第2話 限界集落

 ギルドで強引なチコに絡まれているところを助けてもらった事には感謝している。

 冒険者として尊敬できる先輩だとも思う。

 しかし、しかしだ……年がら年中バカップルのイチャイチャをパーティメンバーに見せつけるっていうのはどうなんだ?


「はいデニムあ~~ん」


 デニムの口にサンドイッチを運ぶルルさんを、馬車の御者台から俺は横目で覗き見る。


(弁当くらい普通に食べてくれ……)


 しかし、これに文句をつけていたら険悪な雰囲気となり、このパーティが崩壊するであろう事はチコの話からも予想できる。

 幸いバカップルぶりにさえ目をつむれば理想的な先輩冒険者である訳だし、なるべく二人についていこう。俺の我慢が限界を迎えるまでは……。


 顔を照らす激しい日差しはもう夏が近い事を俺に教え、街道に吹く風が俺の頬を気持ちよさげに撫でていく。荷台を引く馬の臭いが僅かに漂ってくるのが気になるものの、高い石壁に囲まれて淀んだ空気が漂う街中とは違い、ここは本当に開放的だ。

 本来なら街の外の空気を存分に楽しみたいところだが、馬車の荷台から聞こえてくる声が、先ほどから俺の心をイチイチささくれ立たせていた。


 俺達は今、住んでいたゴータルートの街を出てリラルルの村に向かっている。

 巨大な城壁で敵軍やモンスターの襲撃に備えている街とは違い、普通の村にはせいぜい簡単な木の壁や柵があるだけで、常に外敵に怯えて暮らさなければならない。進軍中の部隊が兵糧目当てで村に略奪しにやってくる事すらあるのだ。

 村の住人の多くは安全な街での生活に憧れるが、街に住むには領主に大金を出して市民とならねばならない。街に住めない村人達は自分達の身を守るため自衛し、モンスター出現など自分達では対処できない厄介事が起こった場合は、外から冒険者を雇うのが常だ。

 街に住み領主やら貴族やらの重税に悩まされている身からすれば、村の生活に憧れる事も多い。だが、こういう現実を突きつけられると市民権のありがたみを不本意ながら実感せざるを得ない。


 街を出てすぐに俺達は馬車で作戦会議を行ったが、これはすぐに終わった。

 村でゴブリンの詳細な情報を聞く前なのだから、せいぜいできる事といえばパーティメンバーの戦力の把握とその共有くらいだったのだ。


 リーダーのデニムはファイター。

 相手が手負いだったとはいえトロルと一騎打ちして勝った事もあるというのだから、かなりの腕前だ。普通のゴブリン相手なら10匹くらい相手にしても負けないと豪語していた。


 ルルさんはシーフ兼レンジャー。

 戦闘より探索を得意としているが、ショートソードの腕前もそこそこあるのだとか。新人冒険者のファイター程度には負けない自信があると言っていたから、ゴブリン相手なら前衛も務まるのだろう。


 そして俺はマジックアーチャー。

 使える魔法は仲間を治療するヒールアロー・仲間の防御力とスタミナを上昇させるガードアロー・仲間の攻撃力と素早さを上昇させるアタックアロー・毒や魔法による混乱などを治療するキュアアロー・そして攻撃魔法のファイアアロー・アイスアロー・サンダーアロー。

 一通り戦いで使える魔法を覚えてきたつもりだが、今の俺の魔力量では日に何度も魔法が使えるわけでもなく、その威力も実戦に際して十分といえるほどかどうか自信はない。

 一応レンジャーとファイターの研修も冒険者ギルドで受けたのだが、レンジャーはともかくファイターとしての素質は殆ど俺にはないようだった。


「すごいねカイルは、さっき教えたばかりなのにもう馬車の操り方がこんなにうまくなってる。」


 いつの間にか俺の傍に寄って来ていたルルさんに顔を覗き込まれていた。荷台に張られたホロの影から出たルルさんの髪が、日に照らされて金色に輝いている。この人、デニムにはベッタベタだけど俺に対してもイチイチ距離が近い。


「え、ええ馬車ははじめてですけど馬には乗った事はありましたがら」


 ちょっとドギマギしながら俺は答えた。

 おや? 俺の方を見ていたデニムが御者台に近づいてくる。まさか嫉妬している訳じゃないですよねデニデニさん?


