洋バサミ
あべせい
洋バサミ
とある観光地のガラス工芸博物館。
その一画に、さまざまなガラス工芸品を並べ、展示即売をしているコーナーがある。
そこに年の差カップルが訪れ、あれこれ品物を物色している。
「おい、これなンか、どうだ?」
夫の乙川(おとかわ)が妻の麻未(あさみ)に、かわいいガラスのスプーンを手にとって尋ねる。ティースプーンほどの大きさだ。
「ダメ。それはダメ。使っていたら、その柄の根元がすぐに折れるの」
「ヘェー、これ1500円もするンだゾ」
と、2人の背後から、
「その話はタブーです。要は使い方次第なンです」
「?……」
カップルが振り返ると、店員らしい若い男の戸月(とつき)が、カップルが話題にしているスプーンを手にとって話す。
「これは繊細な作りになっていますから、金属や陶器の器のなかで使うようにはできていません。水ぐすりや薬品を一定量、取り分けるのに便利なように、スプーンの内側に0.1cc刻みで目盛りが刻まれています」
麻未がスプーンの中を見て、
「あらッ、ホント! わたしが使っていたのとは違う」
「そうでしょう。これは最近開発したもので、ほかでは手に入りません。それに、繊細といっても、普通に使う分にはなんの支障もなく、このように多少乱暴に扱っても、壊れるものではありません……」
そう言って、戸月はスプーンで陳列用のガラステーブルをコンコンと叩く。
「ホント、あなた、買って帰りましょうよ」
亭主が相槌を打ち、
「そうだなァ。ガラスのスプーンだから、中身が下からも見えて便利だ。うちの薬局に、2、3本欲しい」
「ありがとうございます」
戸月が言ったその瞬間、スプーンの柄の細くなっているところが、ポキッ! スプーンの丸い先端部分がテーブルに落ちた。
「あらッ!」
「アッ!」
戸月は、呆然として言葉が出ない。
乙川は妻の麻未を労わるように、
「おまえの言った通りだ。このスプーンはまだ開発途上だ」
カップルがその場を立ち去ろうとすると、戸月が搾り出すように声を発した。
「お待ちィ、ください!」
乙川と麻未、思わず足を止め、振り返った。
「何か?……」
「このままお帰りになられては、こちらの信用にかかわります」
「どうしろと……」
麻未は戸月を見つめる。
戸月は製品を並べているテーブルの下から、ペンシルケースのような細長いジュラルミンケースを取り出した。
ケースの端から、電気コードが延びている。
「これはまもなく商品化する器械ですが、特別にお分けします。いまのように、ガラスのスプーンの柄が破損した場合、このケースの中に入れていただきますと……」
ケースを開くと、中にスプーンがちょうど納まる形のくぼみがある。戸月はそこに柄の折れたスプーンをはめ込み、ケースを閉じ、ケースの脇にあるスイッチを押した。
「しばらくお待ちください」
数分後、「チン」という音が鳴り、戸月はケースを再び開く。
「アッ!」
麻未は目を見張る。
ケースの中の折れていたはずのスプーンが、元通り修復されている。
「手品ですか?」
「いいえ、奥さま。これは科学です。ガラスは高温で融けます。その性質を利用しているだけです」
「これがあれば、何度壊れても、元に戻せるンですね」
「その通りです」
「あなた、これがあれば、ガラスのスプーンは半永久的に使えるわ」
麻未に同意を求められて、乙川も仕方なく、
「そうだな……」
相槌を打つが、何か釈然としない。
「これは、スプーンと一緒にもらえるンですか?」
「ですが、さきほども申し上げましたようにまもなく商品になるもので、特別にお安くお分けします」
「?……サービス品ではない?」
と、乙川。
「特別にお安くして、一台2万円、ちょうだいします」
「!? このスプーンは1500円でしたね。それに2万円ですか」
「来月から、3万円で売り出す予定です」
「おい、帰ろう」
乙川が腹立たしいという顔付きで、麻未の手を引く。
「そうね。お邪魔さま」
麻未も踝を返す。
「お待ちください」
麻未は立ち止まり、振り返る。
「何か?……」
