第10話 moon phase 14
合格ラインぎりぎりを彷徨っていた愛果は、それからすぐに個別指導の予備校に通い始めて、ますます顔を合わせる機会は減って行った。
それでも、同じ大学に入ったら、学部は違えどキャンパス内でいくらだって顔を合わせることが出来る。
それは物凄い励みになった。
油断さえしなければ落ちることは無いだろう模擬試験の結果に、よしよしこの方向で行こうと、ぼんやり自分の将来の方向性を決めた直後に愛果と志望大学が一緒だとわかって、一気に朝長は受験勉強が楽しくなった。
進路指導の教師からは、もう少し受験勉強に本腰を入れればもう1ランク上の大学も狙えると言われたけれど、頑として首を縦に振らなかった。
愛果との夢のようなキャンパスライフを思い描いていたからだ。
自分の受験勉強そっちのけで、偶然を装って愛果に付き合って予備校までの時間を図書室で一緒に過ごしたりもした。
そうでもしないと二人で過ごせる時間がとれなかったのだ。
自宅と予備校だけだとメリハリが付けられないから、とかなんとか適当な言い訳を口にしては愛果と共に図書室に向かう朝長を周りがどんな目で見ていたのかは想像に難くない。
広げた模擬試験の答案をチェックしながら参考書を引き寄せて、愛果のほうへ差し出す。
文系の彼女は理数系がとにかく苦手だった。
そして、理数系が得意だった朝長にとってそれは愛果との距離を詰める絶好のチャンスだった。
「長谷、ここの引用公式間違ってる。使うのはこっちな」
マーカーが引かれている例題を指さして示せば、愛果がきゅっと眉根を寄せる。
教室で誰かと話していたり、バスケをしている時の快活さが鳴りを潜めて、わかりやすくしょげる彼女を見られるのはなんだかすごく特別な感じがした。
ただでさえ細っこい彼女がさらに縮こまる姿は物凄く庇護欲を駆られる。
何が何でも力になってやろうと思わせる特別な魅力が愛果にはあった。
「・・・・・・あ、ほんとだ。これ、前もやったやつだ」
「焦んなくていいよ。まだ時間あるし、他の問題はちゃんと解けてるし」
「そっちは三回朝長が教えてくれたやつだもんね」
「四回でも五回でも教えるよ」
心からの本音を伝えれば、愛果がぱちぱちと瞬きをして、無言で図書室を見回した。
いよいよ受験が迫って来て、此処に居る受験生の全員が必死に机に齧りついている。
朝長のように誰かの勉強を見る余裕のある人間なんてまずいない。
「朝長、自分の勉強・・・・・・大丈夫だよねぇ・・・・・・毎回学年30位入ってたもんね」
勉強は苦手では無かったし、無理なランクの大学を受ける予定のない朝長の受験勉強は、他の受験生と比べるとずっと楽ちんだった。
定期試験結果の上位30位までが校内掲示板に張り出されるシステムだったので、毎回名前を見ていたのだろう。
愛果は中の下を行ったり来たりしていたので、彼女の成績を思うと彩出大学は、結構なチャレンジだったはずだ。
「朝練もずっと欠かさず出てるのに、いつ勉強してるんだろうって思ってたよ。ちゃんと結果残す人は、影で努力してるんだよねぇ」
「勉強ってほら、コツだからさ。シュート練習と同じな」
ポイントさえしっかり押さえて理解していれば、ひっかけ問題で泣きを見ることもない。
理数系はとくに。
逆に、本の文面から筆者や登場人物の心情を抜き出さなくてはならない現国や古文のほうが、朝長はずっと苦手だった。
自分以外の誰かが書いたものを、根掘り葉掘り探ることのほうがどうかしていると思う。
「・・・・・・それは物凄く分かりやすいね。あ、この間、お昼休みにグラウンドでサッカーしてたでしょ」
「あれ見に来てた?」
「食堂行った帰りに友達が気づいて、ちょっとだけ見に行った。けど、朝長気づいてなかった」
引退してから急に、女子に声を掛けられる機会が多くなった。
時間が出来て、教室で過ごす時間が増えたせいかもしれない。
サッカー部の部員たちによれば、愛果と朝長がセットで居ることが少なくなって、自分にもチャンスがあると思った女子が挑み始めたせいだと言われたけれど、自分ではよくわからない。
実際夏休みの間は全く愛果と会えていなかったし、二学期入ってからも校内で顔を合わせることはなかったので、セット扱いが薄れていたのかもしれない。
けれど、最近は放課後週の半分は一緒にいるので、そのうちまたセット扱いに戻るだろう。
そして、戻って貰わなければ困る。
受験勉強の息抜きに誘われて、久しぶりグラウンドを走ったらすぐに息が上がってしまって驚いた。
思うようにシュートは打てなかったし、後輩にあっさりとドリブルで抜かれたけれど、それでもやっぱりサッカーは楽しかった。
久しぶりに夢中になってボールを追いかけている間に愛果は教室に戻ってしまったようだ。
気づいたのなら声を掛けてくれればいいのに。
「呼んでよ」
「いや呼べないよ。女の子いっぱいいたし」
「なんで」
「なんでって・・・・・・気まずいし・・・・・・朝長のファンの子たちに睨まれるの嫌だよ」
「長谷じゃないんだからファンなんていねぇよ」
秋に生徒会を引退するまで役員として務めていた涼川恵は、定例会で愛果を見つけるたびほわんとした何とも言えない眼差しを向けていた。
男子だけでは飽き足らず、同性までも魅了してしまう愛果の魅力に頭を抱えたくなったものだ。
普通、現役アイドルに似ていると言われたらもっと天狗になりそうなものなのに、愛果は3年間ずっと気さくなままだった。
そういうところがクラスメイトたちから好かれていたから、彼女をやっかむものは一人もいなかったのだろう。
どちらかというととっつきにくい地味系の涼川恵にも笑顔で話しかけられる愛果のコミュニケーション能力の高さには舌を巻いたものだ。
それなのに、彼女は重たい溜息を吐いて朝長を睨みつけてきた。
「・・・・・・朝長、そういうとこだよ」
さっぱり意味が分からない。
「どういうとこだよ」
憮然とした面持ちで言い返せば、すぐに視線を模擬テストの結果に戻した愛果が小さく呟いた。
「・・・・・・・・・勉強に戻りまーす」
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