第7話 変化

ユリから拒絶された本木はそのまま帰国した。ユリは自分に伝えることは何もないと言った。自分が見た瞳と他の男とのことや、マネージャーの言った『周りを良く見て欲しい』との言葉・・・どれも自分の考え過ぎなのかと考え始めた。

本木はしばらく考えた後、電話を掛ける。

「もしもし、瞳?」


「ちょっとまずいことになったのよ」

瞳は小声で話す。

「何があった?」

三田村は答えた。

「どうやら私とあなたが一緒にいるところを本木に見られたの、何とかごまかしたけど・・・ちょっと疑っているみたい」

「見ただけだろ、何も証拠はないんだから大丈夫だよ」

三田村は楽観的に答える。

「そうはいかないわ、それに誰かが私の周りを探っているようなのよ・・・」

「誰が?本木か?」

「わからないわ・・・とりあえず用心にこしたことはないわ。しばらく会うのは止めましょう」

「しばらくって・・・」

三田村は少し情けない顔をして言った。

「本木の疑いが晴れるまでよ、私が何とかするわ」

「わかったよ、そのまま本当に好きになったなんて言うなよ!」

「何言ってるの!」

瞳は三田村を睨み言った。


「ごめん、待った?」

瞳は本木の腕を掴み言った。

「大丈夫、さあ、どこへ行こうか?」

本木も笑顔で答えた。

「どこでも良いわ、あなたの行きたいところへ行きましょう!」

瞳も笑顔で言った。

二人は久しぶりにドライブをし、海へとやってきた。海岸を歩き、貝殻を拾ったり、波打ち際に砂山を作ったりと、子供のようにはしゃいだ。そして誰もいない砂浜にシートを引き、ふたり並んで横になる。

「こんなの久しぶり!」

瞳は楽しそうに言った。

「僕もだよ。たまにはこういうのも健康的でいいね」

本木も笑顔で言った。

しばらく二人は黙って横になっていた。そして本木が瞳を見て言う。

「瞳、今までごめんな」

「えっ?」

「君を本当に幸せにする努力をしてなかった気がする。忙しい君をたまにはリフレッシュさせてあげたり、君の話をゆっくり聞いてあげたり・・・僕は出来ていなかった気がするんだ」

「そんなこと・・・」

瞳は本木を見て言う。

「これからは苦しかったり、何か不満があったら僕に話して欲しい。君を支えられるよう努力するから・・・今は頼りなくても、絶対君を守れるような男になるよ」

本木は真剣な顔で言った。そんな本木を見て瞳の心に変化が生じる。今までこんな人見たことない、本当は自分のことをまだ疑っているはず・・・でも、また私を信じ、愛そうとしている。

「あなたって本当にいい人ね」

瞳は本心から言った。自分は誰も信用せず、頼らないで生きていこうと思っていた。だが、初めて信じたい、頼りたいと思った。

「わかったわ。これからはあなたに何でも相談する。あなたも私を頼りにして」

瞳は本木をまっすぐに見つめ言った。はじめて本木を、お金というレンズをはずして見て言った瞳の言葉であった。本木も今までのことを全て忘れ、瞳を幸せにしようと考えた。こうすることが一番であると、思った結果であった。


ユリも普段の生活に戻っていた。周りの皆は明るくなったユリを見て、逆に何か良いことがあったのかを尋ねるくらいであった。しかし、ユリの明るさを逆に心を痛めて見つめる人がいた。マネージャーであった。マネージャーはユリがどれだけ辛い思いをして、明るく振るまっているかを痛切にわかっていた。

「ユリ・・・無理するな」

マネージャーはユリに言った。

「大丈夫よ、私はもう平気!」

ユリは明るく言った。

「自分の気持ちに正直に生きた方がいいんじゃないか?」

マネージャーは強がるユリに対し言った。ユリはマネージャーを見上げるが、すぐにうつむき言った。

「正直になれたらどんなに楽か・・・、でも、私が正直になれば、また迷惑を掛けてしまう。これ以上迷惑に思われたくない・・・」

「迷惑かどうかは相手が判断するものだ、まだ何もしていない内からどうしてわかる?」

ユリは微笑んで答える

「出会いが遅かったの・・・神様は偶然を2回与えてくれたけど、3回目は与えてくれない・・・。私が出来ることは運命に従うこと、だから自分の気持ちを打ち明けられない状況は運命なんだと思う・・・」

「確かに避けがたい運命はあるものだが、自分で切り開く運命もあると思うぞ」

マネージャーは優しくユリの肩を叩き言った。

「ありがとう、もう大丈夫だから・・・」

―「そう、もう大丈夫・・・」―ユリは心の中で呟いた。

大丈夫ではないことを自分ではわかっている。簡単に割り切れる想いではないことを・・・自分が動けばあの人に迷惑になる。そう考えて、あの人のために自分の気持ちを抑えることに決めた。それがこんなにも苦しいとは・・・。ユリは改めて本木の存在が自分の中で大きいことを感じた。

