」

「じゃあ何かしら?」


 サクラは一度目を閉じ、それからレンズの黒瞳で真っ直ぐこちらを見据えた。


「……ねえオト。何かやり残したことはある?」


 問われてオトは、意味が分からなさすぎて固まった。

 どうしてこの人形はいきなりこんなことを訊いてきたのか。


 もしかして私、近いうちに死ぬの?


 困惑の表情を浮かべるオトに、サクラは言葉を継いだ。


「あのほら、オトが女王の権限とか私みたいなマリオネットの力を使えるのも今のうちでしょ? だからもし、あれがやりたいとかこれがしたいとかあったら、今ならボクが手伝ってあげられるかもしれないって思ってさ」

「ああなるほど、そういうことね……」


 合点がいった。

 つまりは女王でいられる間にやりたい事はやっておけ、と。


「で、何か無いの? やり残したこと。別に個人的な夢とかお願いでも全然オッケーだよ」


 優しく微笑むサクラに、オトはしばし考える。


 私が望むのは、母の仇を討つことのみ。

 七年前に当時の女王であった母を暗殺した、未だ見つかっていない犯人をこの手で殺し復讐する。それさえ叶うのなら、女王の座も命すらも捨ててもいいと思ってきた。


 間もなく私は女王じゃなくなる。であるならば、今が復讐を果たす最後のチャンスなのかもしれない。


「あるわ。一つだけ」


 俯いたまま、オトが口を開く。


 薄雲がかかったように輝きを失くした月の白の眼を、機械人形の両目のカメラレンズがしっかりと捉える。


「七年前に私の母さん、リューグ王国前女王が暗殺された事件。あなたは知ってるわよね?」

「うん。九八一年十月二十五日、午前五時三分。王城の広間で血を流して倒れていたのを使用人が発見。既に息はしておらず、すぐに海伐かいばつ軍病院に搬送されたものの死亡が確認された。死因は動脈を損傷したことによる失血死。でも確か、犯人はまだ捕まってないんだよね」

「ええ。……私は、その母さんを殺した犯人に復讐がしたいの。サクラなら犯人を見つけられたりするかしら?」


 七年も前の、それも王城の中で起きた事件のことだ。

 いくら優秀な機械人形とはいえ、少々無茶振りが過ぎただろうか。


 でも、他に頼れる人なんていない。

 こんな個人的な、こんな馬鹿げたことに、大切な仲間を巻き込むことなど出来ないから。


 時間が掛かるというのなら、いつまでだって待つ。

 お金が掛かるというのなら、いくらだって払う。


 だから、どうか。

 お願い。


 縋るように見つめる月白の双眸を、人形の黒瞳が見返す。

 人工の無機質な、機械の冷たい眼差し。


 しかし、サクラがそんな目をしていたのはほんの一瞬で。


「オッケー! お安い御用だよ」


 すぐにサクラはいつもの明るい調子を取り戻した。


 そのあまりのテンションの落差に付いていけないうちに、どんどんと展開は進んでいく。


「犯人探しの手伝いってことは、要するに捜査協力ってことでいいんだよね? その形であれば外務省として正式に引き受けてあげられるよ。で、七年前の暗殺事件の犯人なんだけど。ボクたちはもうとっくの昔に、というより事件発生直後に突き止めてるんだよね」

「えっ? ちょ、ちょっと待ちなさいな」


 さらりと衝撃的な発言をしないでほしい。

 リューグ王国の海伐騎士軍が全軍総出で捜査をして、結局何の手がかりを掴むことすら出来なかったというのに。マリンピア外務省はとうに犯人を特定していたと?


