推しのハッピーエンドのために婚約解消に尽力したら、全方位幸せになりました。たぶん。
彩瀬あいり
01 現実はゲームのようにうまくいかないらしい
目の前で繰り広げられているラブシーンに、心臓をつかまれたような衝撃を受ける。
愛を囁き、寄り添う一対の男女。
整った顔立ちをした艶めく金髪の男と、明るい栗色の髪をハーフアップにした女が、緑あふれる裏庭でひっそりと見つめ合う。それはさながら、ロマンス小説の一場面のよう。
ただここで問題なのは、女の腰に手をかけている男が、自分の婚約者であるということだ。
――殿下、どうして……。わたくしに、そのような瞳を向けてくださったことなどありませんのに。
心の奥底で悲痛な叫びをあげるなか、
――え、嘘やん。あれはまごうことなき、王子ルートに出てくるイベントスチルやーん!
*
どうやら私は、昨今のネット小説ド定番『乙女ゲーム転生』を果たしたらしい。改めて周囲の景色を見渡してみれば、既視感がすごい。既存作品をモチーフにしたテーマパークに迷い込んだら、こんな気持ちになるのかもしれない。
キャラデザを人気少女漫画家が手掛け、シナリオ原案は女性向けの小説を多く執筆している小説家が担当したことで、発売前から話題になったゲームだ。のちにキャラデザご本人の手によってコミカライズ化し、原案小説家によるノベライズも発売された。
内容はシンプルで、他のゲームと明確な差はないんだけど、メディアミックス作品のクオリティが半端なかった作品である。
ざっくり説明すれば、ヒロインは庶民で、魔法の才能を買われて王立学院へ入学。貴族の子どもたちが集まる学び舎で異彩を放ち、常識や価値観のギャップで男たちを篭絡していく超ベッタベタなやつ。
いわゆる『悪役令嬢』も登場する。これは原案の人がネット小説出身ということにも起因するだろう。古き良き乙女ゲームというよりは、創作物に氾濫する「なんちゃって乙女ゲーム」を本当にゲームにしたかんじ。ヒロインによろめく王子の婚約者であるブルイエ侯爵令嬢、エルヴィーラが私だ。
悪役令嬢に転生するとは、これまたベタな展開だわーと思うところ。ヒロインをイビりまくって、最終的に、衆人環視のもとで婚約破棄を告げられるところまでお約束で、つまり転生した私は巻き返しをはかるべきところなんだけど、ここからがすこし定番とずれている。
*
「おーい、エルヴィーラちゃーん。泣いてないで、ちょっとは話聞いてよー」
現在、私の中にはふたつの人格が存在している。もともとのエルヴィーラと、日本人の記憶を持つ私だ。
転生ってふつう、前世を思い出したら、それまで生活してきた意識と融合するものでは? それとも私が知らなかっただけで、じつは旧人格は奥底に封じられていただけなんだろうか。
だってさー、エルヴィーラちゃん、めちゃくちゃ気弱でおとなしいんだよ。悪役令嬢が尻尾巻いて逃げるぐらい、深窓のご令嬢のお手本、みたいな楚々とした女の子なの。ゆるふわの金髪を腰まで伸ばした姿は、こっちのほうがヒロインじゃね? ってかんじだけど、悪役令嬢らしくちょっと釣り目気味。でも眉は下がりがちなのできつい印象はないという、絶妙なバランスの顔立ちをしている。うらやましい。
そんな内気なティーンエイジャーの中に、世間の荒波に揉まれた社会人女の意識がやって来たら、そりゃ気力で負けるよね。仕方ない。
ショックのあまり縮こまっているエルヴィーラちゃんはさておいて、ここで状況のおさらいをしてみようと思う。
さきほどのシーンは、ある程度まで好感度が上がったら発生するイベントだ。そして、ここからエルヴィーラのヒロインいじめが始まる。ヒロインと王子の仲が深まることがフラグになっている、ということだろう。現実的に考えても「いままでは大目に見ていたけど、さすがに捨て置けなくなった」と思えるタイミングだしね。
この世界、魔法は誰でも使えるわけではない特殊技能。魔法研究所という国営機関があるので、ある意味将来を約束されたも同然の立場だ。まあ、魔法使いの中にも当然優劣はあるんだけど、使えるだけで一般人との差異がある。
だからこそ、魔法の素養があるヒロインは学院に入っているし、のちに貴族の後ろ盾を得て、貴族位の攻略対象と並び立つ地位を手に入れられるわけだ。ちなみにエルヴィーラに魔法の才はないので、嫉妬からイビる設定ね。
でもなー、エルヴィーラちゃんが誰かを攻撃するとかありえないでしょ。めっちゃ低姿勢だもんよ、この子。
私の中にある記憶から考えても結びつかない。居丈高に「わたくしの婚約者になにをなさっているの、平民上がりのくせに」とか言う?