「ルルのお古なんだけどさ。これを持っときなよ」


 デニムは平然とした顔で俺にショートソードを差し出した。

 ルルの行動には理解があるのだろう。ルルが俺にちょっとやそっと挑発的な態度をしても、デニムに嫉妬される心配はなさそうだ。


「え? でも俺、剣は苦手ですよ」


「それはさっき聞いたよ。

 でも魔導弓だけじゃ、いざって時に頼りないだろ。敵に接近された時に使える武器も身に着けておくべきさ」


 デニムの一言に俺はハッと気づく。

 俺はマジックアーチャーが敵に近づかれたらヤバいと思っていたにも関わらず、敵から距離をおいて味方に護ってもらう事しか頭になかった。レンジャーの研修を熱心に受けたのも、気配に敏感になれば不意を突かれて敵に接近されるリスクを減らせると思ったからだ。

 しかし、だからと言って最初から魔導弓しか身に着けていないのでは”自分は接近されたら対抗手段がありませんよ”とわざわざ敵に宣言しているようなものではないか。


「なによ~、カイルったらあたしのお古じゃ気に食わないのぉ~?」


 わざとらしく頬をふくらませるルルさんに俺は笑顔で返し、デニムからショートソードを受け取る。


「すいません、

 この剣しばらく借りますね」


「いいわよ、それくらい。カイルにあげるわ」


 俺は剣に対する目利きができるわけではないが、少なくともこのショートソードが安物でない事だけはわかる。鞘の作りだけ見てもしっかりとしていて、そこいらのいい加減に作られた剣ではない。

 嫌になったらすぐにでもパーティを抜けるつもりでいたが、二人にはこの半日足らずの間でも世話になりっぱなしだ。例え俺の我慢に限界が訪れ、このパーティを抜ける事になったとしても、後ろ足で砂をかけるような真似だけはすまい。


「あ、ありがとうございます」


 俺の返事に笑顔で答えるルルさんの横をデニムがすり抜けて歩を進め、御者台の俺の隣にドカッと腰を下ろす。


「そろそろ御者を代るよ。

 カイルは弁当もまだ食ってないだろ。ルルのサンドイッチは美味いんだぜ」


 そう言ってデニムは俺の手から手綱を奪った。



         *      *      *



「リラルルの村が見えてきたぜカイル」


 御者台からデニムが俺に声をかける。

 さっき食べたルルさんのサンドイッチは、あまり美味しく感じられなかった。

 当たり前だ、御者台でイチャつくバカップルを見ながら食う飯が美味い訳がない。我ながらよく耐えたと思う。

 いったい何時間あの光景を眺めていたのだろうか俺は……。こんなにムカつくのは、もしかして俺の度量が狭いだけなのか? 二人に嫉妬めいた感情を抱いてるのは確かだし。


 二人が座る御者台に近づきホロの中から馬車の前を伺うと、遠くに木の柵が見える。あの頼りない柵でリラルルの村を守っているのだろう。


「そういえばカイルって恋人はいるの?」


 御車台に座ったルルさんが、唐突に俺の顔を見上げて聞く。


「いませんよ、まだ」


 生活も将来も安定しない貧乏な新人冒険者に女が寄ってくる訳がない。それに未熟な冒険者は、下手をすればいつ命を落としてもおかしくないのだ。今の俺は恋愛どころではない。


「あら、顔も悪くないし青い髪も綺麗だし、もてそうなのに」


「髪はもう少し短い方がいいと思うけどな。

 俺はそろそろ準備するから、馬を任せたよ」


 デニムはそう言うとルルに手綱を渡し、ホロの奥で鎧を身に付ける。

 俺は後衛であるが故に殆ど普段着と変わらない軽装だし、ルルさんも軽い皮鎧を身に付けているだけだが、デニムの鎧は金属プレートが随所に施された本格的な物のため、それなりに重量があるだけでなく着るのにもひと手間かかってしまう。