 驚きやら戸惑いやら怖さやら、様々な感情が交錯する。

 結果として何とも微妙な表情を浮かべたオトに、サクラは尚も続ける。


「犯人が今いる場所も特定済みだけど、ボクの部下に取り押さえさせようか? もちろん捕まえた後はちゃんと海伐軍に引き渡すよ」


 私はしばらく、ぽかんと口を開けた状態で固まっていた。

 七年もの間全く進展が無かった暗殺事件の捜査が、まさかこんな形で終結するなんて。しかもこんなにあっさりと。


「お〜い、オト? 話聞いてる〜?」

「……ええ、ごめんなさい。急展開すぎて脳が追いつかなかったわ」


 顔の目の前で手を振られて、オトはようやく我に返る。


「で、サクラ。ちなみにその犯人の現在の居場所はどこなの? リューグ国内?」

「うん。国内どころか王都にいるよ」

「それなら先に海伐騎士軍の誰かにこのことを伝えないといけないわね。部下を動かすのは少し待ってくれる?」


 他国の人形に王都内で警察権を行使させるのなら、海伐騎士軍とも事前に情報を共有しておかなければならない。


 さて、誰に声を掛けようか。

 引き渡しのことも考えると、王都警衛隊の中でも実力があって、且つある程度の階級の人間が望ましい。


 ふと窓の外に目を向けると、のんびりと歩く人影が。


「あっ、丁度良いのがいたわ」


 オトは椅子から立ち上がり、窓際へと移動する。

 観音開きの窓を開け放って、目当ての人物を呼び寄せる。


「ロンボ、ちょっとこっちへ来なさいな」


 海伐騎士軍王都警衛隊大佐、ロンボ。

 王都の治安維持部隊を束ねる彼は、この話を共有する相手として思いつく限り一番の適任者だ。


「女王様、俺に何か用か?」


 とんでもない話を聞かされるとも知らず呑気に歩いてきた二刀流の大佐に、オトは簡潔に告げる。


「落ち着いて聞きなさい。今からマリンピア外務省の職員が七年前の女王暗殺事件の犯人を取り押さえるわ。だからあなたはその犯人を逮捕して連行してきてほしいの」

「ん? いや、待ってくれ。女王様は何を言っているんだ?」


 訳が分からないと両手を広げ肩をすくめるロンボ。

 まあ当然の反応ね。私だって自分が何を言っているのかよく分からないもの。


 オトは時折サクラにも助けてもらいつつ、状況の説明とこれからやってほしいことを改めて伝えた。

 彼は終始混乱していたが、こちらの指示については一応理解出来たらしい。


「了解。とりあえず俺はサクラさんが教えてくれた場所に行けばいいんだな」

「ええ。そこで犯人が引き渡されるから、仲間も何人か連れて行きなさいね」


 ロンボが走り去っていくのを見送ってオトは窓を閉じる。


「いいわよ、サクラ」


 女王の言葉に、機械人形が頷く。


「じゃあ今から犯人を取り押さえてって部下に指示するね。タスク完了まで無言になるけど許して」


 そう言うとサクラは両耳に手を当てて目を閉じた。

 カメラやマイクの情報の一切を遮断し、完全にネットワークの世界に入り込んだようだ。


「これでやっと、復讐が叶うのね……」


 実質的に部屋に一人残された状態となった私は、椅子に座って犯人が確保される瞬間を静かに待った。



 黒の英雄の石造がそびえる広場の一角。ぽつんと佇む可憐な少女がいた。

 胸の辺りまで伸びるロングヘアーは鮮やかな緑色をしているが、肩口から先はグラデーションのようになっていて毛先は完全な赤紫色。身に付けた服やアクセサリーは上品でお洒落で、貴族の令嬢といった風貌だ。


 その可憐な少女が右手を耳に添える。

 ごく自然に行われた酷く不自然な仕草を、周囲にいた買い物客も呼び込みをする店主も気にしない。


>通達

>エビナ=サクラよりGRWI-0073RYG及びPLYG-0029RYGへ

>直ちにこのポイントへ移動し対象を確保せよ


 《GRWI-0073RYG》は上位機種《エビナ=サクラ》からの通達を受信。

 音声が終了した後、視界左下に表示された地図に赤い点がマークされる。同時に右下に確保対象者の顔写真。


>GRWI-0073RYGよりエビナ=サクラ

>了解


 すとんと右手を下ろした少女が、前触れも無く突如として全速力で疾走を始める。


「うわぁっ!?」

「えっ何?」


 そのいきなりの奇行に驚いた通行人が道の左右に分かれると、空いた道の真ん中を脇目も振らずに駆け抜ける。


「おおっ、ありゃ何だ? びっくりしたぜ……」


 可憐な令嬢風の少女が長い髪を激しく揺らして走っていく異様な光景を、店先で接客していた何でも屋の店主ブランツィノは呆然と見送った。



 建物の隙間の路地の、狭い水路の橋の上。ぼんやりと水面を眺める清楚な女性がいた。

 すっきりとしたマッシュショートヘアは鮮やかな紫色をしているが、襟足の部分がグラデーションのようになっていて毛先は完全な黄緑色。身に付けた服はカジュアルめで、中流階級の若妻といった風貌だ。


