七子にまつわる幻覚まとめ
ほずみ
具体的な幻覚 射陽組(陳琳と臧洪)
陳琳孔璋…徐州広陵郡射陽県の名家(広陵陳氏)分家の放蕩息子。多分155年うまれ
臧洪子源…射陽県のヒラ役人臧旻(びん)の愛息子。多分160年うまれ
陳→臧…乱世なんだから意地張ってないで清濁併せ吞もうぜ
臧→陳…あんたはそんな人じゃなかっただろ、死んだ方がましだ
・170年ごろ
臧旻が袁縫(袁紹の祖父)に突如推挙され、朝廷の官吏になる。臧洪はせがれとして、名家の子息が集う学問所へ通うことになる。そこで臧洪は陳琳と出会う。
名家のはみ出し者である陳琳と、成り上がりであることにコンプレックスを持った臧洪は互いに高め合い、親交を深める。陳琳は向上心のある臧洪を尊敬しているし、臧洪は他とは一線を画す陳琳に憧れている。
・175年ごろ
徐州の天才と名高い張昭(後に孫呉の名臣となる人物)が、孝廉(豪族による朝廷への推薦)を断った。話を聞いて信じられないと憤る臧洪だが、張昭と親交のあった陳琳はその意図(腐敗した朝廷に操を立てたくない)を察し、煮え切らない態度を取る。そんな折、張昭が断った推薦が陳琳に回ってくる。陳琳は意を決して推薦を受ける。何も知らない臧洪は、大手を振って陳琳を見送った。
・180年ごろ
臧洪は猛勉強の末、孝廉により朝廷へ出仕。早速陳琳に会いに行こうと上司に居宅を訪ねると、渋い顔をされる。なんでも陳琳は成金将軍と悪名高い何進一派に抜擢されて、わりと調子よく振舞っているのだという。出世したいなら他人のフリしたほうがいいぞと言われ、臧洪はどうしようかと悶々としながら、時を過ごしていた。
・184年
何進による黄巾の乱鎮圧方法に意義をとなえ、臧洪たち清新派官僚は一斉に下野する。臧洪は徐州に帰り、豪族の張超に仕える。
一方何進主簿(秘書)にまで登りつめた陳琳は、楼閣から去っていく臧洪を見る。結局四年間、二人は言葉を交わさなかった。
・189年
何進が十常侍(権勢を握っている宦官たち)に暗殺される。陳琳は命からがら洛陽を脱出し、冀州へ逃げる。冀州を牛耳る韓馥からすれば面倒な奴が来たな、でも追い出したらよそから批判食らいそう、取り立てずにそっとしておこう、ということに。高級官僚から一転浪人となった陳琳は、秘密裏に袁紹の冀州攻略のための手引きをする。
・191年
袁紹が冀州を攻略し、陳琳は袁紹に仕える。この年、暴政を振るう董卓を討伐すべく袁紹は各国の群雄を率いて宣戦布告した(陽人の戦い)。この群雄の中に張超、臧洪もいた。戦いは袁紹たち連合軍の仲間割れによる解散で幕を下ろすが、目立った活躍をした臧洪は袁紹に目を掛けられ、様々な恩恵を受ける。
ある日臧洪は、袁紹の開いた酒宴で陳琳と再会する。酒の力で二人は途端に和解する。しかし平穏を手に入れすっかり腑抜けた陳琳が、臧洪は内心気にくわなかった。
・195年
袁紹のやりかたに異を唱えた張超が、袁紹に宣戦布告する。しかし圧倒的軍事力を持った袁紹は、すぐに張超を追い詰め、討ってしまった。臧洪は張超に加勢しようとしたが、袁紹に妨害されてかなわなかった。
・196年
張超の仇を討つべく臧洪が袁紹に反旗を翻す。有能な臧洪を失いたくない袁紹は、射陽同邑の友である陳琳に降伏勧告をするよう命じる。陳琳は臧洪に面会し、忠義を曲げる必要性を説く。臧洪は何も言わずに頷き、明日には返書を渡すと言って奥へ籠ってしまった。
翌日、臧洪は徹底抗戦することを陳琳に告げた。そして返書をその場で読み上げた。そこには義を貫くことと、陳琳への罵倒が書かれていた。
「行矣孔璋! 足下徼利於境外,臧洪投命於君親。」
(行け孔璋! お前は利益を境外に求めろ、俺は主君や親のためにこの命を投げ打つ。)
陳琳は返書を受け取り、袁紹のもとへ戻る。道中、返書の末文に込められた臧洪の思いを、胸中で反芻しつづけた。
その後袁紹は臧洪軍を撃破。臧洪は引っ立てられ、処刑される。
・200年
袁紹に対し、旧友であった曹操が宣戦する(官渡の戦い)。陳琳は袁紹に、全軍に檄を飛ばすよう進言する。袁紹はそれを採用、陳琳に檄文を書くよう命じ、陳琳はすぐに書き上げる。その文は密偵によって曹操にも届く。曹操は舌を巻いた。いち文官が書くにしては、その文には血が滲んでいたからだ。
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