「このままお帰りになられては、こちらの信用にかかわります」
戸月は、テーブルの下から、さきほどのケースとは色は異なるが、同じような形と大きさの黒いケースを取り出す。
「それは何ですか」
麻未は興味を示す。
戸月がケースを開くと、中からジャムを詰めるような大きさの瓶と、小さな刷毛が現れる。
「瓶の蓋を開け、この刷毛に瓶の中の透明の液体を塗りつけます。そうして……」
戸月はテーブルにあるガラスのスプーンを一つ手に取り、
「このスプーン全体を、刷毛で撫でまわします」
「スプーンにその液体を塗るということ?」
麻未は、戸月の手馴れた手つきに見入っている。
「そして、1昼夜、寝かせます。それが……」
戸月はそう言って、袱紗に包まれたものを開いた。
「まァ!」
麻未が小さな感嘆の声を漏らす。
現れたのは、それまでと同じガラスのスプーンなのだが、なぜか光り輝いている。実は戸月は、テーブルライトの位置をうまく調整して、そのスプーンに最も強く光が当たるようにしていた。
麻未はそのスプーンを手に持って、
「きれいね。光り輝いている。タネ明かしをして頂戴」
戸月は予想していた反応に満足したようすで、
「特殊なアクリル樹脂でコーティングいたしました。ガラスの透明感にアクリルの強度を加えたわけです」
「これなら、折れる心配はないというわけか」
乙川も、関心を示す。
「実験した結果、金属製のスプーンと何ら変わりありません」
「これ、おいくら?」
「2千円」
「安い。それがあれば、どんなガラス製品でも丈夫に作り変えることができる」
乙川は黒いケースを手に取り、
「これをひとつ、もらおう」
戸月は驚いて、
「ご冗談を。2千円というのは、このコーティングしたスプーン1本のお値段です」
「高いわ」
麻未は思わず、吐息をもらす。
「帰るゾ!」
乙川はかなり立腹したようすで、踝を返す。
「そうね」
麻未は夫に続くが、戸月が背後から、そっとその麻未の手を掴んだ。
「アッ」
麻未は、小さく叫んだが、戸月の手を振り解こうともしないで、立ち止まって振り返る。
そして、戸月に近寄ると、
「ダメでしょ。約束が違うわ……」
そう言って、体の陰で、戸月の手を握り返す。
戸月は、相変わらず、
「このままお帰りになられては、こちらの信用にかかわります」
と言い、離れた売り場で商品を物色している乙川を監視しながら、麻未の耳元でささやく。
「予定を変えます」
「エッ!?」
「明日、決行です」
「そう……」
麻未は10メートルほど先にいる乙川を見つめたまま、話し続ける。
「もうすぐあのひとの娘が、1年ぶりに関西からやってくる。そうしたら、おしまいよ。わかるわね?」
「はい」
乙川が手を振っている。何か、おもしろいものを見つけたらしい。
麻未は、手を振ってそれに答える。
戸月は、乙川に背を向けたまま、
「お嬢さんが、いまの父親の状態を見れば、どうなるか……恐らく、怒り狂うでしょう。娘が遠く離れているのをいいことに、1年もたたないうちに、女房然としている女性がいるンですから」
麻未はようやく歩を進める。これ以上、戸月のそばにいることは危険だ。
「もう、行かなくては。あなたはついてきちゃダメ……」
「明日の夜のことを、もう少し話させてください」
「あとで返事するから。もう一度、そうね……こんどは、ガラスの急須でも勧めたら。あのひと、お茶に目がないから。じゃ……」
麻未は小走りで乙川のもとへ。
乙川は手にしていたものを、駆けつけた麻未に示す。
「おい、これはどうかな?」
「なに、コレ。ガラスの爪切りじゃない。こんなもので切れるの?」
麻未は、ガラス製の爪キリを見て、微笑む。
「それが切れる、驚くほど切れる。『どうぞ、お試しください』とあったから、おれのゴツイ親指の爪を切ってみた。そると、この通りだ」
乙川は、きれいに切り揃えられた指の爪を示す。
「どうだ、すごいだろ」
そこへ、さきほどの戸月が現れる。
「お客さま」
乙川が振り返る。
「なんだ、またきみか」
乙川は不満顔を見せる.
