第11話
「僕はそこへ行ったことがない」
何があったのか、計り知れないが、店主は悔いているように見える。
「妻は故郷を捨ててきたから、帰るに帰れない。妻はきっと異国で暮らしているように感じている。僕にはどうしようもないことだ。たとえ、僕たちが共通のモノを持っている事実があってもだ」
店主はあくびかと思いかねないほどの大きなため息をつく。
「これは同情ではない。愛情だ。かわいそうだと思うだけならそれは同情だが、自分がどうにかしたいと思うのが愛情だということだ。わかったか?」
最後の一言を強調して言われたので、こちらも思わず大声ではいと返事する。
「全く、しゃくしゃくしゃくしゃくカキ氷食いやがって」
カキ氷が溶けたらうまくないと反論するが、アイスと同じでカキ氷は溶けかけが最高にうまいのだとよくわからないことを言われる。
「せのんは少年を信じている。少年はせのんを幸福にせねばならない」
「それは義務ですか」
「そうだ。『Senon believes you.』ではなく、『Senon believes in you.』だ。前置詞が入るか入らないかで、とんでもない違いだ。せのんにとっての少年は、少年にとっての時計と同義だ」
僕がせのんの神。にわかには信じられない。昨日、出会ったばかりの見知らぬ人間が神になるだなんて。いや、僕もかつて同じ経験をしたではないか。僕は唐突にせのんの名を呼ぶ。せのんは夢中になっていたシャボン玉をやめ、振り返る。駆けより、僕に抱きつく。首に手を回し、頬を摺り寄せる。「せーや君のおひげ、痛い」の言葉に頬を涙が伝う。
「ようやく理解したか」
身体中がぽかぽかして暖かく、くすぐったい。小さな子供特有の体温の高さが幸せでならない。僕が嬉しさからせのんと呟くと、歌うようにせーや君と返す。
店主に暗くなる前に帰れと促され、せのんと手をつなぎ、店の表まで向かう。幸福屋に子供服はないかと聞いたら、ここは洋服屋ではない。でかいデパートが山ほどあるのだから、自分で死ぬほど見て悩んで買えと言われた。
せのんに選ばせたら、きっと紫一色になるに違いない。それでは、まるで茄子が大好き、茄子をリスペクトしている子供のようではないか。店主には少年よ、訳のわからない妄想は頭の中だけにしたほうが賢明だとつっこまれる。ちょっとだけ、せのんの真っ黒な癖っ毛が茄子のヘタに似ていると思ったのは、せのんには内緒だ。いくら何でも、神からお前の神は茄子のヘタに似ているなどと言われたら、樹海か湖に行きたくなるからだ。土曜日か日曜日には服を買いに行くことを店主の前で、せのんに誓う。せのんは早速、紫の服~と歌っている。
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