いやー、ないないない。むしろ「苦労していませんか?」と手を差し伸べるほうだよ。
善意からの行動を、悪意を持って捻じ曲げて、悪役令嬢に仕立てあげられるパターンかといえば、そういうわけでもないっぽいんだよね。だってプレイ中に出てくるもの、エルヴィーラが不遜に言い放つ姿が。何度も。
ネット小説におけるテンプレキャラが、本当にゲームに登場するということで逆に人気があったので、エルヴィーラとして存在していることは結構うれしいんだけど、いちばんにして最大の欠点は、婚約者がアレってことだよね。だって私、王子キライだったし。
メインヒーローであるマール殿下。彼には年子の弟殿下がいるんだけど、こっちのほうがデキがよくて、比較され続けてすねちゃった系王子なんだよね。この卑屈っぷりがヒロインとの出会いで改善されていくわけだけど、私は全然ときめかなかった。面倒くせえなこの男、って思いながら選択肢押してた。間違うとへそ曲げて去っていくから、コントローラー投げたくもなった。ゲームのキャラなら他に推しを見つければいいんだけど、今は唯一の相手なわけでしょ? えええ、無理。
「……いや、待てよ。チャンスじゃん。向こうから振ってくれるんだから、卒業まで待たずにさっさと解消しようよ婚約」
そして私は、このゲーム世界を満喫するのだ。他のキャラ探しに行こうぜ。会いたいひと、いるんだよね。
――ま、待って、ください。解消、なんて、そんなこと。
私が握りこぶしをつくったとき、内側でエルヴィーラちゃんが声をあげた。あ、よかった、生きてた。
「でもさ、エルヴィーラちゃん。マール殿下には苦労したでしょ。あのひと、すぐ自虐ネタぶっこんでくるしさあ、うざいよね正直」
――そのようなっ。ご立派な陛下のもと、殿下は王族男子としての重圧に耐えていらして。
「いや、それは弟殿下も一緒じゃん。むしろ一年ハンデがあるからこそ、王太子になれるようにと頑張ってるじゃん」
――それ、は、そう、かもしれません、が。
国王は賢王と名高い御方で、なにを隠そう、腐りきった国王(伯父)を討って王座に就いた経緯がある。そのため、王位継承に関しても実力主義を掲げているし、自分が腐敗することがあれば遠慮なく討て、とも公言している。眩しいほどの英傑。文武両道を地で行く、漫画の主人公みたいなひとなのだ。あれが父親だとすれば重圧は半端ないだろうと思うので同情の余地はあるけど、だからといって、こっちが面倒をみる筋合いはないでしょう。ご家庭で解決していただきたい。十代の女子に押しつけないで。
――ですが、五歳の折より殿下とは縁を結び、こうして十七歳まで、わたくしたちはともに歩んできたのです。
うん、そうだねえ。知ってる。落ち込むマール殿下を素直に褒めたのが、エルヴィーラなのだ。
幼女時代のエルヴィーラちゃん、まじ天使ってぐらいかわいいんだけど、そんな天使が「まーるさまはがんばっておられます」とか言うわけですよ。即落ちですよね。マール殿下も茹でたオマール海老のごとく真っ赤になるというものですよ。王子チョロイ。
以降、エルヴィーラはヨイショを続けた。マール殿下を誉め、持ち上げ続けた。そのあげくが、他の女によろめいて婚約破棄を叩きつけるとか、むごすぎる。婚約破棄の未来が覆らない(むしろ覆らなくていいと思うし)のであれば、遠慮なくやろうよ。
――やる、とは?
「大丈夫。やるっていっても、
――ひっ!
身体を共有しているだけに、私のイメージは伝わったらしく、エルヴィーラちゃんは悲鳴をあげた。かわいい。
「任せて。こちとら、婚約破棄ものも悪役令嬢ものも、腐るほど読んできた身。前世知識を総動員して、完璧なる悪役令嬢を演じてみせようじゃないの!」
しかし、現実はゲームのようにうまくいかないらしい。
タイミングが合わない。ヒロインはマールと一緒にいることが多いので、彼女ひとりだけを攻撃する機会がないのだ。おまけにカリキュラムが違う。魔法科は教室も離れている。授業の合間にバッタリ、みたいなことは起こらない。
あ、ちなみにマール殿下も魔法は使えません。でも弟はちょっと使える。これもコンプレックスを刺激する要素になってる。
おかげで、あれから二ヶ月ほど経過したけど、まったくもって進展がないときた。困ったねこりゃ。
「もうこうなりゃ、校舎裏に呼び出しかなあ」
――そこにはお話ができる場所はありませんわ。カフェのほうがよろしいのでは?
「タイマンで喧嘩するんだから、カフェでのんびり茶をしばくってわけにはいかないよ」
――怠慢? 不甲斐なくて申し訳ありません。あなたにご負担をおかけして。
「やだ、この子、ほんとにかわいい」
汚れきった己が恥ずかしくなるほどに。
エルヴィーラは高潔なる令嬢なので、ヒロインと対峙するときは常にマンツーマン。取り巻きなんて連れてこない。そういうところがカッコイイと言われていた。
凛としていて気品があり、そういう爽やかなオーラが私の内側に内包されていることがわかる。むう、騙し討ちはエルヴィーラっぽくないよなあ。どうしたもんだか。
そのときである。
「お困りのようだね、レディ」
唐突に声が降ってきた。
やばい、侯爵令嬢にあるまじき口調の独り言、聞かれた?
動揺を態度に表さないように細心の注意を払い、ゆっくりと振り返る。
時刻は放課後、私がいるのは、ひとの気配がしない校舎端の階段下。相手は、傾いた日差しが降り注ぐ踊り場で、陽光を背に立っている。光のせいで白く飛んだ金髪が目に眩しい。
足もとまで届く裾の長いマント。その衣をまとうのは魔法に携わる者だけであり、魔法科の生徒は授業中のみ着用する。日常的に羽織っているとなれば、該当しそうなひとは一人だけ。
「……マスグレイヴス・アドミトラル」
魔法科の臨時講師にして、日々あやしい実験を繰り広げていると噂の名物男が、きらめく笑顔でこちらを見下ろしていた。
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