第31話 紅葉月その2
「長谷本部長のお嬢さんですよね?」
いきなり質問をされて面食らった愛果に、さっきの女子社員が男性社員の脇腹を遠慮なしに小突いた。
「こーら!後輩が不躾に失礼しました。事務員の折原と申します」
後を追うように朝長たちより若手と思わしき男性社員が愛嬌たっぷりの笑顔で口を開く。
「営業の西山です!」
「・・・・・娘の愛果です。いつも父がお世話になっております」
名乗った途端西山がぱあっと好奇心いっぱいの表情になった。
「わーこれが噂の愛ちゃん!」
「こら、西山、じろじろ見るなよ・・・本部長が結構お前のことを話してるんだよ」
「目元が本部長に似てらっしゃいますね。支店に来られるたびお嬢さんのお話ばかりされていたので、お目に掛かりたいなと思ってたんです、ね」
気さくな笑顔を向けてくる折原からは、出来る事務員といった雰囲気がひしひしと伝わってくる。
立ち姿も凛としていて、なんだか昔の自分を見ているような気になった。
「はいっ!これで社内で自慢できます」
朗らかな笑顔を向けられて、間違いなく彼らの態度は好意的なのに、逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
父親の親バカは今に始まったことではない。
愛果の全盛期は勿論のこと、太ってからの愛果も変わらず愛してくれていることは有難いが、外でぺらぺらと喋るのは本気でやめて欲しい。
恐らくあの人の中では、未だに娘は17歳のままなのだ。
「・・・・・・お恥ずかしい限りです」
家に帰ったら会社で余計なことを話すなと念を押そう。
頬を赤くする愛果に向かって、折原が朗らかに微笑んだ。
「いえそんな!愛妻家でマイホームパパ、仕事は一流って最高ですよね。あ、ご婚約おめでとうございます。大人気の独身男性がとうとう売約済みになったって社内の女子社員が大勢泣いてますよ」
まあそうだろうなと予想はしていたけれど、やっぱり朝長はかなり社内で人気があるらしい。
「こら、折原、言い過ぎだそれは。ごめんな、遅くなった。迷わなかった?」
折原の言葉にすかさず突っ込みを入れた朝長が、心配そうにこちらを見下ろして来た。
部下に向ける言葉よりも言葉尻が柔らかくなっているのは多分無意識だろう。
そういうちょっとした変化が物凄く嬉しい。
「お父さんに出口も教えてもらったから」
いくつかある出口さえ間違えなければ、駅から支店は徒歩5分ほどの距離だった。
頷いた愛果に、朝長が相好を崩した。
熱を宿した眼差しを向けられて、途端胸が苦しくなる。
「あ、そっか。なら良かったよ。じゃあ、買い出し頼むな。西山、ちゃんと荷物持ちやれよ」
目元を和ませて愛果を見つめた後、隣に並んだ同僚二人に視線を戻す。
これから二人は別行動のようだ。
「はーい!ごちになりまーす!」
「ありがとうございます。じゃあ、愛果さん、失礼します。朝長さん、ごゆっくり」
「ん、よろしくな」
にこやかに微笑んだ折原が、西山を引き連れて青に変わったばかりの横断歩道を渡っていく。
じゃれつく西山をいなしながらすたすた歩いていく折原の姿は、弟の面倒を見る姉のようだ。
「俺が紹介する暇もなかったな。二人とも部下。折原はベテランの事務員で、西山は後輩。あの通り愛嬌あるから取引先でも人気の営業マン、ちょっと抜けてるんだけどな」
「なんか・・・可愛いひとだね」
「ん?どっちが?」
「二人とも。折原さんってなんか目がクリっとしててウサギっぽいし、西山さんは完全にワンコだね」
ウサギに連れられてお散歩に出かけるワンコというのはなかなか面白い。
「確かに。折原運動神経いいんだよ。忙しいときとか駆け回ってるな。え、愛果、西山みたいなタイプが好み?」
驚いた顔になった朝長を見つめ返す。
愛果のタイプは昔も今も朝長のような男だ。
西山のようなムードメーカータイプよりも、包容力のある異性に惹かれる。
「一緒に居たら楽しそうだけど、好みではない・・・かな」
明るい雰囲気の彼はきっと沢山の笑顔をくれるだろうが、いまの愛果はちょっと気後れしてしまう。
朝長が返って来た返事に納得だとしみじみ頷いた
「ああ、だよな・・・」
「え?」
昔も、再会してからも愛果の好みのタイプについては話をしたことが無かったはずだ。
何を根拠に朝長は頷いたのだろう。
きょとんとする愛果に向かって、朝長が微苦笑を零した。
「山尾先生って、落ち着いてて優しい雰囲気だもんな」
「・・・・・・っ」
「俺もああいう雰囲気を醸し出せたらもっと好きになって貰えるわけか」
白衣でも着ようかなと軽口を叩いた朝長の腕を咄嗟に掴んだのはもう無意識だった。
「わ、私・・・・・・山尾先生はタイプじゃない・・・・・・そりゃあ、朝長とお見合いしたときはまだ吹っ切れてなかったし、未練だってあったけど・・・・・・もう・・・いまは・・・異性としては好きじゃないよ」
地元住民から慕われている若先生は、間違いなく腕も確かで素敵なお医者様だ。
でも、彼を見つめるたびに胸が苦しくなるような感覚は、もうない。
いまは、山尾と恵のスローテンポな恋の進展を心から応援する事さえできる。
こんな風に自分から朝長に近づいて、彼の目を覗き込んだのは初めてだった。
朝長の両目に自分が映っていることに気づいた途端、羞恥心でいっぱいになった。
往来でなにをやっているのかと、慌てて離れようとすれば。
「・・・俺もちょっとは見込みあると思っていいんだ?」
手首を捕まえて離れられなくした朝長が、さらに顔を近づけて囁いた。
目の前のスーツからほのかに漂う煙草の匂い。
ああ、まだまだ自分の知らない彼がいるんだな、と改めて実感する。
そして、それを知りたいな、と思った。
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