第13話 暮新月

大学に入ってからしばらくは、学生食堂やカフェテリアで顔を合わせていたけれど、愛果の体型が変わり始めてからは朝長を避けるようになって、次第に疎遠になっていき、そのまま卒業してしまったので、彼の大学卒業後の進路は知らなかった。


まさか父親の部下になっていたとは。


「あ・・・・・・そっか、長谷本部長って・・・・・・」


愛果の名字を思い出した彼が、今回のお見合いの仕掛け人の名前を呟いた。


「うん・・・・・・久しぶり・・・・・・朝長、お父さんの部下だったんだね」


どうせ上手くいきっこないと思っていたので、ろくに相手の情報も聞かずにこの場に足を運んだことが今更ながら悔やまれる。


せめて朝長の中では、高校時代の長谷愛果として生き続けたかったのに。


「直属の上司ではないんだけど、ちょっと前から目を掛けて貰ってるんだよ。可愛い一人娘に良縁を探してるって本部長から言われた時には、俺なんかには勿体ないですって断ったんだけど・・・・・・長谷に会えるなら、来てよかったな」


照れたように目を伏せて笑った彼の笑顔は、昔と何も変わらなくて、一瞬自分があの頃の長谷愛果に戻ったような錯覚を覚えた。


彼が懐かしさからそう言ってくれているだけだとしても、救われた気持ちになる。


どれくらい高校時代の自分が朝長に焦がれていたのかだんだん思い出して来た。


高校生の長谷愛果の記憶のそこかしこに、朝長は存在している。


「ごめん・・・私も詳しい話を聞かないまま来ちゃったから・・・・・・朝長って西園寺不動産で働いてるんだ・・・」


西園寺不動産といえば、西園寺グループの創業企業だ。


片田舎の大地主が土地の売買から始めた会社は今や地方都市で一番の大手企業となっている。


「俺は支店な。長谷のお父さんは、本社の営業本部でエリート集団引っ張ってるよ。凄い人だよ」


「そう・・・なんだ・・・あんまり家で仕事の話聞かないから・・・」


父親は昔から自宅に仕事を持ち帰る人では無かったし、食卓では会社の話をしない人だった。


いつも愛果の学校や家庭での様子を聞きたがり、子煩悩ぶりを発揮する父親しか見た事が無い。


「長谷がこっちに戻ってたの知らなかったから、まさかあの長谷だと思わなくて・・・・・・食品メーカーに入ったって内輪の飲み会で聞いてたから・・・・・・転職したんだ?」


大学に入ってからさらに人気者になった朝長はあちこちのサークルから呼ばれていた。


あの大学には愛果の高校から他にも何人か進学していたので、きっと高校時代の友人とも繋がったままなのだろう。


「転職って言うか・・・・・・実は体調崩して退職して、もう何年も実家で親の脛齧ってるの・・・・・・お父さんもいい年齢だし、そろそろ一人娘の先行きが心配になってお見合い話押し付けたみたい・・・なんか、巻き込んじゃってごめんね・・・・・・お父さん、朝長のこと凄く褒めてたよ。営業成績も凄いけど、とにかく顧客からの信頼が厚いから、紹介が絶えないって。ああいう男が将来会社を背負って立つんだってまるで自分のことみたいに。いまも頑張ってるんだね」


すごく見込みのあるいい男がいるから、一度会って来てごらん、と愛果の背中を押した父親はかなり自信たっぷりだったが、相手が朝長ならそれも頷ける。


高校時代と変わらず眩しいままで第一線を走り続けて、人生のピークの終わりが見えない彼はそれはそれは光り輝く好物件だ。


すっかりくすんでしまった自分を思い出して、こっそり溜息を飲み込んだ。


「いや。それは周りに恵まれてるからだよ。長谷、今は病院で働いてるんだっけ?」


謙虚なところまで本当に付け入る隙がないくらい完璧な彼に、及び腰になりながら小さく頷く。


人生の明暗は、こういう形で現れるのだ。


「実家の近くの内科で、受付助手やってるの」


「へえー・・・・・・なんか似合うな」


相好を崩した朝長がぽつりと呟いて、慌てて首を横に振る。


「そんなことないよ・・・・・・」


あの頃は、可愛い、美人と褒められるたび、そんなことないよーと笑顔を返しながら内心まんざらでもなかった。


が、今は本気で申し訳なさが募る。


あの頃の自分は本当にどれだけキラキラしていたのだろう。


「朝長、もうとっくに結婚してると思ってたよ。大学の頃もモテてたし」


すでに同級生のほとんどは結婚していて、子供がいる人のほうが断然多い。


売れ残っているのは、バツイチか訳ありのどちらかだと思っていたのに。


「別にモテてないよ。それなら長谷のほうだろ?他校にまで名前知れ渡ってたし。正門で呼び止められて、長谷愛果ちゃんまだ学校いる?って何度訊かれたことか」


文化祭を見に来た他校生の間で、アイドルに似た愛果の存在が話題になって、一時期出待ち的な現象が起こったことがあった。


数週間ですぐに鎮静化したが、あの時はさすがにちょっとした恐怖を覚えた。


「煩わしいから、部活の後こっっそり裏門から帰ったこともあったよ」


懐かしそうに笑う愛果に、朝長が頷く。


「グラウンドからよく見てたよ・・・・・・・・・俺、仕事が楽しくてさ・・・大口案件任されるようになったり、部下も出来て、プライベート後回しでここまで来たから、もうこのまま独りでもいいかなって思ってたんだけど・・・・・・長谷と会ったらちょっと気持ちが変わったよ」


まるで愛果に会って結婚したくなったような口ぶりに、慌てて気を遣わないでねと首を横に振る。


「無理しなくていいよ。お父さんには上手いこと言っとくから」


父親の会社での立場を思えば、朝長から断りを入れるのはまずもって無理だろう。


あの頃の長谷愛果ならともかく、見た目も変わって中身も消極的になって自信を失ってしまった自分に、朝長が魅力を感じるとは思えない。


久しぶりに顔が見られただけでも良かったと自分から話を畳んで、すぐに昔話に話題を切り替える。


一番仲良くしていた女の子のグループは案の定全員が結婚して子供もいて、うち一人はバツイチで再婚済みだという報告に、時の流れをひしひしと感じながら懐かしい同級生との再会は終わった。


帰宅した愛果は、父親に、部下に無理を言わないでと釘を刺して、この件は終わったものとして早々に思い出話の一つにした。


後日帰宅した父親から、朝長がぜひともこの話を受けたいと言ってきたと言われた時も、まだ半信半疑だったのだ。


父親が、呆然とする愛果に向かって、これで朝長は出世コース確定だから心配いらないよと零した瞬間、彼がこの話を受けた理由が分かった。

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