「さあ、頑張るのよ」

ユリは自分に言い聞かせるように仕事に戻った。マネージャーはユリの後姿を見て何かを決断する。


本木は一人、喫茶店で考えていた。自分の中でもう一度、瞳を信じると決め、瞳との時間を何より優先させていた。瞳も以前より本木との時間を優先させた。瞳は前より本木に対して優しく接していた。それが本木にとっては不自然にも感じていた。自分が優しくするのはわかるが、なぜ彼女は急に態度を変化させたのだろう・・・。本木には理解出来なかった。

「ドカッ」

突然、目の前に男が座った。

「コーヒー!」

その男は大声で注文をすると本木をじっと睨みつける。本木は相席を断りも無くするこの男の無礼さを不愉快に感じた。しかし、元から喧嘩には自信のない本木は、何もせずに黙っていた。

「おい!」

突然、男が本木に言った。本木は驚きながら

「私・・ですか?」

「そうだよ。お前、誰かと待ち合わせか?」

本木は瞳と待ち合わせをしていた。

「そうです・・・」

「じゃあ、俺がここにいたんじゃまずいよな?」

「ええ、まあ・・・」

「じゃあ、何で俺に文句を言わないんだ!ヘン、びびってるんじゃねえのか?」

本木もここまで言われると黙っていなかった。

「私に相席の断りを入れる社会のルールを実行出来ない幼稚なあなたのような男に、とやかく言われる筋合いはない!威嚇や暴力で物事が解決すると思っている人間に、本当の男としての能力があるとも思わない!」

男は顔を赤らめ、立ち上がりながら言う。

「何を!俺が何もできない幼稚な男だと思っているのか?」

本木は座ったまま静かに男を見上げ

「出来ることは威嚇と暴力だけでしょ。それ以外に私に対して何が出来るんです?」

男は座りこみ、薄気味悪い笑みを見せ

「今にお前は痛い目に会うぜ、お前の付き合っている瞳のせいでな!覚悟しておけよ」

「・・・お前、何で瞳を知っているんだ?」

男は何も言わず立ち上がる。そこに瞳が現れ、その様子を見て驚く。男は瞳に気が付くと不敵な笑みを浮かべその場を去る。瞳はその男と目を合わさないようにしながら席につき、動揺を隠しながら聞いた。

「今の男、何?」

「いや、わからない。突然僕の前に座って因縁をつけてきたんだ」

「それだけ?」

瞳は不安そうに聞く。

「それだけだよ、さあ、何飲む?」

「ええ・・・」

瞳はメニューを見ながら必死に動揺を押させた。

―「三田村の奴!」―と、心で呟きながら・・・

本木も瞳の様子を観察していた。あきらかに動揺している瞳を見て、自分が偶然見たあの男であることに気が付いた。瞳を見る眼が少しずつ曇っていった。


「ドンドン!」

扉を強く叩く音に三田村は目を覚ます。

「ドンドン!」

更に強く扉が叩かれ、三田村は舌打をしながら扉を開ける。そこには瞳が立っていた。

「おう、久しぶりじゃねえか、やっぱり俺に会いたくなったのか?」

三田村は瞳に抱きつこうとするが、瞳は振り払い部屋へと入る。

「どういうつもり?」

瞳は語調を強めて聞いた。

「何のことだ?」

三田村はとぼけた顔でごまかす。

「どういうつもりよ!本木に会うなんて!彼は私たちを一回見ているのよ!」

「そんなの知ってるさ。ただ一度、会っておこうと思ってな」

「何のために・・・、ばれたらどうするのよ」

「おい、何をそんなに怖がっているんだ?もともとは好きでもない相手と一緒にいるんだろ。ばれたら俺のもとに帰ってくればいいだけさ」

三田村はニヤニヤしながら答えた。

「今までの苦労が台無しになるのよ、邪魔しないで!」

瞳は三田村を睨みつけ言った。すると三田村は立ち上がり、瞳の髪の毛を掴んで静かにであるが凄味を利かせて言う。

「おい、俺を甘く見るなよ。お前の考えが変わってきていることに、気が付いていないとでも思っているのか?」

三田村は瞳を押し倒し、手に持ったナイフを顔に当て更に続ける。

「俺を裏切ったら、ただで済むと思うなよ」

瞳は三田村を突き放し

「わかっているわよ。私は何も変わっていないわ!私にとって大事なのはお金だけよ。それに私を脅しても無駄よ、私の思うとおりにするから」

そう言って部屋を後にする。三田村は不適な笑みを浮かべ、その後姿を見ていた。


自宅に帰った本木は、今日、出会った男のことが頭から離れなかった。そして瞳の動揺した姿・・・。自分の中で瞳を信じていた気持ちがまた揺れ動いていた。その時、電話が鳴る、瞳からだった。

