第20話

「せのん?」

「せのんちゃん…」

 風子かこと僕が顔を覗き込むと、せのんは顔をくしゃくしゃにする。

「どうした、せのん。そりゃあ、せのんを連れまわしたのは僕が悪かったけど」

「神社。神社でミユキクンが待っている。せのんは行かなくちゃだめなの」

 そんな話は聞いていない。第一、せのんとの約束を守れと念押ししてきたのは、店主のほうなのだ。昨日、買い物に行かなかったのだから、今日、行くしかない。なのに、せのんと遊ぶ約束をしてというのは考えづらい。僕はまた明日になったら、遊べばいいと言うが、せのんは首を振る。遊びの約束ではなく、どうしても今日中に神社に行かなくてはならないのだと。よくわからないが、大切な約束なのだろう。これで僕がせのんを神社に連れて行かないで、明日の朝、店主に責められるのはごめんだ。僕はせのんを神社に連れて行くことを了承し、安心してソフトクリームを食べるよう勧める。せのんはいくらか食べて、僕に残りを渡す。せのんのソフトクリームは塩の味がする。

 風子が下の交通案内所で、神社行きのバスを調べてくると、野草園行きと動物園行きの循環バスが出ていると言う。観光地が弱いと言われるこの街だが、そんなに子供が喜びそうなところがあるのなら、次の土日には足を運んでみたいものだと思う。午後は近くの図書館へ行き、三人で絵本を読む。夕方、駅前から神社行きのバスに乗る。駅の周辺には大きな病院が多く、救急車の音が絶えず聞こえる。昨日、決闘もとい芋煮を楽しんだばかりの川原が神社と同じ名前だという大橋越しに悠然と広がる。せのんが川を見て、自分の名前だと言う。僕はここで初めてせのんは「瀬音」と書くのだと知る。瀬の流れる音。この川にも、二重カルデラ湖から流れ出る渓流の名前にも、「瀬」という字が含まれている。僕にとって、川は神聖なもので、言うなれば、神社の境内のようなものである。神の娘の名前が、神社の境内を表わすとは言い得て妙だなと思わず忍び笑いする。

 橋の向こう側に神社前の停留所を見つけ、手元のボタンを押したら何故だか風子につねられる。神社前の停留所で降りると、境内まで急な階段を上らなければならないが、神社の表側まで行けば穏やかな道を行けたのにと今更なことを言われる。この場合、糾弾されるべきは僕か、いや、風子だ。そして、今、一番聞きたくない「急がば回れ」ということわざを呪いのように輪唱する女たちの不気味なまでの団結力。頭にきたので、「おうおう、わかりましたよ! この不肖、和泉精也いずみせいやが瀬音様をおんぶで境内までお運びすればいいのですね? この眼前にそびえる崖のような階段を上って!」と半ばやけになり言ってしまう。風子は「できるものならやってみな。私はここで二人が境内まで上りきるのを見届けてから『急がば回れ』しますから」と言う。本当に腹が立つ。五段ほど上ったところで、瀬音が風子に声をかける。

「風子ちゃん。風子ちゃんも上まで来てね。瀬音、待っているから」

 瀬音が今にも泣きそうな声で言う。風子はややあって、「うん、私も行くよ」と笑顔で返す。瀬音は安心したのか、僕の頬にぴたりと自身の頬も当てる。そして、地獄の階段上りを再開する。

「おー、街が一望できる」

「わざわざ急な階段のほうから来たのか。意外とチャレンジャーだな、少年」

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