第3話 良いことを教えてやろう

父と母の、心配そうに私を送り出す顔が忘れられない。




「ミネルヴァ・サデリン、只今参りました」

「遅いな。この間にもしモーネの寿命がきてしまったらどうするのだ」


王太子は本気でそんなことを言っているのかと、少々驚く。

昨日まで虫だったモーネに、ここまで熱を上げるとは思いもよらなかった。


モーネは王太子から蜂蜜をもらっていた。

足と手でしっかりと王太子の腕を絡めて舐めている。

止まり木で蜜を舐める蝶そのものだ。

だが、その表情は恍惚としていて僅かに人間らしさが宿ったように感じた。


「見たまえ、モーネと私は愛し合ってしまったのだよ」

「本気でおっしゃっているのですか?モーネは蝶です。もって数日の…」

だん!とテーブルが叩かれた。

「そこでだ。君は、寿命を他者に分け与える魔法が使えるね?」

「っ!私に死ねと仰るのですか!?」

王太子は小指で耳をほじった。

「それに…それは禁断の魔法です!私の命だけではなく、この国をも危機に晒すことになるのですよ!」


この王太子は、婚約者に向かって、他の女のために死ねと言っている。


「はっ!国の危機!何を証拠に?君はまるで見てきたように物事を話すなあ」

「使用を禁じられているのは事実です。禁断の魔法を使用せよと命令されれば王太子殿下とて糾弾されるでしょう」

スノーファントム王太子は愛おしそうにゆっくりと絡んだモーネの手を解くと、つかつかとこちらに歩み寄った。


ぐいっと髪を掴まれる。

「王太子殿下!乱心なされましたか!このような…」

「無礼なのはそちらだ。ミネルヴァ」

「お離しくださいませ!こんなこと許されませんわ」

「お前は、モーネを殺そうとしたのだ。良いか、私はモーネを将来の妻に望む。そのモーネに命を与えないことは立派に処断の理由となり得よう」

「横暴です!そのような事が罷り通る訳もありませんでしょう!」


王太子はこれ以上ないほどに口元を歪ませる。

「通るか通らないかではない。通すのだよ。いいか、お前はモーネを殺そうとしたな、そして今私に処罰を受けるのだ」

胸に人差し指を突き立てられる。

不快だ。


「…他者に命を与えれば、魔法使いの魂は迷います。モーネとてその死後、冥府に行けぬまま彷徨い続けるかもしれません…!」

「死んだ後のことなど知らん」


この人は愛した人の運命をも歪めてまで、自分の欲望を満たそうというのか。


「さあ、お前の命だけで済むうちに、モーネに寿命を渡せ」


髪をぐいと引っ張られる。

金色の瞳を間近で見る。

その瞳の色だけは彼が王族であることを示していた。

この人は、王族の皮を被ったヒトデナシだ。


(もう、この国がどうなろうと知らない)


思えば、姉が不審な事故死を遂げた時から、もう私はこの国を諦めたのだ。



動き回るモーネの周りに素早く波動で丸を書いて囲む。

モーネは一切の動きが封じられた。

そして、長い詠唱が始まる。


ビリビリと空気が振動する。


まだ始めたばかりだというのに、額に汗が滲んだ。


「それでこそ愛しいミネルヴァだ」

空空しいことを言う。

私はそれでも詠唱に集中した。



王太子は足を組んで頬杖をついている。

つまらなそうに目を細めて言った。

「いいことを教えてやろうか。ダイアナを殺せと命令したのは私だ」

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