Little yellow flowers

ねじまきねずみ

第1話 花の名前

福士ふくしさんて、下の名前なんて読むの?」

それが、明石あかし あまねとのほぼ初めての業務内容以外の会話だった。

福士 香魚子は文房具と雑貨のメーカー・株式会社ピーコックラボに勤める26歳。デザイナーをしている。

明石は同じ会社の営業マンだ。

香魚子の所属する企画デザイン部に商品サンプルを取りに来た明石が突然話しかけてきた。部屋には二人のほかには誰もいない。

「かぎょこ?」

明石がおかしな予想をするので、香魚子は吹き出した。

「そんな変な名前じゃないです。“あゆこ”って読みます。魚のアユの漢字の一つなんですけど、読めないですよね。」

香魚子あゆこは笑って言った。

「へえ、魚のアユなんだ。良い名前だね。」

「ふふ 適当に言ってません?でも嬉しいです。」

「適当になんて言ってないよ、アユって清流に住んでる魚でしょ?きれいな場所で生きてほしいって思ってつけられた名前なんじゃない?漢字もきれいで響きもかわいいと思うけど。」

明石が真顔で「かわいい」と言うので、褒められたのはあくまでも名前だというのになんだか照れくさい。

「明石さん、すごいです。釣り好きな父が“清流の女王みたいになれ”って付けてくれたんです。」

香魚子はまた、にっこり笑って言った。

「明石さんの下の名前はあまねさん、ですよね。」

「ああ、知ってた?よく“しゅう”だと思われるのに。」

「はい。花の名前が入ってるな〜って密かにずっと思ってたんです。」

「花?」

“明石 周”とい名前にはどこにも花の名前などないはずだ、と明石は不思議そうな顔をした。

「ええ。えーっと…」

香魚子はデスクの上にあった適当な紙に明石の名前を「アカシアマネ」とカタカナで紙に書いて見せた。

「ほら、アカシアって。」

「アカシア?」

「樹木ですけど、私が一番好きなミモザもアカシアの仲間なんです。だから良いな〜って。わかりますか?黄色い花の。」

「ああ、わかるよ。」

明石は“なるほど”という顔をした。

「ミモザか…あ、良いかも…」

そして何かを考えるように呟いた。

「その紙ちょうだい。」

「え、こんなのただのメモですよ?」

「うん、ついでに“ミモザ”って書いといて。」

「はぁ…」

香魚子はわけがわからなかったが、言われた通りにメモを追加した。

メモを渡すと、明石は嬉しそうに受け取った。

「ありがとう。福士さん、ずっとどんな人か気になってたけど、想像よりも色んなこと考えてそうで愉しいね。」

屈託のない笑顔でそう言うと、明石は営業に出て行ってしまった。

(…想像…?たのしい…?)

ろくに接点など無かったはずの明石にそんな風に言われるとは思わず、香魚子は驚きとともに、くすぐったいような気持ちになった。

(明石さん、私のこと知ってたんだ…って同僚なんだから当たり前よね。私じゃあるまいし…。)

ピーコックラボに入って数ヶ月、デザイン馬鹿を自認するほどデザインのことしか考えていない香魚子は、企画デザイン部以外の社員の顔と名前がまだあまり一致していない。

明石のフルネームを覚えているのは奇跡に近いくらいだ。

入社した日に全部署に挨拶回りをした際に、明石の名前を聞いて花が隠れていることに気づいた。それ以来、明石の名前だけは耳に残るようになっていた。どうやら営業成績がトップらしく、いわゆるイケメンの部類らしいので、仕事でも部署内の女子たちの噂話でもよく名前を耳にした。

(名前のこと、本人は気づいてなかったんだ。話できて良かったな…明石さん、名前と部署くらいしか知らないな。何歳なんだろ。)

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