意の粒度
この節では、次の項目について説明する。
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†
【
〈頭脳の知的能力を測る指標〉の意。
「
IQとは、言葉と密接な関わりのある指標。
つまりIQの違いというものが、「伝達」をしていく上で非常に重要になってくる。
そもそもIQとは何かと考えたとき、それは「
解像度というと、モニタのドットマトリクスや画像データなどの、その細かさを示すものが想像されるが、これらとほぼ同じ物だという事だ。
たとえば赤ドットと青ドットとの、メッシュ画像が有るとする。
• 画像Ⓐ
🟥🟦🟥🟦🟥🟦🟥🟦
🟦🟥🟦🟥🟦🟥🟦🟥
🟥🟦🟥🟦🟥🟦🟥🟦
🟦🟥🟦🟥🟦🟥🟦🟥
しかしこれをサイズ縮小してみれば、ドットの色が混ざって紫一面となり、赤か青かが判別できなくなるだろう。
• 画像Ⓑ
🟪🟪🟪🟪
🟪🟪🟪🟪
すごく乱暴に言ってしまえば、この画像Ⓐが「より高IQの視界」であり、画像Ⓑが「より低IQの視界」である。
自分には〈Ⓐ🟥🟦〉に見えているものが、より低IQの人には〈Ⓑ🟪〉に見えているかもしれない。
自分には〈Ⓑ🟪〉に見えているものが、より高IQの人には〈Ⓐ🟥🟦〉に見えているかもしれない。
そういう事だ。
なおもちろん、画像はイメージ()として
それは例えば「わかる」という
もちろんIQの
〝IQに差があろうが意思
そのような区別を脳内でもきちんとしていく、という事をするには低IQであるほど「脳の体力」が追いつかず、耐えがたい作業になってくるものなのだ。
ゆえに負担を軽くするために、「分かる」「
かつ、そのような
〝なるべく平易な
だが当然、〈紫一面🟪〉の画像と〈赤青メッシュ🟥🟦〉の画像では、扱い方が変わってくるもの。
つまり物事を細かく
このように、IQに差があると感覚も思考も違ってくる、すなわち「意の粒度」が変わってくる。
IQが高ければ高いほど思考は細かくなり、
そうしてこの「意の粒度」の差に起因して、両者間では会話が成立しなくなってくるのだ。
なぜなら基本、
だから〈紫一面🟪〉にしか見えない物から、〈赤青メッシュ🟥🟦〉に
一方で、最初から〈赤青メッシュ🟥🟦〉が見えている場合には、それを材料として〝混ぜて見れば〈紫一面🟪〉にも見えるかもしれない〟と、想像することは何とかできるだろう。
もちろん〈紫一面🟪〉からだって、〈赤青メッシュ🟥🟦〉を想像することは不可能ではないかもしれない。
しかしこの場合、さらに〈赤青紫メッシュ🟥🟦🟪〉である事や、〈単純なパターンではないもの🟪🟥🟦🟪🟪🟥🟦🟪〉である事などが、あるいは見た目のとおりに〈紫一面🟪〉である事までもが想定されるはずだ。
つまり高解像度での実態を、低解像度の光景から推測するのはその逆にくらべて、はるかに困難な事なのである。
苦労して想像をしても、その結果があやふやな判定にしかならないのであれば、そんな事はする気も起きないだろう。
〈紫一面🟪〉から〈赤青メッシュ🟥🟦〉を浮かべるのが困難で、その逆が比較的容易。
だとすれば、IQ差のある者らが会話を成立させるには、高IQ側の人が「譲歩」「
とはいえ〈紫一面🟪〉に見えるときと同様、〈赤青メッシュ🟥🟦〉に見えるものだって基本的には、〈赤青メッシュ🟥🟦〉としか思えないものだ。
だから〝混ぜて見れば〈紫一面🟪〉にも見えるかも〟のような想像を、
すると当然、高IQ側の人にも〝譲るなんて面倒くさい〟という感情が発生してくるし、ついでに〝何でこれが〈紫一面🟪〉に見えるんだよ〟という怒りすら生んでしまう。
しかしながら低IQ側の人としても、〈紫一面🟪〉に見えるのは本当の事なのだ。
たとえそれが〝〈赤青メッシュ🟥🟦〉なのだ〟と説明されたとしても、
• 〝〈赤青メッシュ🟥🟦〉だ〟と説明を受けた画像Ⓑ=ⓑ
🟪🟪🟪🟪
🟪🟪🟪🟪
• なんの説明も受けていない画像Ⓒ
🟪🟪🟪🟪
🟪🟪🟪🟪
そんな説明は受けようが受けまいが結局、感じ取れるものに変化は無いわけである。
ではこれらを、厳格に区別する意義を、
感じれなかったとして、それは
きっと違うだろう、自分の感覚にしたがって、
なのにこれを
そうやって、両者に悪意などまったく無かったのにもかかわらず、
つまり、「IQ差によっては伝えるのが至難な情報」というものが、存在するのである。
認識とは感覚的なものである以上、色覚のない相手に〈紫🟪〉を伝えることができないのと、同列の話になってくるのだ。
こういった感覚の