「大変そうですね。

 重くはないんですか?」


「これは金属板を要所にのみ集中する事で重量を抑えるように工夫がしてあるんだよ。

 着るのも他の鎧に比べれば楽なもんだし、冒険者が使うには丁度いいんだぜ」


 デニムが古ぼけた鎧の肩の金具をパチンとはめながら答える。


 確かにナイトが着ているようなフルプレートアーマーとかは、一人で着るのも不可能だって聞くよなぁ……


「もっとも、もうそろそろ痛んできたから新しいのに買い替える予定だけどね。注文しといた鎧が無事できあがっているといいんだけど……」


 馬車が止まると同時にデニムは荷台から飛び降りていた。

 俺も慌てて矢避けの魔法のかかった空色のマフラーを首に巻いて馬車を降りる。


「ねぇ、この村ちょっとヤバいんじゃないの?」


 馬車を降りると、御者台のルルと村の門番の二人がなにか話していた。

 門番は二人とも俺と同い年くらい。一人は派手な髪形をした男で、もう一人は長髪の女性だった。どうやら彼等はデニム達とは顔見知りのようだ。


「前の村長と一緒に村の住人の大半が逃げちまったからな。あっという間の事だったよ。

 今は俺の親父が名ばかりの村長をしているよ」


「何があったんだ?

 まさかゴブリンに怯えて住人が逃げ出した訳じゃないだろう」


 デニムが話に割って入るが、聞くまでもなく村の方を見ればおおよその状況を察する事はできる。

 手入れがされていない、ドアも開けっ放しの空き家がやけに目立ち、この村は既に廃村直前なのではないかとさえ思える惨状だ。いったい住人の何割がこの村を見捨てて逃げたのだろう。


「大猿が村の近くの森に住みついたのよ」


 そう言いながら門番の女性がちらりと俺の方を見た。赤に染まり始めた日差しが、彼女の紫がかった髪をやや遠慮がちに照らしている。


「ああ、失敬。

 こいつは新しくパーティに入った……」


「カイルです」


 デニムに促され俺は門番達に名乗る。


「あたしはクリスで、こっちはダニーよ。

 カイルさん、ゴブリン退治の依頼を受けてくれてありがとう」


 ダニーはともかくクリスは門番が似合っているようにはとても見えない。

 二人ともデニムと似たタイプの鎧を着て大ぶりな剣で武装しているのだが、特にクリスは俺のような新人冒険者から見ても、戦いの素人である事は容易に察しがついてしまう。体格に比べて剣が大き過ぎるため、まともに振れるかどうかさえ怪しく見えるのだ。