「本木さん、寝てた?」

「いいや、どうしたの、こんなに遅く?」

「別に用事はないんだけど・・・ただちょっと声が聞きたくてなって・・・」

本木は驚いた。今までこんな風に瞳が自分の気持ちを率直に話すことはなかったからだ。

「何かあったのかい?」

「え、どうして?」

「いや、弱気な瞳をあまり見たことがないから、何か問題を抱えているんじゃないかと思って・・・」

瞳は涙を必死にこらえた。今まで自分をここまで心配してくれた人に出会ったことがない。もし、彼ともう少し早く出会っていれば、自分の人生ももっと変わっていたはずだと感じた。

「大丈夫よ!私は平気、それより私のことでいろいろ悩まないでね!」

「何が?」

「何でも。とにかく声が聞けてよかった。それじゃ、また」

瞳は電話を切った。自分の部屋がいつもと別の空間に感じた。一人でいることがこんなにさびしいと感じたこともなかった。誰かそばにいて欲しいとこんなに思ったことも・・・。

本木も電話を切った後、考えていた。確かに瞳の態度は変わってきた。本木にとっては嬉しいことであるが、なぜか府に落ちない。本木は床につくが、その日はほとんど眠れずに終わった。


次の日、本木の会社へ来客が来た。本木が受付まで行くとそこにはマネージャーがいた。

「ご無沙汰しています。お元気でしたか?」

本木は笑顔で迎えた。

「本木さんも元気そうで。ちょっと仕事があったんで、ご挨拶にと思って」

「そうですか、じゃあ帰りにお会いしましょう。それまでどこかでお待ちいただけます?」

「勿論です。じゃあ、外の喫茶店で十九時にでも会いましょう」

そう言ってマネージャーは外へと出た。

―「本木さん、あなたの気持ちを確認しますよ」―心の中で呟きながら・・・。


本木が喫茶店に着くと、もうマネージャーは席に着いていた。

「遅くなりました。お仕事の方は済みましたか?」

「ええ、無事に。本木さんは大丈夫ですか?急に押しかけて」

「大丈夫です。そう、ユリさんも元気にされています?」

本木はさりげなくユリの状況を聞いた。マネージャーは顔色を変えずに答える。

「あまり元気ではありません。何か考え事をしているみたいで」

「考え事・・・?」

本木は不思議そうに聞いた。

「本木さん、単刀直入に聞きます。瞳さんとうまくいっているのですか?」

「えっ?」

思いがけない質問に本木は驚いた。

「以前、私は言いました、『もう少し回りをよく見て欲しい』と、その意味はわかりますか?」

マネージャーは意味深に聞いた。

「私なりに考えました。確かにここ数日、私の周りではいろんなことが起きました。真剣に今の状況を考えています」

「と、言うと?」

「よく周りを見れば不自然なことが多いんです。あなたが私に助言したことも、ユリさんがどうして私にそんなに気を使うのかも、そして瞳の態度が急変したことも」

「瞳さんの態度が急変した?」

「ええ、以前、他の男性と歩いていたのを目撃したんですが、本人は勿論否定しています。またユリさんの話をしようとしたら、急にユリさんが私たちの中を裂こうとしていると話し出した。ユリさんの手紙の内容とはかけ離れている。今まで瞳は本音をあまり言わなかった。でも最近、瞳は私に対して随分心を見せるようになった。しかし逆に不安になります。私の瞳に対する気持ちも少し自信がなくなっているのも事実です」

マネージャーは黙って聞いていたが笑顔で言う。

「あなたの正直さにユリは好感を持ったのでしょう」

「ユリさんへは私も好感を持っています。あんなに人に優しく出来る人はそういないと思います」

マネージャーは本木の言葉を聞き、意を決して話し出す。

「本木さん・・・今から私の知っている真実をあなたに見せます。あなたにとっては辛い事実かもしれないが、あなたのためにも私は敢えてお見せします」

そう言って一枚の写真と書類を本木に差し出す。本木は恐る恐るその写真を見る。

「・・・そんな馬鹿な・・・」

本木は驚愕の表情で写真を見た。そしてマネージャーが興信所に調査させた結果の書類に目を通す。書類を読み終えると本木は肩を落とし、信じられないと言った表情で首を振る。その様子を辛そうに見ていたマネージャーは話し出す。

「これが事実です。立ち入ったことをしたかも知れないが、私はあなたとユリを見ていて、正直この事実を隠すことが出来なかった」

「ようするに、私は騙されていた訳ですね・・・」

本木は力なく言った。

「あなたは人が良すぎた。でも決してあなたが悪いわけではありません。どうか自分を責めないで下さい」

マネージャーは肩を落とす本木に優しく語った。

「このことをユリさんは知っていますか?」

「いいえ、でも話すべきだと私は思います。このままではユリはあなたと瞳さんの中を誤解したままになる。それはユリにとって、とても不幸なことだ」

「そうですね・・・。みじめな私を見てユリさんは慰めてくれるでしょう。でも私にもプライドがあります。このことは言わないで下さい」

「しかし・・・」

「お願いします。私が整理するまでは」

本木の言葉を聞き、マネージャーは黙ってうなずいた。

「それじゃ、失礼します」

本木は一礼すると店を出て行く。今までの自分はなんだったんだ?なぜこんなことが起きるんだ?・・・自問を繰り返し呆然と歩き出した。

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