双方あらかじめ、いつでも衝突は起こりうる事をよく認識して、事を荒立てないように配慮しなければいけないわけである。
これは姿勢の話であるから、IQはもはや関係ない。
要はIQとは、上下関係や勝ち負けを決定するものではなく、自身の行動指針を決定するために
まあ、そういう心構えをしないなら、それは最初から「話をする気など無かった」という事であるから、そういう人は勝手にすればいいだろう(
ただし、そのせいで相手から絶交をされても、それは勝手をしたほうの責任だとしか言えない。
ところで、そんな意見の合わない人と仲良くする必要があるのか、そんなふうにも感じられるかもしれない。
確かに「高IQの特徴は思考力が高いことだ」とはすでに述べたし、一見そちらが主導に立ったほうが断然いいようにも思える。
しかし判断材料が多数得られるだけ、それらをいちいち検証せずにはいれなくなり、そのぶん判断速度は当然のように下がるのだ。
つまり低IQとは
そしてその、超低IQな
高IQの人ほど勘違いする事だが、ゆえに低IQだからといって、必ずしも劣ると判定できるものではないのである。
たとえば自動車の運転中、予期せぬ飛び出しや暴走車に遭遇したとき瞬間的にそれを回避することは、より多くの判断をつい
要はそれぞれ得意分野があるわけで、なのに
こういった、〈意思
これは時と場合、相手の性格やコンディションなどによって、取るべき手段が千差万別してくるため、「こうすればよい」という方法はいっさい定義できない。
〝大まかにはこれでオッケー〟という手法はよく語られているが、いつ来るとも知れないレアケースでは至極あっさり、それが完全に裏目に出たりもする。
それを回避するには、相手の様子をよく
なお、対面のほうが
ゆえに会話に不慣れと思う人ほど、むしろオススメである。
たとえば手振りによって言葉の印象を増したりできるほか、話題に詰まったときなどに決まったモーションを見せることで、言外から困惑などの感情を伝えることも可能だ。
そのような
また、相手にも会話の意思があるかぎり、発信に失敗してしまったとしても、意図を
会話に不慣れだったとしても、すこし胸を借りるつもりで接していけばいいだろう。
そして
ちなみに、そういった練習を経てもいっこうに会話ができるようにならない、という不具を「コミュニケーション
一方で、単に不慣れで
つまり、単なる会話初心者を〝コミュ障〟とすぐ呼ばわる人がいるが、これは不当なレッテル貼りであるわけだ。
もしそれが〝会話がうまく行かないのは、この自分をちゃんと接待できない相手のせい〟のように考えての事ならば、〝相手だってまったく同じことを思ってるでしょうよ〟と指摘せざるを得ない。
このように敬意を失した、他責的な考えかたを是とするその感性にこそ、コミュニケーション
会話には互いの敬意が必要なのだ。
いま書いているこの文章は、ふつうに一方通行であり、かつ「これでもか」と言うくらい事細かに物を述べてもいる。
読み手へちゃんと伝わっているか、退屈させてはいないか、読解に苦労させていないか。
そういった事はいっさい確認できないため、ひたすら不安は尽きない。
読むのが正直ツライ、という人が少なからず出ることも予想しているし、しかしこれ以上かみ
しかしそれでも、まずは語ってみなければ、どうにもならないものである。
そして余談、
ギターとか〝「Fコード」が難関〟とは
そしてサックス吹こうとしただけで流血
。・゚・(ノД`)・゚・。
†
【
〈IQテストによって測定された知能指数の値〉の意。
この指数の基準は大別すると、〈実齢と精神年齢の差異を測る指標〉の従来型「知能指数」と、〈同年齢内での差異を測る指標〉の「
うち前者は精神年齢を測るゆえに、成年では平均値に収束してしまって実用に耐えないため、現在で「IQ値」と
そんな感じでIQ値は、テストのされ方やコンディションによって変動するので、
飽くまでその時の状態を、決まった定規で測るにすぎない数値であり、要は「IQは
つまり、これから紹介する指数帯ごとでの特性には、IQ値以外の要素も有意に影響するため、〝このIQ値だからこうなのだ〟というような断定的な判断は望ましくない。
この指数値は、100を中心とした
当然ながら、100周辺の人数がもっとも多く、高方や低方へ寄るほど反比例的に減っていく。
一般に、その指数帯によって次のような判定がなされる。
• 〜69:特に低い (2.2%)
• 70〜79:低い (6.7%)
• 80〜89:平均の下 (16.1%)
• 90〜109:平均 (50%)
