終電間際の義侠心

そうざ

A Sense of Justice Just before the Last Train

 終電までには幾らか余裕があった。

 明日は休みだし、月は蒼い。繁華街から裏道に折れ、束の間の漫ろ歩き。夜半の微風が、酒で火照った頬を優しく撫でて行く。舗道に伸びた自分の影までも、はしゃぐように揺れている。

 そこでを感じた。

 気配はやがて大柄な人の形になり、雑居ビルの間から突然ぬうっと現れた。

 それだけでも一瞬の酔い覚めには充分だったが、人影は血塗ちまみれだった。白い開襟シャツの胸元から下が、べっとりと染まっている。

 人影は私の事など気にも留めず、赤い靴跡を舗道に刻みながらとぼとぼと通り過ぎて行く。

 私は反射的に問い掛けていた。

「大丈夫ですかっ⁉」

 人影は俯いたまま、ダイジョブ、ダイジョブと呟くだけで、構わず立ち去ろうとする。

 当人がそう言うのなら良いか――いや、私だって小市民ながら義侠心の欠片くらいは持っているつもりだ。

 私は人影の前面に回り込んだ。

「動かない方が良いですよっ、直ぐに救急車を呼びますからっ」

 人影は顔をそむけ、小さな舌打ちをしたかと思ったら、今度は地響きのような声で夜陰の静寂を貫いた。

「ダイジョブ……コレハ俺ノ血ジャナイカラ」

 私は、はっとして、人影が現れた雑居ビルの間をゆっくりと覗き込んだ。とても人が通れそうにない細い隙間だった。闇を湛えたその奥に、禍々しい片息の咆哮が潜んでいた。

 そこで完全に酔いが覚めた。

 気が付いた時には、駅へと急ぐ自分が居た。

 私は飽く迄も小市民なのだ。欠片程度の義侠心しか持ち合わせていない。それに、もう終電まで時間がないのだ。

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