第11話 異世界返りの元勇者が元勇者に話を聞きに行くんだけど、なにか質問ある? ①

「なるほど、燃え尽き症候群ね……」


 その青年は紅茶を啜りながら、涼やかな目を女神に向けてきた。


「まあ気持ちはわかるかな? ボクも魔王を倒してこっちに帰ってきた直後は、しばらく何もやる気が出なかったからね」


 トン、とティーカップを受け皿に置く。

 何気ない所作なのに、思わず見とれるような優雅さが、彼の動きには存在した。


 場所は都内の小洒落たカフェである。


 女神は改めて、眼前の青年を見やった。


 涼やかな切れ長の目に、綺麗に整えられた眉。

 ラフにスタイリングされた明るい髪が、整った容貌によく似合っている。


 ――神楽坂誠かぐらざかまこと


 それがこの人物がこちら側で両親から授かった名前だ。

 もっとも転移先の異世界では、その本名で呼ばれることはほとんどなく、『不死の勇者』という異名で親しまれていたそうであるが。


「で、それだけじゃないんだよね? なんだっけ? 異世界ボケだったかな?」


 彼の言葉に、女神は物思いから立ち返って、頷く。


「そうなのです。こちらの世界に感覚がまったく適応できていないようなのですよ」

「それも、まあわかるかな。向こうでの暮らしはとにかく濃すぎるからね。長くいると、こちらの常識とか習慣がきれいに飛んじゃうから」


 テーブルに肘をついて、組んだ両手の上に顎を乗せ、いたずらっぽい眼差しでこちらを見やる誠。

 ファッション雑誌のモデルになりそうな美青年にこんな風に見つめられたら、大概の女性がコロリといくのではなかろうか。


 今回、女神が相談相手に、この人物を選んだのには、理由がある。


 現代日本には、『勇者の会』なる団体が存在する。

 異世界返りの元勇者たちが相互に助け合うために設立した組織だ。

 政府非公認のたんなる互助会ごじょかいに過ぎないが、彼はその組織のトップなのである。

 立場上、元勇者の悩み事に触れる機会が多いであろうから、もしかしたら剣一郎けんいちろうの問題についても、なにか有益な情報をもたらしてくれるかもと期待したわけであるが――


「話はわかった」


 パンと一つ手を叩いて、彼が言った。


「それじゃボクのツテで、こちらの世界にうまく適応できている異世界返りを紹介しよう。その人から直に話をきけば、悩みを解決する糸口になるかもしれないからね」


 やはり自分の見立ては間違っていなかった、と確信する女神。


「ええと、その子の名前はなんて言ったっけ?」

九重剣一郎ここのえけんいちろうさんです」

「そうそう。その九重君によろしく伝えておいてくれ」


 青年は白い歯を見せ、彼女に微笑みかけた。


「当日はボクも立ち会うよ。なにかお役に立てるかもしれないからね」


*************************************


「――という流れで、本日の対談が決まった次第です」


 女神が告げた。


「これからうかがう飲食店は、元勇者である北条絵里ほうじょうえりさんのご実家だそうです。彼女は異世界から帰って以来、家業の手伝いをしつつ………剣一郎さん、聞いていますか?」


 彼女は、隣を歩く剣一郎にそう尋ねた。

 頓狂とんきょうな言動が多いものの、人の話には真剣に耳を傾ける彼が、珍しく気もそぞろな様子だったからだ。


「――あ、はい。聞いています」


 俯いていた顔を上げ、女神に目を向ける剣一郎。


「すみません、少し考え事をしていて……」

「なにを思い悩んでいらっしゃったのです?」

「いえ……」


 彼は目を伏せ、珍しく言い淀んだ。


「これから会う異世界返りの人は、『こちらの世界に適応し、うまく自分の役割を得ている』という話でしたよね?」

「ええ」

「それってどういう状況なのかな、と思いまして」


 女神は小首を傾げる。

 いったい彼はなにが言いたいのだろうか。


「出発前に改めて確認したんですが、現在の日本では勇者本来の力を使って公的に活動することは、ほぼ禁じられていますよね? 剣と魔法を用いて犯罪者を捕まえるとか」


 それはその通りだ。

 現代日本で、犯罪者を取り締まる権利があるのは、警察のみ。

 勇者にその権限は与えられていない。

 いくら力とスキルを持っていようが、それを用いてアメコミヒーローのように悪党を追い回せば、犯人ともども仲良くお縄を頂戴してしまう。

 武装市民として警察以外の人間が活躍できるのは、あくまで銀幕の中だけなのである。


「自分の役割を得ているってことは、その人はこの現代日本において、なんらかの形で貢献するすべを見つけたんだろうと予想しているのですが、それはいったいどういうものなのかなあ……」