「ねぇゴブリンより、その大猿退治を依頼した方がいいんじゃないの?」


「大猿は縄張りに入りさえしなければ襲ってこないから、それさえ知っていれば危険じゃ ないんだ。

 ただ、ときおり夜になると吠えるもんだから、臆病な奴等はみな怯えちまってこのザマだ」


「だから当面の問題はゴブリンの方なのよ。

 村の住人が少ない事がバレたら今夜にでも襲ってきても不思議じゃないわ」


 ルルの質問にダニーとクリスが交互に答える。


「すまないな、以前のパーティが解散していなければ、ゴブリンのついでに大猿を退治する事もできたんだが……」


 すっかり寂れてしまった村の方を見てデニムの眉間にしわが寄る。


「気にするなよ。

 どのみち今の村には大猿退治までギルドに依頼する金はないさ」


 ダニーの言葉を待たずとも、それは容易に想像できた。


 俺達は馬車を村の宿屋の隣に止めて、ダニーとクリスの案内で村長の家に向かう。

 村に入った時はまだ明るかった日差しが、今は西の空に沈みかけている。

 到着した村長の家は村の道具屋だった。


「ゴブリン退治の冒険者が到着したぜ。

 俺は親父を呼んでくるから店の中で待たしておいてくれ」


 ダニーは戸を開けて道具屋の中に向かってそう叫ぶと、店の裏の畑に向かって走っていき、その背中は畑の作物の中へと消えていった。


「ゲイル、マーサさん久しぶり」


 デニムがダニーの開けたドアの中を覗いて笑顔をもらすと、店番をしていたおばさんとその子供がこっちを見て声をあげる。


「おや、デニムじゃないか。

 あんたがゴブリン退治を引き受けてくれたのかい?」


「どこ行ってたんだよデニム~」


 ゲイルと呼ばれた子供が小走りに近づいてきてデニムの脛を軽く蹴る。


「ゼペックさんが探してたぜ」


「あ、いけない。

 父さんにデニムが来たことを知らせないと」


 クリスが慌てて踵を返す。


「デニムさん、約束はちゃんと守ってもらわないと困りますよ。

 こっちにも都合があるんですから」


 そう言いながらクリスはそのまま走り去り、入れ替わるようにダニーが村長らしきおじさんを連れて畑から戻ってくる。


「どうしたんだあいつ?」


 ダニーが走り去るクリスを見て首をかしげている。


「ゼペックさんを呼びに行ったんだよ。

 おおかた支払う金に困ってこの村に寄り付かなかったんだろうけどさ、そういうのはあんまり関心しないよデニム」


 マーサさんに叱られたデニムが肩をすくめる。


「ゴブリン退治の礼金が貰えたら、ちゃんと支払うよ。

 ゼペックさんには謝らないとなぁ……。そういえば、ゴードンはどうしてる?」


 野菜を抱えた村長らしきおじさんが口を開く。


「奴はとっくに逃げたよ。もともと臆病だったからなあいつは。

 ところでダニー、村の門は今どうなってる? ちゃんと閉めといたか?」


 ダニーの表情が変わり、それを見てため息を漏らす村長。


「行ってこい」


 村長がそう言うと、ダニーは慌てて村の門の方へ走り出した。


「お久しぶりですブライさん」


 ルルが村長に挨拶をする。


「お久しぶり。

 ルル嬢ちゃんは暫く見ないうちにまた美人になったんじゃないか?」


「やだもーっ、ブライさんたら。お上手なんだからぁ」


 頬に両手を当てて喜ぶルルさんだったが、その時、村の西の森から獣の咆哮が上がる。


グルオオオオオオォォォッッッ!


 俺とルルさんは驚いて、声の聞こえた方を同時に見た。

 まだ幼いゲイルはマーサさんのスカートにしがみついている。


「やかましいねぇ、わざわざ吠えなくても、そこがあんたの縄張りだって事くらい知ってるよ」


 マーサが毒づく。

 これが村の廃れる原因となった大猿の声なのであろう。


「ご苦労なされているようですね」


 デニムがブライ村長を気遣うように言葉をかけるが、村長はなにごともなげに答える。


「この村ができる前、最初にこの地に住み着いた者はわずか六人だったと聞く。我々はまだ十人以上ここに残っているのだ、なんて事はないさ。

 お前の方こそ、前のパーティを解散してからいい噂を聞かないじゃないか。みんな心配していたんだぞ。

 ルル嬢も元気なようだし、新しいパーティメンバーも見つかったようだしホッとしたよ」


 髭を生やした村長の眉がへの字に曲がった。


「マジックアーチャーのカイルといいます」


 村長の視線がこちらに向くのに気づき、俺は自己紹介をする。


「ついてましたよ、彼がいてくれなかったらルルと二人だけで依頼を受けていましたから」


 デニムが俺の肩にポンッと手を置く。

 ブライ村長は軽く俺に頭を下げると、再びデニムの方へ向き直った。


「では、早速だが依頼の件について相談しよう……」


 ブライ村長は道具屋のカウンターの上に裏の畑で取れたであろう野菜を置くと、俺達に店の奥の部屋に来るよう促した。


* * *


 そこは、中心に机が置かれているだけの殺風景で広い部屋だった。

 ブライ村長は机を囲うように俺達を座らせると、村周辺に出没するゴブリンについて語り始める。

 村長の説明によれば、足跡と村人の目撃情報から推測できるゴブリンの数は十数匹。まだ村から少し離れた位置にはいるものの、足跡は北の方から徐々に村に近づいてきているらしい。


