第15話 異世界返りの元勇者が攫われた女の子を助けにいくんだけど、なにか質問ある?

京子きょうこさんは先に帰ってください。灯里あかりも」


 二人にそう告げると同時に、剣一郎けんいちろうは猛然と走り出す。


「あ、ちょっと――」


 背後から届く京子の声を置き去りに、あっという間に市街地を抜けた。

 

 ――人がさらわれた場合、とにかく急がねばならない


 異世界での経験上、彼はそのことを痛いほどよく知っていた。


「場所と知る限りの敵の情報を教えてください」


 肩にとまる女神に、そう尋ねる。


「犯人はこの前、食堂で絵里えりさんに絡んでいた中年男性です。車で拉致したあと、郊外の邸宅に運び込んでいました」

「やはりあの男か……」

「はい。残念ながら、屋内には入り込めませんでしたが」

「わかりました。そこまで案内してください」


 女神は他世界の事柄に直接干渉することはできない。

 それができないから、自ら赴かずに、勇者の派遣という形で異世界の救済活動を行っているのである。


 先日の面談のお礼のために北条絵里ほうじょうえりの実家に向かっていた女神は、たまたま店の前で彼女が連れ去られる現場に遭遇した。

 とっさに物陰に隠れて、鳥に変化すると、逃走する車を追跡し、犯人の居所を突き止めた後、剣一郎に助けを求めにきたというわけだった。


 女神の道案内に従い、凄まじい速度で道を駆ける剣一郎。

 彼の持久力と身体能力をもってすれば、タクシーを捕まえるよりも走って目的地に向かった方が速い。

 あっという間に駅前商店街を抜け、郊外の住宅地もあとにすると、ほどなく一軒の家に辿り着いた。


「ここか……」


 剣一郎は立派な門の前で呟く。

 訪問者を拒むような高い塀の向こうには、屋敷と呼んで差支えないほどの大きな家屋がそびえていた。

 周辺には他の人家は見当たらない。

 この館を隠すように、四方に林が広がっているのみだ。


 剣一郎は軽く膝を曲げると、優に3メートルはある門を一息に飛び越えた。

 猫のような身のこなしで地に降り立つと、素早く左右に目を走らせる。


 周辺に見張りの気配はなし。

 単独での犯行か、仲間がいても少数だろう。


 そう判断すると、足音を立てず、屋敷の正面玄関とおぼしき場所まで進む。

 大理石でできた豪華なアーチには、一台の乗用車が停まっていた。

 

「……これが?」


 小声で尋ねる彼に、同じく小声で返す女神。


「はい。犯人の車です」


 剣一郎は分厚い扉に向き直る。

 

 さすがにこの先には敵が待ち構えているだろう。

 とっさのことで剣も持ってきていないが、強行突破するしかないか……。


 意を決して拳を振りかぶるが、そのとき、ドアが動き始めた。


 ギギギギギッ…………

 

 きしんだ音を立てて、ゆっくり内側に開いてゆく。


 剣一郎の全身が緊張に包まれる。

 敵の襲撃に備えて構えるが、誰も飛び出してこない。

 扉の向こう側にはただ静寂が広がるのみだ。


 ――罠か?


 そう疑い始めた頃に、声が響いてきた。


「待っていたよ。さあ、遠慮せず入ってきてくれ」


 剣一郎は目をすがめる。

 

 呼びかけてきたのは犯人とみて間違いないだろう。

 だが、あの中年はこんな声だったか?

 反響していてはっきりとはわからないが、もっと若い男の声に思える。

 しかも、どこかで聞き覚えがあるような――


「どうした? この子を助けにきたんじゃないのか?」

「き、来ちゃダメ……」

「!」


 すぐさま腹をくくる。


 犯人は、絵里のすぐ近くにいるらしい。

 罠だろうが、声に向かって進むしかない。


 剣一郎は暗い屋内に足を踏み入れる。

 神経をとがらせていたが、やはり襲撃されることはなかった。

 

 背後で扉が独りでに閉まった。

 その音に肩の上の女神がびくりと体を震わせるが、もう引き返すことはできない。


 ふいに辺りが灯った。

 壁に据えられた照明器具が順繰りに点いてゆく。

 剣一郎のいる玄関から声の主のいる奥へと向かって。


 広大な部屋の半ばに、吹き抜けへと続く階段が見えた。

 階段の途中には踊り場があり、そこにいる二人の人物が淡い光に照らされて浮かび上がる。

 

 一人は後ろ手に縛られ、椅子に座らされた女性だった。


「北条さん!」


 剣一郎は大声で呼びかける。


 北条絵里は俯けていた顔を上げて、必死に首を振った。


「来ちゃダメ!」


 彼女の傍らには、件の中年男性が立ち尽くしている。

 しかし、どうも様子がおかしい。

 生気の失せた人形のような目で、正面を見据えている。


「本当によく来てくれたね」


 吹き抜けから、声が降ってきた。


 照明が階段のてっぺんまで灯る。

 光の下に現れたのは――


「……やはりお前の声だったか」


 剣一郎の視線を受け止め、その男――神楽坂誠かぐらざかまことは満面に笑みを浮かべた。


「歓迎するよ。心から、ね」

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