第2話 2/1 俺のいないところで


 6時間目の数学の授業が終わると、俺たちはたわいのない話をしばらく教室でしてから帰ることが最近の日課になっている。

 受験の張りつめた教室の空気から解放される数少ない時間だ。

 ただ、最近は私立の受験が近かったせいで受験についての話ばかりだったから久しぶりに楽しい話でも出来そうだ。

 鉄平の席に近くの椅子をずらして集まったところで俺が話を始めた。


「昨日、受験終わった後何していた?」

「私は、ゲームしてたよ!」

「島田さんらしいな」


 鉄平も話に続いた。


「だって、せっかく受験から解放されたんだし遊ばないと損だよ!そうだ、今週の土曜か日曜にみんなで水族館行かない?」

「行かねえよ。公立の受験が残っているんだし」

「えーいいじゃん!どうせ鉄平は勉強してないんだし、今さら何やっても結果は変わらないよ!桜ちゃんはどう?」

「私も今は受験があるから厳しいかな。でも、公立の受験が終わったらみんなで行こうよ」

「えー桜ちゃんが言うなら仕方ないけどー」

「平野と俺とでの扱いの差はなんだ」

「まあ、姫路だしね」


 奥川さんが少し笑った表情で返した。


「まあ、細かいことはいいじゃん」


 奥川さんまで鉄平のいじりに参加し始めたところで鉄平は一つ大きなため息をついた。


「俺、今日は塾で自己採点があるから帰るぞ」

「私もだった!今日は急いで帰らないと‼」

「その前に島田はさっき顧問が呼んでたぞ」

「えーゆいちゃん先生かぁ。バレーボール直し忘れたかなー」

「そんじゃ、今日は先に帰るぞ」


 もとから用意していたようで鉄平は教材をすべて入れたバッグを持った。


「なっっなら、私も今日は帰ろうかな」


 そう言うと、平野さんは荷物を急いでまとめた。

 鉄平は仕方がないなというそぶりをして椅子に座り直した。

 なんだか、平野さんが少し慌てた様子だったのは気になったけど、私立受験が終わったばかりだし、いろいろあるんだろう。


「なら、俺も今日は帰ろうかな」


 4人のうち3人が帰るなら今日は教室に残っても仕方ないだろう。

 俺も3人と一緒に荷物をまとめようとした。

 すると、唯一帰ると言っていなかった奥川さんから話しかけられた。


「ねえ、勇気は私と一緒に学級委員の仕事手伝ってくれない?先生にさっき頼まれちゃって」


 先生はさっき職員会議があるって急いで帰っていったけど、いつそんなタイミングがあったのか少し不思議だったけど、特に断る理由もなかったため、俺は教室に残ることにした。












 姫路と平野さんが荷物をまとめて教室から出ていくのを見ると、俺と奥川さんだけが教室に残された。

 俺の座っている机を反転させて奥川さんと向い合せの状態で話を始めた。


「それで、頼まれた仕事って?」


 俺は、できるだけ早く終わらせようと奥川さんに尋ねた。


「あー。それは…」


 どうにも煮え切らない様子だ。


「まあ、せっかくだしたまにはおしゃべりでもしようよ」

「いや、仕事のほうはどうしたの⁉」

「んー。それはもう大丈夫かな…」


 …?


 これは、絶対に何かある。


 奥川さんが嘘をつくことが下手なことはいつものメンバーならだれでも知っていることだ。

 俺をこの教室に置いておくことに意味があるということなのか。

 でも、なぜだ?

 私立入試の次の日ということもあって俺と奥川さん以外に教室には誰もいない。

 島田さんは部活の顧問のところに行ってしまったし、姫路と平野さんも帰ってしまった。

 他のクラスメイトも誰も来ないだろう。

 放課後の教室に2人きりにする意味ってなんだう……………………………!?

 

 そういうことか‼


 恋愛アニメで100回は見た展開だ‼

 なるほど。だから、島田さん、平野さん、姫路を先に返したんだ。


 <俺と2人きりになるために‼>


 そうすれば、先生から頼まれた仕事があるなんて言う嘘にも納得がいく。


 そうか。奥川さんは俺のことが好きなのか!