「妻に、しつこく何か売り込んでいたようだな」
麻未は、ニッコリと戸月を見て、
「あなた、この戸月さん、ガラスの急須を勧めてくださったの」
乙川は、納得して、
「ガラスの急須か。それなら、いくつも持っている」
「でも、こちらのは、持ち手のツルの部分もガラスですって」
「それは珍しい。見せてもらおうか」
戸月は、慌てず、ユニホームのポケットから、ハンカチにくるまれた細長いものを取り出す。
「急須は生憎、完売いたしまして、いま急いで作らせております。その代わり、こちらをどうぞ……」
ハンカチを開くと、中から、
「ナイフか」
乙川はすかさず、手にとって握る。
ペーパーナイフの形をしているが、切っ先は鋭い。
「ご主人、これはペーパーナイフとしてお売りしていますが、肉もよく切れます」
麻未は、そう話す戸月の目を見つめている。
「じゃ、それをもらおうか」
乙川が言うと、麻未が不愉快そうに、
「それは、展示用なのでしょう?」
戸月は麻未を見て、首を横に振り、
「奥さま。さきほどのお詫びです。どうぞ、おもちください」
「そうか。娘が喜ぶ。いい土産になるぞ」
乙川がペーパーナイフを持って、テーブルにある紙切れを切ってみせる。まるで金属製のナイフのようによく切れる。
「ご主人」
「?」
乙川が振り返る。
「お嬢さまのお土産でしょうか?」
「そうだが……」
「では、もっとお喜びになるものをご用意します。お待ちください」
戸月はそう言って姿を消した。
「何かしら?」
「娘の趣味がわかるというのか?」
まもなく戸月が、小さな箱を持って戻ってきた。
箱を開けると、中から……、
「まァ!」
「よく出来ている」
ガラスの洋バサミだ。
「ペーピーナイフに優るとも劣らない切れ味です。どうぞ、セットでお持ちください。お子さまが小さいうちはあまり使い道がないかも知れませんが、大きくなるに従って、いろいろと重宝する刃物でございます」
「キミ、うちの娘はこどもじゃないよ」
乙川が苦笑いして答える。
「これは失礼いたしました。奥さまが余りにも若くて、美しくいらっしゃるので……」
「これは、後添えだ。娘は亡くなった妻の子だよ」
「わたしたちにだって、これから出来るでしょう?」
「そりゃ、そうだが……」
「お嬢さまはおいくつですか?」
「25。家内より2つ下だ」
戸月、黙ってしまう。
おかしい。話が違う。娘は、奥さんより2つ上のはずだ。おれは騙されていたのか。
戸月は麻未を見た。
麻未は、素知らぬふりをしている。この女から確かに聞いた。
「あの娘は、わたしより2つ上なの。だから、結婚に反対するのは目に見えている」
娘に直接、確かめなかったおれがバカなのかも知れないが……。
その夜、旅館の一室。
夕食を終えた年の差カップルが、丹前を着て座卓の前で談笑している。
座卓の上には、ガラス工芸博物館でもらったペーパーナイフと洋バサミが置かれている。
「この温泉街に来るのは、これで4度目になるが、ちょっと来すぎたかな」
「そうね。3ヵ月に一度は多いかも」
「初めてこの温泉街に来たときは、娘も一緒だった。あいつは、同じ旅館はいやだと行って、別のホテルにひとりで泊まったが……」
「あのときがあなたと初めての旅行だったわ。でも、お嬢さんは、この街が気に入った、って言ってらしたのでしょう」
「そうだ。勤務先の社員旅行も、機会があるたびに、この温泉街に決めている、と聞いている」
「それで、飽きないのかしら。何か、特別なものでもあればわかるのだけれど」
「おまえはどうなンだ」
「わたしは、こんどが最後になってもいいわ。いつも同じ旅館だから、買い物も同じところだし……」
「きょうのガラス工芸博物館も4度目。ただ、あの店員と話をするのは、きょうが初めてだった。おまえは、2度目だろう?」
「どうして?」
麻未は意外だという顔をして夫を見た。
「2度目に来た去年、おれがトイレから戻ってくると、2人で親しそうに話していた」
「そうだったかしら?」
麻未は内心、ドキリとしている。
「おれは、おまえがあの戸月と、とんでもないことになっているンじゃないかと、いらぬ心配をしたほどだ」
