第11話 Pink Moon-2

ようやく、地に足を付けた医者になれたと感じることが出来たのは去年になってから。


その頃やっと、自分のプライベートに意識を向ける余裕が出て来た。


がむしゃらに走り続けて来たこの10年を思って、苦くなったり、歯痒くなったり、そうして変わったことと、変わらないことを数えて行くうちに、ふと気づいたのだ。


この日常に勝る幸せなんて、どこにもないのだと。


華南やガンや早苗のように遠慮なしに思ったことを口にするわけでもなく、けれど、完全に部外者を決め込むわけでもない。


山尾が欲しいタイミングで、一番欲しい相槌をくれるのが彼女で、だから、恵の前では医者でも、幼馴染でもない、自分でいられた。


ガンたちの前で見せる山尾のことを彼女が知らなかったことも大きいのだろう。


無意識に残された幼馴染たちを背負い込んだ山尾にとって、彼らはやっぱりいつまでも気掛かりで、手を差し伸べたい相手だったのだ。


そういった枠の外にいる恵の存在は、物凄く貴重で、楽だった。


気負わず過ごせるこの時間が、いつかぷつんと途切れてしまったら、きっと自分は物凄く後悔するだろう。


彼女に手を伸ばさなかったことに、あの時以上に後悔するだろう。


そんなことを考え始めた矢先の、玲子のどうにか宣言だ。


これはもう神様が覚悟を決めろと背中を押しているとしか思えない。


このまま生涯独身を貫くのか、それとも誰かの手を取るのか。


答えに迷わなかった。





「妙な男割り振らないでくださいよ」


静かに言った声が、思いのほか低くなった。


嫉妬心なのか独占欲なのか、これが本当の恋愛感情なのかすらよくわからない。


けれど、恵がいま居る場所よりも遠くに行ってしまうことは是が非でも避けたかった。


その為ならなんだってやってやる。


「あら、参戦する?」


目を瞬かせた玲子が楽しそうに目を細める。


彼女は山尾がこういう反応を返すことを待っていたようでもあった。


「・・・します」


彼女の思惑に乗せられたような気がしないでもないが、こうなっては仕方ない。


玲子の計画通りに事が進んでしまえば、そう遠くない未来、恵の前にはお断りしようのない条件の揃った男が現れるのだろう。


彼女が、自分の背中に隠れることで息を潜めて来た恵を少なからず気にかけていることは分かっていたし、恵を無理やり外に出しても上手く行かないことも、分かっていたのだ。


傍若無人に見えて、綿密に計画を遂行する手腕を持つ彼女のことだから、相当相手は慎重に見繕うはずだ。


そして、恵は姉の”絶対”には逆らえない。


だから、ここで挑まなければまた掴み損ねることになる。


「あんたがそう言うの、待ってたのよ」


「え、じゃあ」


「でも、あの子の気持ち次第ね。だって、うちのめぐ、あんたの気持ちにまったくぜんっぜんこれっぽっちも気づいてないものね」


悟られて妙な気を遣わせたくなくて、踏み込んでこなかったのは事実だ。


それに、こういう事態が起こらなければ、このまま気の良い先輩後輩のままでいた可能性すらある。


それくらい、山尾にとっては自分の未来は希薄なものだったのだ。


「あんたがどうやってあの子のこと口説き落とすのか、お手並み拝見させてもらうわぁ。あ、ちなみに、来年の春には工事入りたいから、諸々宜しくね」


「・・・期限、短すぎません?」


残された猶予期間は、半年弱。


じっくり悩んで考えて動くことに慣れてきた山尾にとっては、超短距離走並みのレースだ。


30代も半ばに差し掛かった自分に、20代の頃と同じような情熱は抱けないし、恵の性格を考えても絶対に突っ走る訳には行かない。


慎重派の彼女を慎重派の自分がどうやって囲い込むべきなのか、まずはその策を練らなくてはならない。


まあ、頑張ってね、と呑気にぐい飲みを煽る玲子をジト目で睨みながら、これもいいきっかけだと思うよりほかにないと自分に言い聞かせてから数週間。








「そうじゃなくてさ、結婚しない?俺と」





まさか、居酒屋の帰り道で、ほろ酔いの彼女にこんな風にプロポーズする羽目になるなんて、夢にも思っていなかった。




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