 なるほど。

 確かに、クラスの中にいる女子の中ではかわいいほうだ。

 でも、俺には平野さんという運命の相手がいるからな。

 奥川さんの気持ちに答えることはできない。

 ここはさりげなく雰囲気を変えて告白をさせないようにしよう。


「あの、奥川さん。告白のことについてなんだけど…」


 あっ。


 やってしまった。

 勢いあまって告白という絶対に言ってはいけないワードを言ってしまった。

 これではさりげなく告白をさせないという俺の計画が台無しになってしまう。

 ここからどうやって持ち直そう。

 俺が必至に頭を巡らせていると、先に奥川さんのほうが話始めた。


「告白ってことはもしかして優気は知っているの?」


 やばい。奥川さんに気が付かれた。

 流石にここから何も知りませんでしたは通用しない。

 俺は、ゆっくり深呼吸をして奥川さんのほうを見て返事をした。


「実はだいたい気が付いている」


 奥川さんは俺の言葉を聞くと、少し肩の荷が下りた表情をしてこちらに目を向けた。


「いつ、気が付いたの?」

「さっきのいつものメンバーでの会話の時から」

「そっか…。さすがにあからさま過ぎたかな」


 奥川さんからは不安な表情が感じられる。


「上手くいくかな」


 それは俺に聞かないで欲しい。


「どうだろうね」


 俺は歯切れの悪い返事しか返すことはできなかった。


「私は、少し怖いな」

「怖い…?」

「だって、そうじゃない。告白するってことは仲のいい友達の関係には戻れないってことだよ」


 奥川さんは真剣な目で訴えるようにして俺を見てきた。


「それは…」


 確かにその通りだ。


「ねえ、優気の気持ちを教えてほしい」


 奥川さんは真剣にこちらを見ている。

 3年間の学校生活の中でも見たことがないほどに真剣な表情をしていた。

 さすがにここではぐらかすのはよくないだろう。

 俺は、ゆっくりと自分の机を見ていた目を前に上げる。

 そして、奥川さんの気持ちに向き合う覚悟を決めた。


「正直、気持ちには答えられない。奥川さんならきっとほかにいい人を見つけられると思うよ」


 ついに言ってしまった。


 これでもう今までの関係に戻ることはできない。

 正直、目線を切って今すぐにでもここを離れたい。

 でも、それはできない。

 奥川さんはちゃんと向き合たんだ。

 だから、俺が逃げるわけにはいかない。

 俺は、そのまま目線を外さなかった。

 でも、肝心の奥川さんは首を傾げる仕草をしただけだ。

 そして、体感で20秒ほどたったころだろうか。



「ん…?」


「ん?」



 奥川さんが少し不思議な人を見るかのような声を出した。

 そして、俺もそれにつられて同じような返しをした。


「いきなりどうしたの優気?」

「え…?」

「なんだか優気が私を一方的に振ったみたいになっているけど」

「え……?だって、」


 俺は何か勘違いをしているのか?

