第49話




 黒い巨体が視界から忽然と消える。いや、跳躍していた。【闇霧】をエンチャントした剣で、空中から斬りかかってくる。


 心臓が圧迫されるような緊張感。サイドステップを踏む。数瞬前まで立っていた場所が爆撃でも受けたようにヘコんで床が砕ける。ぎりぎりでオーディックの斬撃を回避。危うく肉体を粉砕されるところだった。


 次いでオーディックは漆黒の鎧に覆われた肉体を躍動させながら身をひねり、こっちに向かって逆手に握った剣を振り回してくる。


 回避しなきゃいけない。頭ではそうわかっていても、スピードについていけない。『修羅に挑みし剣』を構えて、連続で叩きつけられる斬撃を受ける。叩きつけられる衝撃に、体中の関節が悲鳴をあげる。【闇霧】がまとわりついて、HPが削られていく。


 またスリップダメージが入る時間が延長された。集中力がかき乱される。


 オーディックが踏み込んできて、逆手に握った剣を左側からフルスイング。避けようと試みるが、失敗。そんなことをすれば死ぬと直感が告げてくる。真紅の剣を構えて防御の姿勢を取った。斬撃を受けて火花が散ると、体ごと弾き飛ばされる。


 たたらを踏むように立ち止まって、体勢を崩さないようにする。連続で攻撃を防いだことで、手足が震えて鈍い痛みが生じていた。剣の柄を握る両手の皮が剥けて、血がにじんでいる。


 呼吸も荒くなっていて、倦怠感がより増していた。


「貴様も、我に死を与えられぬか」


 オーディックは失望したように呟いてくると、巨体をかがめる。そして【闇霧】をまとった剣を構えたまま地面を蹴って突進――疾走する勢いを止めずに斬り裂こうとしてくる。


 その速度に慄然とする。自分が引き裂かれる光景が脳裏をよぎる。


 顎を食いしばって、皮の剥げた掌の痛みを堪えながら剣を握る。


 俺の好きだった死にゲーでは、こっちが紙装甲なんて当たり前だったっつうの! スリップダメージがなんだってんだ! 要は直接攻撃を受けなきゃいいんだろ! 


 死にゲーじゃあ、HPの最大値を減らしてくる極悪なボスだっていたんだ! あれに比べれば、ただHPが減るだけなんてまだかわいいほうだ!


 乱されていた集中力を寄せ集めて、研ぎ澄ます。


 死に直面したときこそ、脳汁が湧き出て底力がみなぎってくる。


 一瞬のミスも許されない。


 食らいつくように猛然と迫ってくるオーディック。【闇霧】をまとった漆黒の剣が宙を駆けるように叩きつけられる。


 呼吸を止める。目で斬撃は追いきれない。なので頭のなかで斬撃の軌道をイメージする。それにタイミングを合わせるように、身を低くして左側に跳ぶ。


「っ!」


 まだ、意識がある。生きている。


 ということは死線を越えて、回避に成功したということだ。


 はじめて敵の攻撃を避けきった。


 だけど安心はしない。ここからだ。


 オーディックは驚愕の声をもらしていたが、即座に追撃してくる。踊るような素早い動きで連続斬りを叩き込んできた。


 もうコイツの動きは十分に目にした。だったらやれる。


 モーションにあわせるように、直感を頼りにしつつ、体を前後左右に動かし、繰り出される斬撃の嵐をかいくぐる。


 振るわれる漆黒の剣がかすめそうになるたびに、心音が止まりそうになったが、それでも避けつづける。


 だけどステータスに差がありすぎるので、いつまでも回避は続かない。まともにやりあっていたら、そのうち避けられなくなる。


「ここだ!」


 漆黒の剣が横薙ぎに払われると、左斜め前に向けて回避。あえて敵に向かっていく。


 叩きつけられる【闇霧】の斬撃を潜り抜けて、辛うじてかわすことに成功。もらっていたら死んでいた。


 窮地を越えて、黒獣王の側面に回り込むと、反撃に転じる。


 相手の強さに応じて攻撃力を高める真紅の剣。『修羅に挑みし剣』を、漆黒の胴鎧を装着した脇腹に向けて叩きつける。


 鉄の塊でも殴ったような手応え。攻めているのはこっちなのに、剣を叩き込んだ衝撃が伝わってきて両手に痛みを感じる。


 漆黒の鎧は破壊できなかった。だけどダメージは与えられたはず。


 だというのに、オーディックは唸り声を発すると瞬時に斬り返してくる。 


 ひるみもしないなんて。スーパーアーマー状態まであるのかよ。


「だけどな!」


 腰を落としつつ、右斜め前にステップを踏んで斬撃を回避。その拍子に『修羅に挑みし剣』を叩き込み、追加ダメージを与える。


 オーディックは痛みを表情には出さずに、荒々しく獰猛な斬撃を繰り出してくる。一発もらえば死ぬとわかっていても、敵の攻撃を回避しつつ、限られた隙のなかで反撃を打ち込んだ。


 避けるだけじゃない。攻撃も織り交ぜていく。格上殺しの剣によって、着実にダメージを蓄積しているはずだと信じて抗う。


 あんなに乱れていた集中力が、戦闘のさなかで高められて、最高潮に達していた。オーディックの斬撃を避けつづけたことで、肉体にまとわりついていた【闇霧】も薄まっていき、スリップダメージがなくなる。


 だけど油断はしない。【闇霧】で削られたぶんのHPはそのままだ。敵のほうが優勢なのは変わらない。


 回避と攻撃を繰り返していると、突如として目の前で砂塵が巻きあがる。オーディックが後方に跳んで、距離を取ってきた。


 オーディックは背中を仰け反らせると、天空まで届くような咆哮をまき散らしてくる。


 凄まじい雄叫びを響かせると、オーディックは暗い瞳でこっちを見据えてくる。相変わらず身の毛がよだつほどの殺気がこめられているが、それだけじゃない。ヤツの眼差しからは、敬意のようなものが感じ取れた。


「我に傷をつけるとは、貴様こそ求めていた強者! 全力でいかせてもらう!」


 快哉を叫ぶと、右腕を振りあげてくる。逆手に握った『黒獣王の剣』を、杭を打ちつけるように地面に突き立ててきた。


「【闇霧結界】」


 オーディックが低い声でそれを唱えると、突き立った『黒獣王の剣』が息吹を吐き出すように【闇霧】を噴出させてくる。


 辺り一帯に【闇霧】がひろがっていき、視界が暗転。一瞬にして広間全域が真っ黒な霧に塗り潰されてしまった。


「っ……!」


 広範囲に【闇霧】を放出するというトンデモ技に、頭を殴られたようなショックを受ける。


 自身のステータスをチェックして、愕然とする。またしてもHPが減り続けていた。この霧のなかにいるだけで、スリップダメージが入り続けてHPが削られていく。


 ここから逃げることはできない。オーディックがそれを許さないだろうし、おそらくこの【闇霧】は広間の外側にまで散布されており、どこまで続いているのかわからない。


 なにより逃げの姿勢を見せれば、こっちの勢いがなくなって戦闘に影響が出てしまう。


 辺りが黒々とした霧に覆われているせいで、視界が悪い。遠くまで見通せない。オーディックの姿を目視できなくなった。どこから襲ってくるのかわからない。


 減り続けるHPが『0』になる前に、オーディックを倒さないと、こっちが死ぬことになる。




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