第40話 First Quarter Moon-1

絶対自分のものでは無いはずなのに、一度でもその温もりを覚えてしまったら、途端惜しくなるのはどうしてだろう。


最初から枠外を決め込んで、舞台の上で華麗に踊る彼らを一番近くで眺められればそれでよかったはずなのに。


近づけば粗だって見えて来るけれど、それを凌駕する勢いで、心はあの人に惹かれていく。


それはもう、抗いようのないほどに、強い力で。







・・・・・・・・・






「わぁ・・・こんなに沢山・・・・・・本当に頂いていいんですか?」


受け取った紙袋の中身を確かめて、愛果が目を丸くする。


ふっくらとしたピンク色の頬は、恵の数倍血色が良い。


高校時代から人気者だった愛果は、女子バスケの朝練を終えて教室に来てから仲の良いメイク好きのクラスメイトたちにしょっちゅう顔と髪を弄られていた。


”昨日の音楽番組の時のアイメイクねー。髪型は新曲のPVの”


彼女が似ていると騒がれているアイドルを真似したアイメイクはただでさえパッチリしている愛果の目をさらに大きく魅力的にしていたし、複雑な編み込みや綺麗な巻き髪はうっとりするくらい可愛かった。


そのくせ愛果の素材の良さを上手く生かしたナチュラルメイクに仕上げるので、彼女は服装検査に引っかからないラインでいつもお洒落を楽しんでいた。


そして、可愛い愛果を目の補油にしていたその他のクラスメイト達を大いに喜ばせていた。


愛果が当時勧めてくれたマスカラをこっそり買って試してみたけれど、鏡に映っている自分の冴えない顔とご対面して、すぐに姉の玲子にそれを譲ったことを思い出す。


医療機関なので、色は控えめで清潔感もありつつきちんと大人の色気を漂わせる彼女の手腕は見事だ。


あれから自分でもメイクをするようになってきっと色々工夫したのだろう。


「うちの医院じゃ食べきれなくて、折角なら女性スタッフが多いところのほうが喜ばれるかなって」


遠慮せずどうぞと微笑めば、愛果が眦を緩めて微笑んだ。


見ているこちらがドキッとしてしまうくらい色っぽい。


こんな綺麗な人が受付でナース服着て待機しているんだから、山尾医院を訪れる男性患者は色んなことを妄想するのだろう。


山尾は、一度も愛果をそういう目で見たことがないと言い切っていたけれど、本当だろうか。


愛果には魅力を感じない癖に、買ったばかりのソファーに恵を押し倒すのだから、山尾の趣味の方がよっぽど変わっているのだろう。


・・・・・・余計なことは思い出さなくていいっ


取引先から涼川歯科医院に届けられた大量の焼き菓子のセットは有難いものの、家族経営の涼川家では到底食べきれる量では無かった。


消費先に困ってどうしようかと頭を悩ませていた恵に、それなら山尾医院に持って行きなさいよと提案してくれたのは玲子だ。


ここ最近涼川家では恵の夕飯は完全にノーカウント状態。


自宅で夕飯を食べるよりも山尾家におよばれすることのほうが多いからだ。


現役引退後、夫婦で出かける機会が各段に増えた両親は、一泊二日の旅行に出かけることも多くて、一人で留守を任されがちな恵なので、家で味気ないレトルト食品を食べるより、山尾家に行く方がずっといい。


そういう大義名分を引っ提げて、彼の家を訪れているのだと言えなくもないけれど。


いまはそれが恵に出来る精一杯なのだ。


「あの、若先生お呼びしますね」


「え!?いえ、大丈夫です!今日はほんとにこれをお届けするためだけに来たんで、っていうか、今日も!」


まるで普段は山尾の顔を見るためにここに来ているような言い方をしてしまった事に気づいて、慌てて訂正するも、愛果は診察室を覗いた後だった。


すぐに山尾の返事が聞こえてくる。


しまった、逃げるタイミングを完全に逃してしまった。


「え、恵が来てるの?」


ちょうど患者が途切れたタイミングだったらしい。


受付を覗いた山尾に、愛果が受け取った大きな紙袋をこれです、と差し出す。


と、次の瞬間、引き戸の敷居に躓いたのか愛果の身体が前につんのめった。


手に持っていた紙袋が大きく揺れて、彼女の身体が山尾の腕の中に倒れ込む。


「きゃっ!」


「だ、大丈夫!?長谷さん!」


彼女の魅力的な柔らかい身体をしっかり抱き留めた山尾が、すぐさま愛果の安否を確認する。


「あ・・・はい・・・」


「足捻ったりしてない?」


心配そうに山尾が、愛果の足元を確かめた。


待合室から見ていても真っ赤だと分かるくらい狼狽えた愛果が、首を横に振ってみせる。


「だ、大丈夫です・・・すみません・・・私・・・足元ちゃんと見てなくて」


「いや、いいよ。ここの敷居前から危ないなぁって思ってたんだよ。早めに業者さん来てもらうね」


「ほんとに・・・すみません」


恐縮しきりの様子で謝る愛果に温和な表情を向けて慰める山尾は、至っていつも通りだ。


ああ、これ、いつかの私の妄想だ。


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