第2話 出会い
この都市、ファラディスには多くの種族が共に暮らしている。
人族はもちろん、獣人族にエルフ族にドワーフ族に。
これだけ聞けば、活気立った裕福な街だと思うだろうが……多種族が全員仲良くしているわけではない。
種族間の対立もあれば、他種族を見下すような動きもある。
さらには貧富の差も激しく、一部地域はスラム街にもなっているほど。
そんな暗雲のある都市だからこそ、今回のことが起きたのかもしれない。
——テトとの出会いは本当に偶然だった。
* * * *
「やっぱり一人で営業するのは大変だ……。いっそのこと席を減らすかぁ……?」
繁盛するイザカヤの営業を終え、疲れた体に鞭を打ちながら一歩一歩、自宅に向けて歩いていく。
そんな時だった。俺は道の端に茶色い物体を見るのだ。
……正確に言えば、汚れのせいで白色が茶色になっている物体を。汚い道で倒れているその人体を。
「お、おいおい……。勘弁してくれよ……」
このようなことを聞いたことがあるが、実際に目撃するのは初めてのこと。
「死んでないよな? ……死んではないか」
理解が追いつかない状況なのだ。遠目で凝視すると、わずかに手が動いている。
土を掘るように、爪を立ててほふく前進をしているように。
それでも動けないのは、それだけ体力を消耗しているからだろうか。
「……」
酷い話をするが、見て見ぬふりをしようとも考えた。
このような相手は曰く付き。必ずトラブルを持っているのだから。
この世界の一般的な考えならば、無視である。
だが——見て見ぬふりをすれば尾ひれがつくような感覚に襲われるのは間違いない。
最悪のことを挙げれば、死。もしくは
それを想像するだけで……。
「はあ。まだこの世界に染まり切れてなかったんだな……俺は」
俺は汚いソイツに近づき、抱え上げる。
多少なりに意識があるはずだが、抵抗すらしなかった。
* * * *
『保護』という名目でソイツを家に連れて帰れば……緊張の糸が切れたのか、安心したのか、風呂も入らず飯も食わず、翌日の昼まで無防備に熟睡していた小柄なキツネ女。
俺のベットを独占しただけでなく、汚い体でめちゃくちゃ寝床を汚しやがったソイツを速攻で風呂に入らせ、熱々の飯を食わせながら尋問を始めるのだ。
「……ふーん。ギャンブルで借金を作った親が夜逃げして、数十日前にお前だけが取り残されたと」
——コク。
「それから借金取りのような男
——コク。
久々のご飯なのだろう。がっつくように食べているせいで口に物が入ったままの状態が続いているコイツの返事は、首を縦に振ることが多い。
マジで図太い。
生きるために必死なのだろうが、『今食べている物を俺が取ろうとしている』なんて勘違いしているのならば、すぐにでも訂正したいものだ。
「それで、追っ手からなんとか逃げ
「飲み物は……雨があった」
しかもタメ口だ。
恐らく、教育があまり施されていないのだろう。曰く付きなのだから想像がつく。
いや、なんなんだよコイツ。
「いや、雨は飲み物じゃないだろうに」
「ん……」
反省したように三角に立った耳がすぐペタンとなる。
……別に説教をしているわけでもない。
「お前、年は?」
「……16歳」
「は!? お前、よくそんなんで逃げられたな……」
「頑張ったから」
「まあ、それは確かに頑張ったな。もし捕まってたらお前は間違いなく娼館行きだっただろうし」
褒めれば耳が少しピンと立った。太っといもふもふの尻尾が少し膨らんだ。
獣人は喜怒哀楽がわかりやすいのだ。
「んで、本題に戻るが……お前はこれからどうするんだ? 早めに言っておくけど、なんの見返りもなく、身柄を預かるほどお人好しじゃないからな、俺は」
「……」
「おい、風呂にも入らせて飯も食わせてやってるんだから無視するな。お前はこれからどうするつもりなんだよ」
「……お、お母さんの帰り……待つ。わたしのお家で」
「そりゃやめとけ。夜逃げしたぐらいなんだから、間違いなく住む権利は消えてる」
俺が言ったことはコイツも理解していたのだろうか、動揺するような素ぶりは見せなかった。
——もう全てを悟った上での発言だったのだろう。アテもない、と。
「お前、本当に八方塞がりなんだな。なにも頼る場所がないくらいに」
「……」
こんなことなら聞かなきゃよかった。
なんのアテもないコイツを放り出せば、罪悪感に襲われるのは俺なのだから。
「まったく……」
言葉にならない感情が襲ってくる。しかし、そんな中で一つ思い浮かぶ。
『あ、コイツに家事とか任せたら生活が楽になるんじゃね』と。
これは立派な等価交換になりうると。
自分はトラブルを抱えた曰く付きを拾ってるのだ。このくらいのことをしても、罰が当たるわけがない。
「ちなみに質問。お前の特技はなんだ? 掃除や料理とかなんでもいい。それができるなら、一旦は住み込みを考えてやらないことも——」
「——で、できる」
今日一番の大きな声。
「本当か?」
「ほんと」
自信が窺える。これは期待できる反応だ。
