やり直した王女〜今度こそは、と決意した先にあったもの〜

もちもち

リトライ人生の始まり

慎重さよりも大胆に

1 アーデルハイトの過去

 はじめまして、みなさん。

わたくしは、アーデルハイトと申します。


 みなさんは、人生をやり直したいと思ったことはございませんか?

わたくしは、何度もございましたわ。


 何度も、何度も、やり直せたらと、そう思いながら過ごし、人生に幕を下ろしたのは18歳のときでございました。

そんな若さで人生の幕を閉じ、やり直しが出来たらなどとは、何があったのかと思われたことでしょう。


 わたくしは、アイゼン王国国王と王妃の間に生まれた第一王女でした。

アイゼン王国は、片側は海に、陸地は全てヴィヨン帝国に接しており、国力はあちらが上ということでございまして、定期的にヴィヨン帝国の皇女様がアイゼン王国へと王太子妃、ひいては未来の王妃としてお輿入れされておられました。


 毎回ヴィヨン帝国から皇女様をお迎えするのは、血筋が濃くなり過ぎるため、3代ほど間をあけるのが常なのでございますが、わたくしの父の代では皇女様がおひとりしかおられず、皇女様のお父君であるその当時の皇帝陛下がお輿入れをお許しになられなかったため、次の代へと持ち越されたと聞き及んでおります。


 父であるアイゼン王国国王には側室や妾はおらず、妻は王妃ただ一人。

その王妃との間には、第一王女のわたくしと、妹である第二王女しか子がおらず、継承権を有している他の王族もいないことから、当時3歳であった第一王女である わたくしを早々に立太子させ、ヴィヨン帝国から正妃様を母にもつ第三皇子殿下を婿にするとして、婚約が結ばれました。


 何故に立太子が早まったのかと申しますと、妹は、わたくしが3歳の頃に生まれたのですが、母である王妃はそのときに体調を崩し、次の子を望むことが難しくなり、生まれてきた妹もあまり身体が丈夫ではありませんでした。

それであれば、アイゼン王国国王が側室をもうければ済む話なのですが、アイゼン王国国王と王妃は恋愛結婚であり、妻を愛している国王は、第一王女である わたくしを立太子させることで、側室の話を拒否したのでございます。


 男女問わず立太子すると王太子となりますので、王女であるわたくしも王太子アーデルハイト殿下と呼ばれることになったのです。


 わたくしは王太子となったことで、あらゆる知識や教養、立ち居振る舞いなど、様々なことを詰め込まれていき、今までそばにいてくれた母に会うことも叶わず、父からは立派な女王となるべく甘えは許されないと、常に厳しい視線を向けられていました。


 あまりにも辛く、わたくしは一度だけ逃げ出したことがございました。

逃げて、逃げて、行き着いた先に見たのは、ゆったりと椅子に座った母と、その母に抱かれて嬉しそうに菓子を頬張る母に似た幼い女の子、そして、それを愛おしそうに見つめる父の姿でした。


 会えなかった母の姿をやっと見ることができたこと、そして、その母に抱かれている女の子は誰なのか、どうして父はその子を優しい目で見ているのか、わたくしがこんなに辛い思いをしているのにと、感情が溢れ出し、思わず駆け出してしまったのです。


 お母様から離れて!!

わたくしのお母様よ!!


 そう言って、母に抱かれていた幼い女の子の腕を引っ張ろうとする寸前で、わたくしは強い力で手を叩かれたのです。

わたくしの手を叩き落としたのは、父でした。


 どうしてお前がここにいる。勉強はどうした。お前に遊んでいる時間などないのだ、さっさと部屋へと戻れと怒鳴られ、使用人によって部屋へと連れ戻されました。


 そして、わたくしが勉強から逃げ出せないように、授業が終わるまで部屋には外から鍵がかけられ、窓には近衛騎士が配置され、与えられた課題が時間内に終わらなければ、食事もお茶もさせてはもらえませんでした。


 そんな日々を過ごして8歳になった頃に、静養のため離宮へ移っていた母である王妃が亡くなったのでございます。


 あの日、父に手を叩かれた、そのときが母を見た最後でした。

わたくしが母の死を知らされたときには、既に母は棺へ入れられており、お姿を見ることは叶いませんでした。


 母が入れられているであろう棺をペタペタと叩き、舌足らずな声で「かあたま?おっきしてぇ。ローズィに、えほんよんでぇ」と言っているのが、妹の第二王女ロザリンドであるということに気付き、わたくしは愕然としたと共に強い憎悪が湧き上がりました。


 わたくしがあなたの年頃には、そんな喋り方をすれば、どれだけムチで叩かれたか!!

