其之陸 討ち入り【戰國篇・第六段】

「いざ進め!急ぐのじゃぁ!……義就めに感づかれてはならんぞ!」

 月が木綿の様な雲に隠れているために月明かりもない深夜の京の町の大通を、政長勢は突き進んだ。将兵達は皆右手に松明を持ち、「密かに行け」という命令とは矛盾するが、走っているために出る鎧の鉄板のぶつかり合う大きな音をたてながら通を南下した。そして松明から焦げ臭い匂いと煙の匂いと脂の匂いと光を出しながら騒がしく進んでいる為、京の民達はすっかり起きてしまった。昼間同様、民達は戸の隙間から通りを覗き見た。見ると昼間の軍勢が深夜の行軍をしているのである。余程な理由がない限り、深夜の行軍は避けられるものであった。それは武士も民も知っていることである。故に民はこの状況を重く捉えた。この戦には“余程”の事情があるらしいからである。簡単に言うと夜討ちか、謀叛なんかが起きるのではなかろうかと言う恐怖を民は感じたのである。昼間に御所巻きをしようとしていた輩が深夜の行軍をしているのだから尚更である。

 横に御所が見える。ここで断っておくが、これは花の御所のことでは無い。帝の座す皇宮のことである。

「御所じゃ……。じきに着くぞ!存分に戦い、存分に焼き、存分に殺せ!……ありとあらゆるものを破壊し尽くせ。生存者を残すな。柱の一本、畳の井草の一房も残してはならぬ。」

 政長の目はもう完全に壊れていた。怒りで我を見失っている。それを見た家臣達は震え上がったが、彼らもまた政長の狂気の渦にいつのまにか飲まれてしまって、政長のその様子がおかしいなどとは思えなくなった。その狂気の渦は下々の者に至るまで広がった。そして、とてつもない破壊衝動に皆が皆駆られるようになったのである。これが、戦の恐ろしさだ。戦っているうちに、又は戦いに向かう道で、殺すことも破壊することも恐ろしい程楽しいものと成る。一種の快楽とも言えよう。

 ここは義就邸。かつて政長の屋敷であった建物だ。さすが管領の邸宅とだけあって、京の武家屋敷の中でも指折りの広さである。大小様様な入母屋破風が連なり、檜皮葺きの屋根は手入れが行き届いており、苔も黴も生えていない。それどころか鳥の羽や塵一つも見当たらない。その屋根の下には沢山の座敷があり、その中では深夜といえど、灯火が闇を照らし、部屋の前の廊下には武装した兵士が胡座を描いて寝ている。門の両傍にも兵士が薙刀や槍を持って突っ立っていた。

「ああ……。寒いのう、兵六……。」

「寒いに決まっておろう。正月じゃしな。」

「にしてもじゃ!俺なんか手が悴んで、薙刀が握れん。」

 兵六と言うらしい男は彼を笑った。

「それでは困るぞ。御屋形様をしっかりとお守りせねばならない身で、寒さ如きで……。」

「……のう兵六っ!あれはなんじゃ?」

 男は目の前の通の向こうを指差した。見ると、無数の明かりがやってくるのである。

「なんじゃあれ……?公方様からの戦のお下知などあったかのう?」

 勿論将軍からの征伐の下知など無い。彼らの目の前に迫るのは幕府軍などではなく、私怨を晴らさんとし、我を忘れて暴徒と化した畠山政長軍で


ある。そしてどうやら兵六達もそれに気づいたようである。すぐさま薙刀や槍を戦闘が出来るように持ち変え、兵六でない方(先に政長軍に気がついた者)が背後の門の後ろにいる衛兵達に向かって叫んだ。

「敵襲じゃあっ‼︎畠山弾正が兵を率いて来たぞ!」

 そう言い終える前に彼は眉間を射抜かれてしまった。そして容赦なく死ぬことの決まった彼の右上腕と喉を矢が貫く。彼の背が地に着くや否や、隣の兵六は一人では勝ち目が無いと思ったらしく、門を開けるよう、屋敷の者に伝えた。が、その背中を政長軍の雑兵が射た為、敵襲に屋敷の者が気づくことなく、二人は義就邸の門前にて命を落とした。軍勢の奥から馬に乗った政長が出てきた。

「門を壊せ!」

 見張りが死んだのを馬上から一瞥した政長は後ろを見て合図した。すると後ろの方から巨大な一本の丸太を吊り下げて数人の兵士が小走りでやってきた。徐々に速度を上げていき、丸太を門に力任せにぶつけた。門の後ろの閂がめきっと音を立てる。兵士たちは縄で吊るされた丸太を振り子のように振り、勢いがついたあたりで再び門に打ちつけた。その時である。

「放てぇ!」

 頭上から数本の矢が降ってきたのである。門をぶち破ろうとしていた時に出た音で内側にいた兵に感づかれたらしい。政長軍の雑兵が数人斃れた。しかし、心配は無用であった。すぐさま第三の槌が下され、バキバキと音を立てて畠山義就邸の閂は二つに割れ、門が開いたからである。

「行けえっ!まずは屋根の上の弓兵を刺し殺せ!」

 破壊された門から雪崩れ込んだ政長軍の将兵達は百人程しか居ない義就邸の護衛を次々と射殺し、刺し殺し、斬り殺していった。そしていつの間にか義就邸から火の手が上がった。どうやら気の立った政長軍の雑兵が火矢を射て、義就邸に火をつけてしまったようである。それに便乗し、他の兵も次から次へと火矢を射掛けた。火は広がり、つい先程まで軒を連ねていた立派な屋敷をみるみる灰にしていった。そうして遂に、最後の衛兵が政長の太刀によって、炎の中、斃れ伏したのである。文正二年一月、正月の寒い夜風の吹き散らす中、義就邸は呆気無く政長の手に落ちた。

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