「十数匹か、少し多いな……。」


 デニムの顔が曇るのを見て、ブライ村長が険しい顔で問いかける。


「難しいのか?」


 机に半身を乗り出したブライ村長の広い額を、薄暗い部屋に置かれたランプの灯りが照らしている。


「普通の群れならいいのだが、これだけの数の群れだと変異種が混ざっている可能性があるんだ。変異種らしき個体が混ざっている形跡は本当にないのか?」


 デニムの問いに、村長は少し考えてから答える。


「ないな。

 断言ができる訳ではないが、足跡や痕跡からも、目撃者の話からも変異種がいるとは思えない」


「ふぅ……む」


 デニムも少し考えてから、こちらに話しかける。


「ルル、カイル、俺は明日の早朝にゴブリンの群れを退治しに行こうと思う。

 変異種が混ざっている場合は、状況次第で退却して対策をたてるという事でどうだろうか?」


「あたしは、それでいいわよ。

 カイルはどう?」


「俺もデニムさんの判断を信じます」


 ギルドの訓練所で習っただけではあるがゴブリンについての知識はそれなりにあるし、過去にゴブリンの群れに襲われた村を見た事もあった。その知識に照らしてみてもデニムの考えが間違っているとも思えない。歴戦の冒険者の勘に頼った方がこの場合はいいだろう。