発音が悪いと、話し方が幼稚だと、3歳になったわたくしに教師たちは、日々ムチを振るってきましたわ。


 いずれ女王となるのだからと、感情を覚られてはならないと、常に同じ微笑みを貼り付けさせられ、言葉からも感情を読み取らせないようにと、話し方まで管理された、そんなわたくしが陰で何と呼ばれているか、わたくし自身が知らないとでも思っているのですか!?


 抑揚のない喋り方をする、微笑んだまま表情の変わらない、無感情な喋るお人形ですわ!!

わたくしをこうしたのは、誰なの!?あなたたちでしょう!!

 

 そして、わたくしが10歳になる頃に、婚約者であるヴィヨン帝国第三皇子殿下が留学されて来られました。

お出迎えした中には、もちろん7歳になった妹のロザリンドもおりましたが、そわそわして落ち着かず、それを周囲は微笑ましそうに見ていましたわ。


 出迎えた際に、わたくしが挨拶をする前にロザリンドが「わぁっ、素敵な皇子様〜」と声をあげてしまったのですが、それを第三皇子殿下は眉を顰めただけで流し、わたくしの挨拶を促してくださいました。


 しかし、そんな気遣いをしていただけたのは、その1回限りでございました。


 第三皇子殿下は、無感情な喋る人形などと陰で言われているわたくしよりも、表情がくるくる変わる愛らしいロザリンドを可愛がるようになられたのですわ。

父から何故もっと愛想良く出来ないのかと叱責され、お前のような者といれば、殿下も気疲れするだろうと、殿下のお相手はローズィにさせるから、お前は勉学に励むようにと言われました。


 そんな生活が2年ほど続いた頃でした。

アイゼン王国の沿岸に一隻の大きな船が現れたのは。


 その大きな船は、海の向こうにあるテルネイ王国のもので、新たな貿易相手を探すべく海に出たところ、途中で嵐に巻き込まれて、ここへと流れ着いたそうです。

その大きな船は、ヴィヨン帝国にもない技術で造られていたそうですが、その技術を手に入れるためにテルネイ王国の者を自国に招き入れることをしたくなかったヴィヨン帝国の皇帝陛下は、アイゼン王国国王にテルネイ王国と友誼を結ぶよう仰せになられたのだとか。


 テルネイ王国としても新たな貿易地に自国の姫が輿入れするのは歓迎だとして、攻め込むのではなく、アイゼン王国と同盟を結ぶことを選択したようです。


 そして、わたくしが13歳になった頃に、テルネイ王国から16歳の艶やかな姫様が、わたくしの父であるアイゼン王国国王のもとへとお輿入れされ、それはそれは盛大なご成婚パーティーが開かれました。

わたくしも婚約者であるヴィヨン帝国第三皇子殿下にエスコートされて会場に入りましたが、挨拶に回ったあとに一人で放置されるのは、いつものことでした。


 婚約者である第三皇子殿下は、わたくしを放置し、ロザリンドと楽しげに談笑されておられましたが、周りは誰もそのことを咎めず、微笑ましく見守るばかりで、わたくしには「無感情なお人形では、婚約者のお心を引き止めることは無理なこと」と、蔑んできました。


 しかし、第三皇子殿下がどれだけロザリンドと仲良くしようとも、王太子なのはわたくしで、甘やかされて育ったロザリンドでは女王になり得ない。

そのことだけが、心の支えでした。


 母との思い出も、父からの愛情も、婚約者からの好意も、臣下や使用人たちの優しさも、全てロザリンドの元にあろうとも、王太子の地位だけは、わたくしのものだったから。


 でも、その王太子の地位すら、わたくしは取り上げられることになりました。


 ヴィヨン帝国のお隣の国、アイゼン王国とは反対側に位置する国で、感染病が流行し、正妃様を母に持つ皇太子殿下(第一皇子)がお亡くなりになられ、側室様からお生まれになられた第二皇子殿下は、子をなせない身体になってしまわれたと、ヴィヨン帝国から使者が参られて、そう告げたのです。