• 110〜119:平均の上 (16.1%)
• 120〜129:高い (6.7%)
• 130〜 :特に高い (2.2%)
なお()内の割合は、全体に対するその指数帯の人数の参考的な割合であり、100を中央として対照になっているのが見てとれる。
ちなみにIQに限らず、〝統計的判断は、サンプル数が2000程度を超えた場合に、
つまり統計とは大局的判断をするために有るもので、だから例えば100人規模のグループでは、このとおりの分布にはならない場合が多々ある。
また、学力
人は自身よりも、IQが10くらい上までの思考回路ならば、なんとか理解できる。
視力検査において、視力の限界を超えてしまって正確に
そのため母数のいちばん多いIQ 100よりも10上、すなわち「IQ 110周辺の人たちが最も〝賢い〟という評価を受けやすい」という事になる。
ちなみに「思考回路が理解できる」とは、〈正解が出ていない状態では答えるのが難しいが、正解さえ知れればそれに至る思考過程には察しがつく〉ということだ。
だからそのような正解を自力で出せる人は、〝賢い〟と認識されやすいわけである。
一方、あまりに微細なマークでは断片情報すら視認できないのと同じように、それを超えてIQが20も離れてしまえば、
たとえば『モンティ・ホール問題』という、設題に対する正解があまりに直感的でないパラドックスがある。
説明が長くなるので、設題の詳細を知りたい場合には
のちの検証により、その答えは正しかったことが証明されたが、その検証はコンピュータでの乱数試行の統計によって、やっと可能性に気づかれて始まったもの。
要はその学者らは、彼女の「思考回路が理解できなかった」わけである。
なお、理解できない領域を測れる定規は発明困難であるため、彼女のIQ値は未知数なのだが、「思考回路が理解できなかった」その学者らの最高IQ値よりも最低20は上、とは推定できる。
このようにIQに差があると、思考力に歴然とした差が出てしまう。
このため、たとえば高IQの子供は学校の授業に
くわえ、思考力が高いゆえに周囲の間違いにすぐ気がついてしまい、それに対してつい正解を指摘してしまいがちにもなるが、これはとても
そもそも「思考回路が理解できない」意見とは、正しいとは到底思えない代物なのであり、だからこそマリリン氏は盛大に中傷されたわけである。
つまりIQが高すぎると、周囲からの評価はむしろ下がるのだ。
〝飛びぬけてIQの高い人たちは、あまり大きな功績を
また、認められないゆえに内向的になりがちであり、〝どうせ
こうなるとIQの高い側が、手加減というか「接待」をしないかぎり、本当に話が合わない。
東大入試合格者がちょうど、その平均IQ値が120ほどであるから、もし平均的なIQの人が東大生らと会話できていたなら、それは東大生側が相手を接待しているわけだ。
もちろん接待とは非常に気をつかう事だから、それなりに利益が見込めなければする気にもならない。
一方で、IQ 100の人から見ると120以上の人らは、役立ちそうにもない話ばかりを細かく並べ立てる、〝使えない〟人物のように感じられるのである。
つまり
また同時に、自身より低いIQの相手へ、子供のころに
そんなわけで、もし〝自身が標準的なIQよりおおきく外れる〟と自覚する作家が、より多くの人気を獲得したいなら、まずは既存の人気作品をよく
そしてそれと同時に、「自身が楽しめる作品を書いてはいれない」ことを覚悟する必要が有る。
まあなんだ、つまり創作にかぎらずIQは、高ければ高いほど良いわけでは必ずしもなく。
中央値100から離れれば離れるほど、人気獲得、ひいては人間関係の構築に不利、って事ですよ。
なんてこったい右京さん(
その図式はもちろん、IQ 90と110の間ででも成立する。
指数帯が100を中央として対照分布する以上、 90の人数は110のそれと同数。
だから〝賢い〟という事で人気者であるはずの、後者らの作品であっても絶対に、〝わけわかんなくて退屈〟との悪評が、少なからず発生してくる。
しかし「低IQは高IQが退屈」、「高IQは低IQに
ゆえに「すべての人に
なので、そういう悪評は気にしても
逆に、〝どうしてこんな低俗な作品が好評を博しているのか〟という疑問を持つ人がいたならば、その人のIQは平均よりもだいぶ高いのかもしれない。
ただし、「受け入れられているなら受け入れられているだけの理由は絶対に有る」という事だけは、忘れるべきではないだろう。