「ほーん。ならまずは一週間……じゃなくて一ヶ月くらいお前の衣食住を保証してやる。その代わりお前はこの家で家事をしてくれ。もし期待通りの働きをしてくれたのなら、お前が働ける職場まで紹介してやる」
「いいの?」
「いい』
「ありがとう」
「別に礼を言われることじゃない」
正直なところ、この案を通せたのは嬉しいのだ。
お金をかけることなく労働力を手に入れられたのだから。これで生活が楽になる。
めんどくさい家事をしなくてもよくなる。
「話が纏まったな。んなら今日は体を休めとけ。明日から本格的に働いてもらうから。いいな」
「わかった。頑張る」
「お前の名前は?」
「テト・リフィア。16歳」
「テトな。俺の名前はサトウ・レンじゃなくて……レン・サトウ。歳は21」
「……」
「お前、今変わった名前だと思っただろ。目が丸くなってたぞ」
ブンブン。
首を全力で左右に振ってくる。
そんなに脳を揺らしたら気分が悪くなりそうだが、そこは獣人の強さと言えるのだろうか。
* * * *
それから数時間後。
体を休めるように昼寝をしようとしたコイツはとんでもない行動を取ってきた。
「お、おい待て。お前……なんでそこで丸くなってんだよ。そこ床だろ……」
俺はしゃがみ込み、上から目線で問いかける。
「人様の床で寝ようするなよ。踏むだろ。あのベッド綺麗にしただろ?」
「あのベッドは、あなたの寝るところ」
「は?」
なぜこうしたところだけ図太くないのか、理解に苦しむ。
「俺にはソファーがあるからいいんだよ。お前はベッドで寝ろ。明日からお前には働いてもらうんだから」
「ありがとう……」
「ん」
コイツは貴重な労働力。家事においての自信も見えた。
少しでも回復してもらうことで、明日からその力を奮ってもらうのだ。
俺だってこの世界で必死に生きているのだ。こうした下心があるからこそ、家主の俺がソファーで寝るのだって我慢できるのだ。
* * * *
その翌日。俺はとんでもない光景を見る。
「早起きは偉いぞー。テト」
「うん」
「だけどな、どうして包丁を両手で持ってるんだ? それじゃ切れないだろ?」
「ん!」
その言葉をかければ、コイツは切れることを証明するように包丁を振り下ろし、野菜を切った。
『……今ので絶対刃こぼれしたよな。てか、まな板まで傷ついただろ』
獣人は力が強いのだ。恐らく間違いない。
「あ、あのな……俺が言った『切れない』って言うのは、『一口大に切れない』ってことで……。しかも両手が塞がってるから……ほら、野菜がコロコロ転がって落ちるの止められない」
「っ」
「お、おいおい!? まな板に戻すな! せめて洗って戻せ」
もうわかっただろう。
コイツは見ての通り、ダメダメである。
コイツの手作りを食べるつもりが、結局、料理のほとんどを俺が作ることになった。コイツが手を怪我でもしたら、掃除だって出来なくなってしまうのだ。これは仕方のない処置。
もしこのことを計算してわざとしているようなら、俺はコイツを殴ってしまいそうだ。
* * * *
「お掃除頑張る」
「おお、頑張れ。さっきの挽回だ」
朝食を終えた後。次は掃除。
掃除を開始して数十分後だろうか。
「——うわ」
テトの慌てる声が部屋に響き、すぐ覗きにいけば……さらに頭を抱える光景が広がっていた。
水が入っていたはずのバケツが横に倒れ、床が盛大に濡れている。その上でベチャ、っとアイツが倒れている。
俺と目が合えば急いで立ちあがろうとして、水に滑ってまた転ぶ。
もふもふの尻尾が水分を吸って縮んでいる。
『もしやコイツは尻尾で掃除をしようとしているのではないか?』と思ったが、ンなわけはない。
「と、とりあえず風呂入ってこい。ここは俺がしとくから」
「……」
「ほら、早く入ってこい。風邪引いたら怒るぞ?」
「ごめんなさい」
しょんぼりなってお風呂場に向かっていくテト。水分を吸った尻尾から水滴をタポタポ落としながら。
せめて尻尾を絞ってから行ってほしかったが、悪気はないのだろう。これは我慢するしかない。
あと、昨日の時点でわかったが、アイツの風呂は長い。太い尻尾があるせいで乾かす時間も長い。
結論。コイツは家事も掃除も苦手。
* * * *
それを理解した上での昼食作り。
俺はコイツの小さな手を握りながら、まずは包丁の使い方を教えることにする。
コイツのピンと立つ耳が視界を
それでもなんとかやり終えた。
『ちなみに質問。お前の特技はなんだ? 掃除や料理とかなんでもいい。それができるなら、一旦は住み込みを考えてやらないことも——』
『——で、できる』
『本当か?』
『ほんと』
このやりとりについて、『(“やる気があるから”)できる』との意味合いだったのは、目を瞑ることにする。
普段以上に大変になっていることも今のところ目を瞑ることにする。それ以外に落としどころがない。
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