最終話 ミモザ

予定通り、香魚子はバースデーカードの入稿を終えたタイミングで会社に退職の意向を伝えた。


鷲見すみチーフはなんとなく嬉しそうでした…。」

「あの人はなかなか変わらないだろうな。」

香魚子とあまねは苦笑いした。

土曜日、香魚子は周と過ごしていた。

「仕事はひとまずデザイン系の契約社員で働きながら、フリーのデザインの仕事も探します。」

「紹介できそうな仕事先もいくつかあるから紹介するよ。」

「ありがとうございます!周さんは物件探し、どうでしたか?」

「だいたい目星はついた。とりあえず事務所は小さくて良いから。」

「じゃあ、周さんもそろそろ退職の準備ですね。私は2年弱くらいでしたけど、周さんは…10年以上ですか?そんなに長く働いたら、寂しいですね。」

香魚子の言葉に、周は少しピーコックラボでの年月を振り返っているようだった。

「正直、新卒で入った頃から起業するのは決めてたから、そこまで感傷はないけど…鴇田ときたとか川井さんがどうなっていくのかは気になるかな。まあ同じ業種にいれば嫌でも会うけどね。」

「そうですね。川井さん、私のプレゼンに100点つけてくれたんですよ。」

香魚子は思い出して少し笑った。

「退職する前に川井さんと食事でも行く?喜ぶんじゃない?」

「はい。じゃあぜひ鴇田さんも。」

「鴇田?え、急にめんどくさくなってきた…。」

香魚子はクスクスと笑った。



3月 香魚子が退職して1ヶ月後

(わぁ〜すごーい!目立つところに並んでる!)

香魚子はJOFTジョフトのグリーティングカード売り場にいた。

そこには発売したばかりのミモザのバースデーカードが並んでいた。

店舗からの受注状況はとても好調で、JOFTやカンズ全店のほか大手の雑貨チェーンからも注文がきていると、周から聞いていた。

(どっちがいいかな〜…やっぱり紺色の方かな。)

香魚子は紺色のカードを持ってレジに向かった。

「このカード、すぐ売り切れちゃって今日再入荷したばっかりなんですよ。素敵なデザインですよね。」

レジの店員に教えられ、香魚子はくすぐったい気持ちになった。


(プレゼントも準備したし、カードも書いた…あとは…)

この日は周の誕生日だった。

(周さんの誕生日なのに周さんにお店予約させちゃって良かったのかな…。料理頑張っても良かったんだけどなぁ…。)

『せっかくだからその日は外で食べよう、店は俺が予約しておくから。』

周に言われてしまった。

退職を機に、香魚子も周のマンションで暮らし始めた。


仕事帰りの周と待ち合わせて向かった先は、ドレスコードのある高級レストランの個室だった。

せめて食事代は自分が持とうと考えていた香魚子は急に不安になってしまう。

「こんなお店、緊張します…」

「俺も普通に緊張してるよ。まぁたまにはね。」

周は優しく笑った。

それから二人はまた、お互いに仕事のことや最近の関心事を話しながら食事をした。

メインの皿が下げられたタイミングで、香魚子はプレゼントの包みを差し出した。

「お誕生日おめでとうございます。」

「ありがとう、開けていい?」

周が包みを開けると、箱の中にあったのはネイビーの革の名刺入れだった。

「すっごく悩んで…周さん、なんでも持ってそうだから…でもこれから新しい会社でお仕事するから、名刺入れなら毎日使ってもらえるかな…って思って。」

香魚子は照れながら言った。

「ありがとう、大事に使う。」

周は嬉しそうに笑った。

「カードもありがとう。」

「どうしても周さんに渡したくて、自分で買っちゃいました。」

香魚子は「えへへ」と笑った。

「読んでいい?」

「絶対ダメです!一人のときに読んでください!」

周は「ちぇっ」と拗ねたような顔をした。

「俺からも香魚子に渡したいものがあるんだよね。」

「え?」

香魚子がキョトンとしていると、デザートのプレートが二人分運ばれてきた。片方には小さな花火がついていて、そちらが香魚子の席に置かれた。

(え…?)

「これ、周さんと私、逆ですよね?」

「間違ってないよ。自分にバースデープレートなんて頼まないよ。なんて書いてあるか読んでみて。」

(……?)


—Will you marry me?—


プレートに書かれていたのはプロポーズの言葉だった。


「え…?」

香魚子は状況についていけていない。

「今日は俺の誕生日だから、俺の一番欲しいもの貰おうと思って。」

そう言って、周は小さな箱を取り出した。

「………」

「福士 香魚子さん、俺と結婚してくれませんか?」

周の差し出した箱の中には指輪が輝いていた。

「………」

香魚子は感極まって涙をこぼし、こくこくとうなずいた。

「…はい」

———はぁっ

周が安堵の溜息を漏らした。

「断られたらどうしようかと思った。緊張した〜。」

「断るわけないじゃないですかぁ…」

香魚子は涙声で言った。

「香魚子には実績があるから。」

周は眉を下げて笑った。


帰り道

「ところで、他人の名前のことまで気にしてる香魚子が自分の名前のことに気づかないわけないと思ってるんだけど…気づいてたでしょ?明石アカシ 香魚子アユコ、アカシアだって。想像したことあった?」

周はいたずらっぽく言った。

「…いつかそうなったらいいなって思ってました。だから今日、ミモザがもっともっと大好きになりました。」

香魚子ははにかんだ笑顔で答えた。


fin.

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