第27話 Hunter’s Moon-1

彼に不満なんてあるわけがない。


不満があるとしたら、自分自身に対してだ。


脇役にすらなれなかったモブの一人には、舞台に上がる勇気も、度胸もない。


物心ついた頃から姉の背中に隠れて生きて来た恵に、初めて向けられたスポットライトは、あまりにも眩しくて、刺激が強すぎる。





「そろそろいい具合に絆されて幸せぜっこうちょーう!とかいってフワフワすんのかと思ったら・・・なんなのあんた・・・まだイジイジしてんの!?なっさけない!それでもほんとに私の妹!?」


最後の患者を笑顔で見送るやいなや、ここ数年さらに逞しくなった腕でべしんと背中を引っ叩かれる。


勢いがあり過ぎて、踏ん張り切れずに受付カウンターに慌てて手を突いた。


おそらくこちらの事情は筒抜けだろうと踏んでいたが、このふた月姉の玲子は恵に何も言わなかったし、探りを入れるようなこともしなかった。


信じられないくらい大人しく、ただ傍観者を続けていたのだ。


いつかこんな風に詰め寄られるとは思っていたが、今日だったとは。


久々に小児歯科の午後診療をお休みした義兄が、幼稚園を早帰りさせた大晴を連れて実家に帰っている金曜の夜、時間はたっぷりあるからねと勇んで二階の自宅に戻って行く姉の後を追いかけながら、明日こっち泊まるね、と言われた時点で覚悟を決めておかなかったことを激しく後悔した。


匂わせれば何かしらの理由を付けて恵が逃げ出すことが分かっていたから、玲子は何も言わなかったのだ。


引っ込み思案で臆病者の妹の性格を把握しまくっている姉である。


今夜は二人で飲むから、と夕飯を早々に食べ終えて、冷蔵庫から500ミリのストロング缶を二本取り出した玲子が断りもせず恵の部屋に入って行く。


玲子一家が涼川家で宿泊するときには、父親が趣味部屋として使っている和室に客用布団を並べるのだが、玲子一人が泊まるときには、子供の頃のように恵の部屋に布団を持ち込む。


だから、今夜は玲子が言いたいことを言い終えて、聞きたいことを聞き出すまで寝かせては貰えない。


親指で二本分のプルトップを引き開けて、片方の缶を恵に差し出してから玲子がゆっくりと息を吐いた。


全盛期より5キロは太って、今は華やかさよりも母性と逞しさが滲み出ている玲子は、年を重ねて外見が多少変わっても、胸を張る姿勢を崩さない。


そう、彼女はいつだって自分に自信を持っている女性なのだ。


恵が逆立ちしたって手に入れられない自信を。


「山尾のなにが嫌なの?あいつもしかして変な性癖とか持ってる?」


「げほっ」


突然突拍子もない質問が飛んできて、恵は激しく噴き出した。


涙目になりながら、慌てて箱ティッシュを手繰り寄せる。


「せ・・・性癖とか知る訳ないでしょ!?お姉ちゃん何言ってんの!?」


上げかけた大声をここは自宅だと思い出してボリュームを下げた。


どうやら玲子は物凄い勘違いをしているようだ。


気管に入った炭酸を咳と共に吐き出しながら、ちょっと待ってよと玲子を睨みつける。


いったいこの姉は実の妹を何だと思っているのか。


「え、だってプロポーズされてからもう二か月半は経ってるでしょ?和来屋わらいやにはあんまり来てないって岡本が言ってたし、ってことは山尾の家で会ってるんでしょ?好き合う二人が家で宅飲みして、ご馳走様お邪魔しましたって帰んないでしょ普通は。で、ほんとのところどうなのよ?ちょっと気になってたのよねーあいつ見た目淡白そうだけど、意外としつこそうだし。上手い?下手?優しい?激しい?」


ぽんぽん飛び出す過激な発言に、声を挟む暇もない。


必死に首を横に振って訴えること数十秒、玲子がストロング缶を煽ってから、はあ?と眉根を寄せた。


「え、なんなの、なにやってんのあんたたち」


「なにって・・・何もしてないよ!一緒にご飯食べてお酒飲んで、ご馳走でした、お邪魔しましたって帰ってるわよ!」


「馬鹿なの?」


「馬鹿ってなによ・・・普通でしょ!?」


「普通なわけないでしょ、だってあいつあんたに結婚しようって言ったんでしょ?」


やっぱり玲子はその事を知っていたのだ。


事前に山尾から何か言われていたのかもしれない。


だとしたら、どうしてその時に止めてくれなかったのか。


「い、言われたけど、あれは絶対先輩の気の迷いというか、ちょっとした出来心というか」


「めぐ、あんたね!」


身を乗り出した玲子が、恵の額をピンと弾いた。


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