 その清楚な女性が右手を耳に添える。

 ごく自然に行われた酷く不自然な仕草を、橋のそばでポリ袋片手にゴミ拾いをする幼女は気にしない。


>通達

>エビナ=サクラよりGRWI-0073RYG及びPLYG-0029RYGへ

>直ちにこのポイントへ移動し対象を確保せよ


 《PLYG-0029RYG》は上位機種《エビナ=サクラ》からの通達を受信。

 音声が終了した後、視界左下に表示された地図に赤い点がマークされる。同時に右下に確保対象者の顔写真。


>PLYG-0029RYGよりエビナ=サクラ

>了解


 すとんと右手を下ろした女性が、前触れも無く突如として全速力で疾走を始める。


「ひゃあっ!?」


 真横を駆け抜けていった女性に驚いて、体勢を崩してしまったコッツァは水路に落ちそうになる。


「おっと、大丈夫か?」


 そこへ水中からフロリダが颯爽と現れて、小さな身体を優しく抱き止める。


「ありがとう、フロリダおねーちゃん!」

「いいや、感謝など不要だ。それにしても、何なのだあの不埒者は?」


 海異かいいの淡く光る蒼い瞳が見据えた先。清楚な若妻風の女性が見た目に見合わず全力疾走する姿を、フロリダは自らの存在を棚に上げて異様で不気味だと思った。



 幹線水路の歩道から一本入った薄暗い裏路地で、海伐騎士軍総司令官である大将ラ=フォーカは慣れた手つきで番号を入力し電話をかける。

 しかし、普段なら数秒で応じてくれる相手の声が聞こえてくることは無く。それどころか、呼び出し音も鳴らずにすぐにブチっと切れてしまった。


「む。何故だ?」


 もう一度かけ直してみるが、やはり繋がらない。


「今までこんなことは無かったのだが……」


 首を捻りつつも、たまたま手が離せないだけだろうとフォーカは携帯電話を握ったまま大通りに出る。


 大勢の人が行き交う水路沿いの歩道。

 フォーカはいつものように人の流れに乗って軍港の方へと移動を開始した。

 その時。


「きゃっ!」

「こら危ねぇだろ!」


 悲鳴や怒号と共に通行人が一斉に道の左右に避ける。

 そしてその空いた道の真ん中を、猛然と駆けてくるのは可憐な少女だ。

 振り返れば、反対側でも同じ現象が起きていて、こちらから駆けてくるのは清楚な女性。


「何事だ?」


 眉を顰めて立ち尽くすフォーカに、前方から迫った可憐な少女が勢いよく飛びかかる。


「ぐはっ! おい何をする!?」


 とても少女の力とは思えない衝撃を受け、抵抗する間もなく地面に押し倒されてしまう。

 だが歴戦の猛者である騎士の大将に、この程度の暴力は通用しない。

 馬乗りになる少女を突き飛ばし、即座に立ち上がる。


「暴行罪で現行犯逮捕だ」


 手錠を取り出そうとするも、今度は後ろから迫ってきた女性に羽交い締めにされ身動きを封じられる。

 抜け出そうと試みるが、女性の腕はぴくりとも動かなかった。


 このフォーカと互角以上に渡り合うなど、彼女らは只者ではない。


「ぐっ、君達は何者かね?」


 苦悶の表情を浮かべたまま、声を絞り出して問う。

 すると、たった今突き飛ばされたばかりの可憐な少女が、平気な顔で緑の長髪を整えながら言った。


「こちらはマリンピア外務省情報分析局監視課です。リューグ王国海伐騎士軍の捜査協力要請に応じ、ラ=フォーカ容疑者の確保に参りました」



>報告

>GRWI-0073RYGよりエビナ=サクラ

>神暦989年1月27日13時07分25秒、対象を確保

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