 デニムはゆっくり頷くとブライ村長に向き直った。


「では明日の朝にゴブリン退治に出発します。

 けど、いつゴブリンに襲われてもおかしくない状況とも聞いておりますので、今夜は武装を解かずに休みます。なにかあったら迷わず、すぐに起こしてください」


「頼んだぞ」


 机の向こうから村長が手を差し出し、デニムがそれを握る。


「今夜はバンカーの宿に泊まってくれ」


 村長が俺達を先導するように部屋の戸を開けると、壁によりかかる気難しそうな男の顔が真っ先に視界に入り、その横でダニーとクリスの話している声が耳に飛び込んでくる。


「なんで、村の門を開けっ放しにするんだよクリス!」


「あんただって、忘れてたんじゃない!」


 二人の会話を他所に、部屋の前の男を見てデニムが青ざめた。うなだれる頭の上のブロッコリーが重力に引っ張られて、みるみるうちにしおれていく。


「久しぶりだなデニム。

 ”仕事が立て込んでるから2か月ほど待て”と言った覚えはあるが、まさか4か月経っても音沙汰なしとは恐れいったよ。

 どこをほっつき歩いてたんだ?」


「お久しぶりですゼペックさん。

 実は……」


 ゼペックと呼ばれた男はデニムの言葉を遮るように大きな声を上げる。


「言い訳したければ後で聞いてやる。

 だがな、いかにみっともなくとも俺の前に顔を出す事くらいはできた筈だ。違うか?」


 益々うなだれるデニムにゼペックが歩を進め胸を軽く小突く。


※挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330650266819954


「次は許さんからな。

 お前が注文した剣はとっくに完成しているが、鎧は今から仕上げてやる。

 実際に鎧を着てお前の身体の寸法とズレがないか測るから、すぐに俺の鍛冶場に来い。いいな?」


 ゼペックはデニムの返事も待たず、ダニーと話しているクリスの方を向いて声をかける。


「今から大急ぎでデニムの鎧を仕上げる。お前も手伝え」


「えぇ~! 今からぁ?」


 だが、ゼペックはクリスの文句など耳に入らない様子だ。


「デニムは明日の朝にゴブリン退治をする予定なんだが、それまでに間に合いそうかゼぺック?」


 ブライ村長が尋ねるがゼペックは首をふる。


「無茶をいうな、徹夜したって無理だ。

 どのみち新しい鎧は大型のモンスターを相手にする事を想定したものだ。ゴブリン退治の役には立たねぇよ。

 で、剣もゴブリンを退治するには少々大ぶりだがどうするデニム? 少なくとも切れ味はお前が今使ってるものより数段上だが」


「いえ、後金が払えるのはゴブリン退治の礼金が入った後なので、終わってから受け取ります」


「なら鎧も明日の昼までに仕上げておいてやるよ」


「ちょっと! それ徹夜と殆ど変わらないじゃない!」


 必死の形相でクリスが悲鳴を上げたのとは対照的に、デニムの返事で気を良くしたのかゼペックの表情は少し緩んでいる。


「という訳だから、ちょっとこの男を借りるぜルルちゃん。

 そこの新顔の兄ちゃんも、いっぱしの防具でも欲しくなったら俺の店に来るといい。 俺の腕前はデニムが保証してくれるぜ」


 デニムは苦笑いで俺とゼペックに答えた。


* * *


 村長の道具屋を出るとすっかり日は落ち、はるか遠くの山を仄かに赤く染める僅かな明かりしかそこにはなかった。

 ランプを片手に村長は俺とルルを宿へ案内し、デニムはゼペックに引っ立てられるように彼の鍛冶場へと向かう。

 バンカーの宿は予想した通り、さっき馬車を止めた宿屋だった。ランプに照らされた看板には”寝転ぶウサリン停”と文字が彫られている。


 宿の戸を村長が開けると、一人の女の子がルルさんに向かって走って来た。


「ルルだー♪」


「あ、メルルだー♪」


 ルルさんはそう言うと女の子を両手で持ち上げてくるくる回ってから床に降ろす。

 二人共お揃いの金髪のツインテールのため、一見するとまるで歳の離れた仲の良い姉妹のようだ。


「久しぶりだねルルちゃん。

 デニムはどうしたんだい?」


 宿のおかみさんらしき女性がカウンターから話かける。


「ゼペックさんに捕まっちゃった」


 ルルが肩をすくめてみせる。


「あらあら、約束をすっぽかしてたからねぇ。

 ええっと、そっちの彼は見かけない顔だけど……」


「カイルです。

 今度デニムさんのパーティに入った者です」


 俺は軽く頭を下げる。


「ララよ。

 バンカーはまだ村の公衆浴場の掃除に行ってるけど、あんた達の泊まる部屋はあたしが用意しといたから安心してね。4人部屋で間に合うわよね?」


 ララさんはブライ村長の方を見て確認を求める。


「ああ、助かるよ。バンカーにもよろしく言っておいてくれ」


 ブライ村長は俺の背後から魔導弓にいたずらしようと手を伸ばしていたメルルを捕まえて、ララさんの元に運んで手渡した。


「明日はよろしく頼む」


 村長は最後にそう言うとルルさんと俺にそれぞれ握手をして去っていった。



         *      *      *



 俺は宿の部屋でベットに横になっていた。

 ”寝転ぶウサリン停”の寝具は決して高級とは言えないが、よく手入れがされているらしくフカフカの手触りの毛布や枕が心地よい。


「で、最近デニムとはどうなの?」


「ふふ、それがね……


 部屋の外からはメルルを寝かしつけたララさんとルルさんの話声がかすかに聞こえてくる。デニムもまだゼペックの鍛冶場から戻っていない。

 今、この部屋には俺一人だけだ。


「眠れないな……」


 俺は柔らかい枕に思いっきり顔を埋めた。


 適度に疲れているし、ララさんの作ってくれた夕食で腹も膨れている。普段ならあっさり寝れても良さそうなものだが、明日が俺の冒険者としての初仕事だ。

 ベテランの冒険者と一緒のゴブリン退治。変異種さえいなければ危険は少なく、冒険といえるかどうかも怪しい仕事ではあるが、不安と期待が混ざった高揚感が抑えられない。デニムから”明日は早いのだから先に寝ているように”と言われていたが、とても寝れそうにない。

 そういえばデニムもルルさんも、なぜ俺をこんなに信用してくれるのだろうか?

 魔法が使える者が少ないにしても、新人の冒険者をろくに値踏みもせずにパーティに加えたまま実力を疑うそぶりもない。身構えていたこっちが拍子抜けしている。


(……駄目だ、あれこれ考えていたら益々寝れそうにない)


 俺は最も退屈で眠たくなりそうな事を考える事にした。


(まず、門番してたのがダニーとクリスで、村長がブライさんでダニーの父親。

 村長の奥さんの名前……駄目だ思い出せない。

 それとダニーの弟らしき十歳くらいの子供がいたな、名前は憶えてないけど。

 鍛冶屋のゼペックさんがクリスの父親で、宿屋のおかみさんがララさんで、その娘がメルル)


 ……村長の奥さんと男の子の名前だけがどうしても思い出せない。


 俺は昔から人の名前を覚えるのが苦手だった。

 そのせいなのだろうか、思い出せない名前の事を考えていると、そのうち面倒になって眠たくなる。


「おいルル、先に寝てろって言っといたろ……」


 ドアの外でデニムの声が聞こえるのとほぼ同時に俺は意識を手放していた。

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