第15話 moon phase 12

大学も無事卒業して、仕事場が自宅の一階の歯科医院と自分の部屋になると、途端外出の機会は減った。


それと同時に宵っ張りになった。


なんせ出勤時間の20分前まで眠っていられるのだ。


思いついたネタを短編小説に落とし込んでは提出してボツを食らう事を5回目までは数えて、それ以降は数えるのをやめた。


”世界観がちょっと、今の高校生とズレてるというか・・・”


”リアルさに欠けて”


”心理描写がイマイチで”


”これを伝えたいって言うメッセージが、伝わってこないんですよねー”


恵が一番眩しい存在の近くで過ごしたのは、間違いなく高校時代で、あの頃毎日のように妄想が尽きなかったのは、書きたいと思わせてくれる彼らが居てくれたからだ。


愛果と朝長と山尾が居たから、紡げた物語だった。


モデルになる人がいなくなって、それでもあの時代が懐かしくて書いた二作目も同じく青春恋愛小説だったけれど、今にして思えば、あの作品でデビュー出来たのは、高校時代の自分がすぐそこに居たからで、高校生がつづったリアルな学生恋愛に話題性があったからだ。


すでに大人になってしまった恵が、遠目に現在青春中の彼らを眺めて紡いだ新しい物語は、どこか薄っぺらくて面白みに欠けていた。


”涼川さんは、自分が感じたり触れたりしないと書けないタイプかもしれないですね”


担当からの一言は全くその通りだった。


だから、もう高校生に戻れない恵には、あの時のようなキラキラした青春恋愛小説はもう書けない。


じゃあ次に何を書くのかと、必死に日常のネタを発掘しても、ルーチンワークをこなす毎日に書きたいと思わせてくれるネタなんてそうそう落ちていないのだ。


ああ、もう私のときめきセンサーは死んじゃったんだな。


一つ諦めたら、楽になった。


恋愛小説はもうやめようと決めて、片田舎の地方都市を舞台にした田舎暮らしエッセイを提出したら、ちょっと生き返りましたね、と言われた。


やっぱり触れて感じられるものでなくては、紙に落とし込めないのだ。


昨夜も2時過ぎまでうだうだとネットサーフィンをしていたくせに、不思議と7時過ぎに目が覚めて、こんなに早く起きたのだからコンビニに行こうと思い立って、ひんやりとした心地よい夏の朝を満喫しながら駅前まで歩いてきたら、久しぶりに山尾に会った。


今まさに走り出した電車から降りて来たばかりの山尾が、どこか眠たげな表情で改札を抜けてあれ?と眼鏡の奥で瞬きを繰り返す。


研修医を始めてからは、ほとんど大学病院に泊まり込んでいると玲子から聞いていた。


「おかえりなさい」


「・・・・・・・・・・・・ああ、うん。ただいま。久しぶり・・・・・・うわー・・・恵に朝会うのって違和感しかないよ」


「私もですよ。何日寝てないんですか?」


「三日・・・・・・」


「帰って来るのは?」


「二週間ぶり」


「そんなんでよく生きてますね!?」


自分の自堕落な生活からは考えられないくらいのハードスケジュールだ。


間違って医者を目指さなくて本当に良かった。


「まあ、どの研修医もこんなもんだからね。元気そうで良かったよ。玲子先輩はー・・・・・・まあ元気だろうな。一度、大学病院に差し入れ持って来てくれたよ。陣中見舞いって言って」


「お姉ちゃん気にしてましたよ。いまが一番しんどい時だからって」


「あー・・・うん、そうだな。っていうか、もうセミ鳴いてるんだ・・・」


タイムスリップでもして来たかのように、何もない駅前をぐるりと見回す山尾は、珍しく疲れ切っていた。


季節感覚すら麻痺してしまうくらい、研修医は忙しいらしい。


「飲み会の誘い貰ってたのに、一度も顔出せなくてほんとごめん」


まあ山尾は来れないだろうなと思いながら玲子も声を掛けているのだ。


それをわざわざ真に受けてこうして神妙に謝るところが山尾らしい。


彼はきっと父親に負けないくらい優しくて立派なお医者さんになる。


「そんなのいいんですけど、お医者さんが体壊すなんてことしないでくださいよ?」


「あー・・・まあ、倒れたらすぐ見て貰えるんだけどさ」


軽口を叩いて笑った山尾に、珍しく恵が険しい顔を向けた。


普段の彼なら、こういう冗談は口にしない。


常に受け取る側の気持ちを考えて言葉を選ぶ彼が、そうできないということは、相当疲労が溜まっているという事だ。


「そうじゃなくって・・・・・・・・・ほんとに疲れてますね、先輩」


「んー・・・・・・・・・ごめん・・・・・・いま全然頭回ってないわ・・・あー・・・そうだ・・・・・・恵に会ったらなんか言わなきゃいけないことあったんだけどな・・・」


恵から山尾に連絡する時は、大抵飲み会の連絡なのだ。


忙しい玲子に代わって、地元に残っているメンバーに連絡を取り、予定の合いそうな日にちに和来屋わらいやに予約を入れるのは暇人である恵の仕事になっていた。


そして、その場合必ず山尾への連絡だけは個別に行う。


グループトークだと、山尾の既読が追い付かなくなるからだ。


たまの飲み会の誘いは、それぞれの近況報告も兼ねているので、仕事場での写真やら、ご飯屋さんの写真やら、旅行の報告やらであっという間にメッセージが山積みになる。


「大した話じゃないでしょうから、気にしなくていいですよ」


それより何より、山尾は家に戻って眠る必要がある。


貴重な休日を恵の無駄話に付き合わせるわけにはいかない。


「先輩は早く戻って・・・」


「恵はコンビニ?」


「そうですけど、先輩は真っ直ぐお家に帰ってくださいね」


いつか夜の駅前で彼とばったり会った時、用事が無いのに一人歩きは危ないからとコンビニに付き合ってくれたことがあったのだ。


あの夜の二の舞はさせられない。


恵の言葉に、山尾が眩しそうに目を細めた。


「まだ俺何も言ってないよ」


「ついていくって言うと思って」


「・・・・・・・・・」


「朝ですし、私は大人ですし、ご心配なく」


十分一人で行って帰れますと先手を打てば。


「・・・・・・・・・ああ、思い出した」


山尾が眠たそうな目元を緩めてふわりと相好を崩した。


「うん?何をです?」


「Webエッセイ、読んだよ」


穏やかに告げられた事実に一瞬ぽかんとなる。


「・・・・・・え?」


「玲子先輩が教えてくれて、たぶんうちの連中みんな読んでるんじゃないかな?面白かった」


「・・・・・・・・・う・・・あ・・・ありがとうございます」


初めて家族以外の誰かから、言って貰えた感想だった。


お世辞でも、なんでも、とにかくどしんと胸に響いた。


「恵が頑張ってるから、俺も頑張らないとと思ったよ」


恵の数倍頑張っている人の言葉は、静かに、重たく、響いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る