 側室様からお生まれになられた第四皇子殿下は、お母君の領地へと行っておられて、ご無事だったそうなのですが、皇帝陛下は正妃様を母に持つ第三皇子殿下を立太子させ、第三皇子殿下は皇太子殿下となられたのでございます。


 何故、王太子のわたくしと婚約していた第三皇子殿下が、その契約を反故にしてヴィヨン帝国の皇太子になれたのかといいますと、ヴィヨン帝国との国力の差があり、その勅命に逆らえなかったからではございません。


 テルネイ王国からお輿入れされたお姫様が王妃様となり、父であるアイゼン王国国王との間に王子を生んだからです。

待望の男子ということで、アイゼン王国は沸きに沸き、喪に服していたヴィヨン帝国からもお祝いのお言葉やたくさんのお祝いの品が届けられました。


 そして、皇太子となられた第三皇子殿下が婚約者に選んだのは、ロザリンドでした。


 秘めたる恋を成就させたと、アイゼン王国、ヴィヨン帝国、テルネイ王国でも祝福され、ロザリンドは嬉し涙を浮かべ、笑顔は輝いていました。


 しかし、その恋の成就の裏で、邪魔になったわたくしが、どうなったと思いますか?


 ヴィヨン帝国皇帝陛下の妻である正妃様からお生まれになった、第三皇子殿下の兄君であらせられる、亡き皇太子殿下(第一皇子)暗殺の冤罪をかぶせられたのです。


 正しい順序は、ヴィヨン帝国に感染病が持ち込まれる、皇太子殿下(第一皇子)が感染し死亡、第三皇子殿下とわたくしの婚約が一旦保留、アイゼン王国王子誕生、第三皇子殿下がヴィヨン帝国にて立太子すると共にわたくしとの婚約が白紙撤回、第三皇子殿下とロザリンドが婚約。


 世間に公表されたのは、アイゼン王国王子誕生、立場を脅かされたアーデルハイト(わたくし)が婚約している第三皇子殿下をヴィヨン帝国にて立太子させ、ヴィヨン帝国皇太子妃となるために、皇太子殿下(第一皇子)の暗殺を目論んだ、です。


 冤罪で処刑されたので、わたくしは18歳で人生に幕を強制的に下ろすことになりました。


 わたくしが何をしたというのでしょうね。


 王太子とはいえ、ただの小娘が、ヴィヨン帝国皇太子殿下を暗殺できるなどと、本気で思っている人なんて、ほとんどいなかったと思いますわ。


 しかし、ヴィヨン帝国がそうだと言い、アイゼン王国がそれを認めてしまえば、それが事実になってしまうのです。


 どうして、わたくしを処刑したのか不思議ですか?

婚約は白紙撤回されているのですから、ロザリンドを選んでも問題ないのにと、そう思いますよね。


 わたくしを亡きものにしたのは、異母弟である第一王子を王太子にするためです。

女王となるべく育てられた、立太子している成人の第一王女がいては、第一王子を王太子にするのが難しかったからではないかしら。

「無感情なお人形」と陰口をいわれている以外にこれといった瑕疵のないわたくしを引きずり下ろすには、それなりの理由が必要だったのでしょう。


 せめてものなさけだと、苦しまずに逝けるという毒を与えられましたが、どこに情があるというのでしょうね。

罪悪感を軽くするために、そうしただけで、真にわたくしのことを思っているのならば、このようなことをしたりはしないでしょう。


 結局は、わたくしの人生をめちゃくちゃにした挙げ句、要らなくなったからゴミのように捨て去ったのよ。

絵描きが手を加え過ぎて失敗した絵を切り刻んで焚き付けに使うような、そんな感じだったのでしょう。

 

 執行人が監視する牢屋にて、毒を含んだわたくしは、苦しみ悶えながら、人生の幕を下ろしたのでした。


 享年18歳。

何が楽しくて生きてきたのか分からない人生だったわ。

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