第9話 知っていること

明石たちと食事に行ってから数日

(これはマズイ…)

香魚子は終業後の自宅でタブレットを前に考えていた。

(明石さんに見せたいデザインが止まらない…)

タブレットのフォルダには、ラフ案が何枚も溜まっていた。

(会社用のデザインもしなきゃいけないのに、仕事中もこっちのアイデアが止まらなかったなぁ。)


『俺が絶対見てるから』


(あんな風に言われたら、誰だってこうなるよ…)


『約束2つ目』


「わぁあぁ!!!」

香魚子は絡めた指の感触を思い出して、クッションに顔をうずめて叫んだ。

(あれはずるい。あの笑顔もずるい…。)


(とっくに気づいてたけど、完全に好きになってる…)


(明石さんはあくまで私のデザインを買ってくれてるだけなのはわかるけど…)

———はぁっ…

大きな溜息をいた。

(LIME、本当に送ってもいいのかなぁ。)

———ピコンッ

スマホの通知画面にLIMEのメッセージが表示された。

【明石 周】

「え」

突然のLIMEに、一瞬スマホを落としそうになる。

【そういえば、こないだ質問された“デザインに詳しい理由”ってやつ】

(…あ、彼女がって聞いちゃったやつ…!)

画面を凝視してしまう。

【別に詳しくはないけど、姉がデザイナーやってるから多分その影響でデザインに興味持ってるんだと思う】

(……………)

———ハッ

(画面に見入っててどうする…)

【お姉さんがいるんですね。しかもデザイナーさんなんですね!なんか納得です。】

鮎の目がキラキラしているスタンプを送った。

【でた。鮎スタンプ】

【明石さんはデザインされないんですか?】

【俺は絵心皆無だから】

手でバツの形を作ったシロクマのスタンプが送られてきた。

明石からすぐに返信がくるのがくすぐったい。

(スマホのむこうに明石さんがいるんだなぁ…。)


(シロクマ好きなのかな。シロクマかぁ、シロクマ…)

香魚子はタブレットを手に取ると、いつものようにデザインに没頭した。


33歳、お姉さんがいて、お酒はハイボールが好き、タバコは吸わない、トマトが嫌いらしい、絵は苦手、シロクマが好き?…好きな花はミモザ…

ほんの少し前までは名前くらいしか知らなかった明石の、“知っていること”が増えている。



「ねぇねぇ!本っ当〜に可愛かった!新人!」

「新人て明石さんのペアになるって子?」

大きく何度も頷いているのは、いつも明石の噂をしている香魚子の同僚だ。

「あ、でも可愛いよりは…美人系?営業の女子だったらダントツっていうか…社内でも一番かも。」

「えー、なんかそこまでいったらもうビジュアル良すぎなペアで社内公認になりそうじゃん。なんの公認かわからんけど。」

「あーなんかでもーそういう理由でペアにしたって噂もあるよー。営業のビジュアルって売り上げに影響あるらしいし。」

明石の名前が出ると、ついつい香魚子も気になって耳だけそちらに向いてしまう。

(“噂”とか“らしい”とか、明石さんの営業成績ってビジュアルのせいじゃないと思うけどなぁ…。商品をあれだけ熟知してる営業さんて他にいるのかな。…でも…美人な新人さんとペア、かぁ…。)



「今日はJOFTジョフトの本部商談だから、その前に店舗も見て行こうか。」

「はい。何かお持ちしましょうか?」

会社の廊下で話しているのは明石と新入社員だ。

「いや、サンプル結構入ってて重いから俺が持ってくよ。」

「では資料はお持ちしますね。」

「あ、福士さん。おつかれさま。」

たまたま通りかかった香魚子は二人のやりとりを見ていた。

「おつかれさまです。」

「この子、新人の川井さん。」

明石が新人を紹介する様に手を動かした。

「あ、はい。この前うちのフロアにも挨拶に来てくれて…。」

いかにも新入社員といったスーツに一つ結びの川井かわい すみれはペコリと頭を下げた。

「企画デザイン部の福士 香魚子さん、ですよね。」

「え!すごい!フルネームで…私いまだにほとんど顔と名前一致してないです…。」

「福士さんらしいな。」

明石は笑った。

「川井さんはデザイン部希望だから、そのうち同僚になるんじゃない?」

「あ、そっかぁ、そうですね。その時はよろしくお願いします。」

香魚子は微笑んだ。

「はい!よろしくお願いします。」

川井は緊張気味に笑った。

(かわいいなぁ。たしかに美人だけど、それだけじゃなくて一生懸命な感じでかわいい。)

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