「あなた、酔っているの?」
麻未は微笑みながら、乙川の顔を覗き見る。
「焼酎を少し飲んだだけだ」
「それに、お薬も飲んだでしょ……」
乙川は焼酎の入ったグラスを片手にしゃべっている。
「あれは、睡眠導入剤だ。最近、寝つきが悪くてな。薬局をやっている人間の役得だな」
「こんど3店舗目の薬局を開く、ってホントなの? 従業員から聞いたけれど」
「検討中だ。おまえとの結婚を含め、一度、いろいろ娘から意見をきくつもりにしている」
「そォ……お嬢さんとは明日、この旅館で合流するンでしょ」
「大阪から来るからな」
「お嬢さんが反対すれば、わたしどうしたらいいのかしら……」
麻未、暗い表情で下を向く。
「なにを心配しているンだ。婚姻届けは、(傍らのセカンドバッグを目で示し)そこに、いつも入っている。署名はしてあるから、あとは役所に届けるだけだ。明日、この温泉街の役所に届けても、すぐに受理される」
「そうだけど、お嬢さんは、父親が、自分と2つしか違うわない女と再婚するのには反対なンじゃないかしら」
「反対されても結婚は本人たちの合意のもと、って憲法にもあるだろう。娘の意見をきくのは、形式上だ。娘の立場を尊重しておきたいからな」
「お嬢さんに恋人はいないの?」
「いるらしいが、よくわからん」
「勤務先のひとは?」
「わからん。ただ、こんどは、その男にも会うことが目的らしい」
「そォ、やさしいひとだといいのだけれど……」
「ひとっ風呂、浴びてくるか」
乙川が立ちあがる。
「大丈夫? お酒、飲んでいるのに。あなたにここで死なれたら、わたし、どうしたらいいの?」
「おれはまだ50前だ。人間ドックの結果も、すべてヨシだった。おまえもあとで入るだろう?」
「ええ」
「じゃ……」
乙川、タオルを手に、出ていった。
数分後、ドアと和室を隔てる襖が開き、あの戸月が現れる。
「早いじゃないの」
麻未は、怪しむが、愛人に会えてうれしい。
「早くはないよ」
「でも、明日の夜、寝静まった頃、この部屋に強盗に来て、あの人と争いになり……」
「そのつもりだけど、いまはキミに無性に会いたくなった……」
戸月は麻未を抱き寄せる。
「そんなこと言って……」
麻未は力を抜き、戸月に体を預けた。戸月の呼吸が激しくなる。
そのとき、突然、襖が開いた。
乙川だ。戻ってきたのだ。乙川に背中を向けている戸月は微動だにしない。
麻未は、戸月の肩越しに乙川を見て、慌てて戸月を押しのけようとした。
しかし、戸月は離さない。
乙川は逆上して、
「オイ、おまえたちはいったい、いつからなんだ! 前々から怪しいと思っていたが。夕食前に、おれの携帯に匿名のメールがあったンだ。『夕食後、お風呂に行くと行って、奥さまをひとりにしてみればいい。奥さまが浮気をしているところがご覧になれます』とな。入籍を急いでいるのは、やはり財産狙いか。そうはさせンぞ!」
乙川はテーブルの上のナイフを見た。
麻未も見る。
乙川がナイフに飛びついた。
その瞬間、戸月は麻未を、ナイフを突き出している乙川のほうに突き飛ばした。
「ギャーッ!」
断末魔の声が響く。
麻美の背中に、ペーパーナイフが深々と突き刺さっている。
「ご主人、なんということをするンですか!」
戸月はそう言いながら、洋バサミを逆手に握り締めている。
戸月は考える。
乙川は麻未の浮気現場をみて、嫉妬に狂って刺した。ここまではいい。おれは、おれのほうに向かってきた乙川を、このハサミを使って防戦した。
恐らく正当防衛が認められるだろう。ハサミで計画殺人を疑うものは少ない。
当初は、明日、婚姻届けを出し、その夜、侵入して、ペーパーナイフでこの男を始末する計画だった。しかし、麻未が年を誤魔化したのが許せなかった。
もともと娘のほうが、すべてにおいて都合がよかったのだ。だから、計画を変更した。この男の携帯にメールをして……。
この男の資産が、すべて明日現れる娘のものになれば、おれは、その半分がいただける。その娘も……。
(了)
洋バサミ あべせい @abesei
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