 顎に手を当てて、独り思案し始めた剣一郎に、女神はどう声をかけたものか迷った。

 結局、彼女は「その辺りは、到着すればわかりますわよ」と無難な返答を返したのだった。


**************************************


 その店は、商店街の片隅にあった。

 こじんまりとした昔ながらの大衆食堂だ。


「いらっしゃい」


 中年の女性が、にこにこしながら、二人を出迎える。

 カウンターの奥には、この店の主人と思しき人物が立っており、女神と目が合うと、無言でぺこりと頭を下げた。

 二人は店内の半ばにある、四人掛けの席に通される。


「初めまして。北条絵里です」


 テーブルには先客がいた。

 一人は先日女神がカフェで会った神楽坂誠。

 そして、その隣に二十歳ほどと思しき、若い女性が着席していた。

 こちらに挨拶してきたのは、その人物である。


 女神と剣一郎は順に挨拶を返す。


「正直、わたしなんかの話で役に立つかはわからないのですが」


 絵里と名乗った女性は、そう前置きして話を切り出す。


 彼女の語るところによると、絵里が異世界に転移したのは、彼女の主観時間で五年ほど前のこと。

 向こうでの職業は聖職者だったそうである。

 戦闘に直接参加するわけではないが、絶大な癒し手としてパーティに貢献し続け、ついに彼女のパーティはその世界の魔王を打ち滅ぼした。

 そして、役割を終えた絵里は剣一郎のように現代日本へと再転移させられた。


「以降は普通に学生として暮らし続け、現在は看護師を目指して、学校に通っています」


 そう告げて、話を締めくくる絵里。


「普通の学生というと、勇者の能力や知識を使うことは、こちらに戻ってからなかったということですか?」


 剣一郎が質問する。


「それなのですが――」


 彼女がこたえようとしたちょうどその時、勢いよく食堂の引き戸が開いた。


「絵里ちゃん! いるか!?」


 大声を上げて入ってきたのは、土方の仕事着を身に付けた壮年の男性だ。

 彼は、仕事仲間と思しき若い男に肩を貸していた。


「親方さん、どうしたんですか?」


 絵里が立ち上がって、彼らに駆け寄る。


「ちょっとこいつがへましちまってな」


 親方と呼ばれた中年が連れを目で示す。

 その若者は意識こそしっかりしているようだが、顔中に油汗を浮かべ、肌も土気色になっていた。

 女神は、その青年の右足が妙な角度に折れ曲がっていることに気付く。


「すぐ治しますから、椅子に座らせてください!」


 彼の状態を見て取るや、それ以上なにも尋ねず、指示を出す絵里。

 親方が青年を椅子に下ろすと、彼女は即座に片膝をついて、彼のズボンをまくり上げた。


「――っ………」


 青年が呻く。

 彼の足首はりんごのように真っ赤に腫れあがっていた。

 折れているのは明らかだ。


「足場から滑って……運悪く下に鉄筋が……」


 切れ切れにそう伝えてくる青年を、絵里は片手で制す。


「大丈夫ですよ。できるだけリラックスして深呼吸を繰り返してください」


 そう告げると、患部を包み込むように両手を添える。

 歌うような声が店内にこだまし始めた。


「治癒魔法か……」


 剣一郎が呟く。

 

 さすが、と女神は密かに感嘆する。

 絵里の魔法は、剣一郎のいた異世界とは根本的に異なる魔法体系からなるものだし、そもそも剣一郎は剣士であって魔法の心得はないはずだが、それでも即座に治癒魔法と看破したのは、さすが名うての元勇者と言うべきだろう。


「ヒールライト!」


 詠唱を終えた絵里が叫ぶ。

 彼女の両手が淡い光に包まれた。

 光が消え去ると、青年の足首は、完全に元通りに戻っていた。

 どこにも異常は見当たらず、新生児のように綺麗なピンク色で、まっすぐに伸びている。


「すごい……!」


 剣一郎が驚愕の声を漏らす。


「彼女ほどの治癒魔法の使い手は、『勇者の会』でも数えるほどしかいないからね」


 にこやかな笑みを浮かべて、誠がそう告げる。


「ま、こんな感じでね、この辺りの人たちは怪我を負ったら、即座にこの食堂に向かうわけさ。それこそ、救急車を呼ぶ暇も惜しんでね」


 誠の言葉に、剣一郎は得心した様子でこたえる。


「つまり、怪我人の治療を生業なりわいにしたわけですね。それが、彼女の得た『こちらの世界での勇者としての役割』であると」

「おしいけど、ちょっと違うかな」


 誠は糸のように細めた目を、絵里の方へ向ける。


「いつもすまんな」


 ちょうど親方が彼女に礼を述べているところだった。


「いえいえ。このぐらいしか私にはできませんから」


 頭を下げる年上の男性に、絵里は両手を胸の前で振ってこええる。


「少ないけど、こいつを受け取ってくれねえか」


 親方はそう言って、数枚の紙幣を取り出した。


「ごめんなさい。いつもお伝えしているように、受け取れないんです」


 絵里が告げた。


「しかし、毎度タダってわけには………」

「いいんです。本当に私はお役に立てただけで充分なので」


 固辞する彼女に、渋々紙幣を懐へ戻す親方。


「じゃあ、せめてもっとしょっちゅうここに食べにくるわ――おい、おまえもだぞ?」


 そう言って親方が小突くと、連れの若者は「もちろんっす」と頭をかきつつ、告げた。

 二人を見送る絵里の後ろ姿を眺めつつ、誠が口を開く。


「という感じで、彼女の治療は全部無料で行われているのさ」

「つまり仕事でやっているわけではないんですね」

「そう。というか、仕事にできないんだよね」


 剣一郎が怪訝な面持ちを、誠の方へ向ける。

 疑問に答えたのは、絵里本人だった。


「日本の法律では魔法による治療は、医療行為として認められていません。ですので、お店にきた人たちの怪我をボランティアという形で治すだけに留めています」


 再び剣一郎の対面に着席する元聖女の勇者。

 誠が言葉を継ぐ。


「ほんとはさ、総合病院とかに彼女が待機しているのが、一番ベストなんだよね。救急車で運ばれてきた人に即行で魔法をかけれるでしょ?」


 彼は口の端に皮肉げな笑みを浮かべた。


「ばかげた話だよねえ。国の決まりなんて、国民のために存在するはずなのに、その決まりのせいで大っぴらに救済活動ができないなんて」


 組んだ手の上に顎を乗せて、剣一郎をうかがう誠。


「君はそう思わない?」

「それは――」


 剣一郎が言葉を返そうとした瞬間


「ふざけたことをぬかしてんじゃねえぞ!」


 怒声が店内に響き渡った。

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