 いや、でもどう考えても間違っているところが見当たらない。


「ねえ、優気は何か壮大な勘違いをしていない?」

「そんなはずは…」

「じゃあ確認するけど、私たちは今何の話をしている?」

「それは、奥川さんが俺に…」


 さすがに、自分から告白という言葉を使うのは恥ずかしい。


「俺に…?」


 でも、奥川さんは持ち前のコミュニケーション力で遠慮なく俺に続きを聞いてくる。


「その…告白を……」


 おそらく、俺の顔は真っ赤になっているだろう。

 でも、何とか小声ではあったが言い切ることができた。

 さすがに正面を見ることはすぐにはできなかった。

 鏡はないけれど、きっと今の自分の顔見てみると夕日よりも真っ赤に染まっていることだろう。


 でも、ずっとこのままというわけにもいかない。

 俺は、恐る恐るも奥川さんの反応を確認する。

 きっと、俺と同じくらいに真っ赤になっているだろうか。

 俺はゆっくりと正面を向いた。

 けれども、そこにあったのは頭の上に?が100個くらい浮かんでそうなほどに不思議な顔をしていた奥川さんだった。


「えっと、どうやら全面的に勘違いをしているようだね」

「えっ」


 俺はさっき以上にすっとんきょうな声を出した。


「別に私は優気のこと好きじゃないよ」

「え……」

「あっ、別に嫌いって意味じゃないからね。彼氏になって欲しいとは思ってないってこと」

「あーね…」


 俺は、何とかして心の平静を保つ。

 さすがにクラスの女子から嫌いと言われるのは心に来るものがある。


「じゃあ、奥川さんは俺に告白をするつもりはないってこと?」

「もちろんだよ。そんなわけないじゃん!」


 心の中には安堵の気持ちでほとんど満たされた。

 よかった。


「もしかして、私が優気に告白すると思ってたの?」

「いやっ、別にそれは…」


 奥川さんがあははと誰もいない静かな教室でいつもの笑いをした。

 そして、俺もそれにつられてさっきまでの緊張の反動もあって思いっきり笑った。

 2人だけの教室の中には、さっきまでの重苦しい雰囲気はどこかへと消えていき、いつも通りの明るさを取り戻している。

 これでまた明日からもいつも通りだ。

 俺は、荷物をまとめた。


「そろそろ帰ろうよ」


 俺は、悩みも解決したところで奥川さんに一緒に帰ることを提案した。

 奥川さんは時計を見てそろそろいいかなと言うと、いいよと答えて荷物をまとめ始めた。











 荷物をまとめて教室から出ると、下駄箱で靴を履いて学校を出た。

 奥川さんと2人で帰ることはあまりなかったが、初めてというわけではない。

 ただ、家の方向が違うので自然と一緒に帰る機会が少なかった。


 具体的に言うと、学校を出てから10分くらいにある公園で別れることになる。

 俺と奥川さんは帰り道で、昨日の受験のことや、卒業式が終わったらどっかみんなで遊びに行きたいねといったたわいもない話をしながらいつもの通学路を帰っていた。

 そして、信号に引っかかることもなくちょうど10分くらいで公園についた。


 奥川さんと公園で別れて、1人で帰ろうとすると鉄平が公園の端にいるのが見えた。

 そして、さらに奥には平野さんがいるのも見えた。

 どうして、あの2人が…?


 2人は何か話をしているようだったが、遠くて聞こえない。

 俺は、ばれないようにこっそり近づいた。

 別に2人にやましいことがあるわけではないので、普通に行ってもいいのだけど、なんだか俺は入ってはいけない空間のような気がしてそれはためらわれた。

 近くに来て表情を見ると深刻な話をしているみたいだ。

 俺は声が聞こえるくらいのところにある近くの木に隠れた。

 でも、しばらくお互いに顔を合わせているだけで話を始めようとしない。


「なあ、話があるんだろ。この後塾だからそろそろ始めてもらってもいいか」


 先に話始めたのは鉄平だった。


「ねえ…姫路」


 平野さんがゆっくりと話始めた。

「私…」

「なんだ」


「私、姫路のことが好き。私と付き合って欲しい」


 え…。


 平野さんの表情は今までにないくらいに真剣だった。

 時間が止まった感覚に襲われる。

 平野さんが鉄平に告白…?

 今起きている状況についての頭の整理が追い付かない。

 だって、そんな素振りは全く感じられなかった。

 …。


 きっと何かの間違いだ。

 よく恋愛アニメであるような勘違いに決まっている。

 じゃないと平野さんが鉄平に告白している状況に説明がつかない。

 しばらくの間、静寂が2人の空間を包んだ。

 体感では1時間にも感じられるほどだろうか。

 この時間を終わらせたのは鉄平の大人びた声だった。


「すまない。俺は平野と付き合うことはできない」

 


 夕日に照らせた平野さんはすごくかわいくて見とれてしまうと同時に、俺はただ地面を見ることしかできなかった。




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