ほか、じつは犯歴のある人のなかでは、IQ 80程度の人の割合が最も高いのだが、それは犯行の何がいけないのかが本気でわからないのかもしれない。
つまりそれは悪い事だと、知識として知ってはいても
だとしたらそれに、刑罰を与えてそれっきり、という対応となっている現状のシステムは、それで本当に
なぜダメなのかが理解できない行動に対して、罰だけがただ与えられるのは、単なる虐待でしかないのではないか。
そういう所も疑問になってくるものだ。
このように
よって、正式なIQテストをまだ受けていない人は
なおこのIQテストには、いくつか種類が有るもの。
現在のところ、心理学者デイヴィッド・ウェクスラー氏が提唱した『
その費用は、心理相談室などで
ちなみに測定結果としてのIQ値とは違い、IQそのものについては脳という
よって
ちなみにIQテストはどれも、その実施に長時間かかるもの。
つまりTVのクイズ番組でよくみられる、〝この問題が解けたらIQ**〟という系統のアレは、番組スタッフが「気分で決めている得点」であるから、
ほか、厳密でなくともよければ、次の式で学力
• IQ概値 =(学力
これは中央値を50から100に変更して、分布幅を1.5倍に拡大するということ。
学力
ただし学力
……え?
50も無かったんじゃね?(
あっども、国語も音楽も赤点だったボカロPのアカウントはこちらです(
一方で『
その項目は次のものである。
• VC(
• PR(
• WM(
• PS(
通常、いずれの項目も、似たような指数帯に寄った結果になるもの。
たとえば「
これが大きくバラつくケースがあり、いずれかの項目間で20以上の開きがみられる場合に、医師は「発達
その項目間で、
ただそれは疑いの要素の一つというだけであり、ただこれだけをもって確定
また見て
そのためこのテストで、すべての指数が
参考までに、
┃【指数値】
┃ • VC(言語理解):116
┃ • PR(知覚推理):132
┃ • WM(作業記憶):100
┃ • PS(処理速度):94
┃ • FIQ(総合):116
┃
┃【挙げられる得意なこと】
┃ • 視覚的な情報を頼りにして課題を遂行すること
┃ • 言葉を用いて、課題を遂行すること
┃ • これまで学習してきたことを基に、物事を推測すること
┃
┃【挙げられる不得意なこと】
┃ •
┃ • 一般知能を用いること
┃ • 手順が多い作業である場合、素早く正確に沢山の量を遂行すること
このように指数値だけでなく、
なおこれは、飽くまで参考と解説のための公開であり、見せ
ホントよろしく頼む(
ともあれ指数を見ていくと、まず思考力自体は「
反し、作業テーブルの広さが「
これは要するに、「思考力はかなり高いが、しかし非常に遅い」という事だ。
「大型トラックで運ぶような荷物を、人力車で運ぼうとするようなもの」とも言え、その鈍さは「
このせいで、「いろいろすっ飛ばしていきなり
明らかに不幸体質だ(
そして一般に、〝頭が良い〟という評価はその「
その「賢さ」にしても、132という指数値は〝特に高い〟という評価であり、割合的に「100人中で3本の指に入る」という勘定にもなるので、一見優秀なようではある。
しかしこれは、全世界人口からすれば、より上位の2000万人には劣る、という事だ。
刺身の上のタンポポにもならない。
ゆえに
中途半端に賢いからこそ、自分の「頭の悪さ」がよく
もしかしたらIQが120〜140の人らも、
頭の良さをIQの高さのみで主張するには、おそらく150以上が必要なのであろう。
……と、この流れで〝オレはIQ 200だぜ!〟とか言い始めるスットコドッコイはたぶんかなりIQの低い部類だとおもう(
最後に、しかし以上は飽くまで基本的な
すべての判断は確定すべきでなく、「世における
†
【
〈自身や周囲の人らの感情を適切に察知して適切に処理する能力を測る指標〉の意。
「
ごく近年に提唱されたもので、確かにこのような指標も有ったほうが良いとは思われるが、いかんせんまだ若い概念であり、ゆえに確定していない。
よってIQテストと比べると、EQテストは評価基準も判定結果も、正確な名称すらもがバラバラ。
まだ全幅の信頼を置ける状況ではなく、落ちつくにはあと50年ほどは掛かる、と
ただもしかしたら、この指標はいずれ「
それはIQテストでは不可能だったことで、だから便利ではあろう反面、すこし
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