第10話 異世界返りの元勇者がオリジナル装備を作ったんだけど、なにか質問ある?
「ちわーっす」
とある昼下がり。
例によって大学構内の中庭にアトリエを出していた
「
剣一郎の言葉に
「あー、苗字じゃなくて、名前でいいから」
「ええと……じゃあ京子さん?」
「はーい」
にこやかにこたえる彼女。
「先日はありがとうございました」
「ん?」
深々と
「ここにお客さんを呼んでくれたので」
「ああ、あれねー」
彼女は屈託のない笑みを浮かべた。
「いちおう約束したからね。お客さんを連れてくって」
――まさか本当に連れてきてくれるとは、思いませんでしたけどね
本日も文鳥姿の女神は、元勇者の肩の上でそっと思う。
どうやらこの京子という女子学生は、周囲の人々にこのアトリエを宣伝してくれているらしかった。
「ということで、次のお客さんをごあんなーい」
京子が、くるりと背後を振り返って告げた。
彼女の視線の先に目を向けた女神は、思わずぎょっとする。
いつのまにやら、そこに誰かが立っていたからだ。
「
か細い声が漂ってきた。
長い髪に半ば隠れた顔。伏せられた目。
全体的に存在の
「本日はよろしくお願いします……」
「こちらこそよろしくお願いします」
剣一郎が返した。
かすかに驚いた表情を浮かべているので、もしかしたら彼もこの女性の存在に気付いていなかったのかもしれない。
高度な索敵能力を有する元勇者に存在を気取られないとは、彼女の気配のなさは、ある種の才能というべきかもしれなかった。
「この子は私の後輩なんだけどね、ちょっと相談にのってあげて欲しいんだ」
京子が告げる。
「相談ですか?」
剣一郎が尋ね返すと、霞と名乗った女子は、すっと一枚の紙を差し出した。
『北沢霞さん、突然こんな手紙を渡してごめんなさい。
実は僕は幽霊フェチという性癖を持っています。
幽霊しか愛せません。
あなたを駅で一目見た時から運命を感じました。
あなたこそ、僕の理想の幽霊です。
どうか僕があなたを24時間365日見守り続けることをお許しください。
幽霊フェチの男』
最後まで読み終えた剣一郎は、手紙から眼前の女性へと視線を戻した。
「これは?」
「先日、自宅のポストに投函されていました。以来、どこへいっても誰かの視線を感じて……」
霞はまつげを伏せ、物憂げな表情を浮かべる。
陰りを帯びた雰囲気をまとっているものの、彼女がかなりの美貌の持ち主であることに、女神は気付いた。
月下美人というのだろうか。
夜道などでばったり出くわしたら、たしかに幽界に住まう美女と見紛う者も出そうだ。
しかし、これは――
「これは変質者ですね……」
剣一郎が珍しく険しい表情を浮かべて、言う。
「実際に付きまとわれているのですか?」
「たぶん……」
彼の言葉に、霞は小さな声でこたえた。
「この子、この通りおとなしいもんだから、しょっちゅう変なのに目を付けられるのよね」
京子が憤然とした声で告げる。
「わかりました! なにか対策を考えましょう」
剣一郎がいつになく力強い口調で言った。
彼も異世界では英雄レベルの活躍をした男である。
本能的に、この対象はなんとしても救わねばならないという勇者の使命感をおぼえたに相違なかった。
剣一郎は腕を組んで、しばしの間、虚空をにらむと、「やはりあれがいいか……」と呟いた。
アトリエの机下にある、例の宝箱を探って、なにかを取り出す。
「え!? なにこれ」
京子が驚きの声を上げた。
「いまからご説明します。この防具の名前は――」
*************************************
その男は生身の女性に一切興味を抱けなかった。
物心ついたときからずっとである。
自分は一生異性に関心を持てないんだろうな、と思っていた時、一冊の本と巡り合った。
怪談がつづられたその小説の挿絵――柳の木の下で両手を垂らす、はかなげな表情をした幽霊を見た瞬間、彼の心臓が飛び跳ねた。
生まれて初めて、恋を知った瞬間だった。
以来、本、映像、舞台など、メディアを問わず目当ての女性が描かれている物語を追い続け、果ては実物に会うべく、心霊スポット巡りなども敢行した。
しかし、どうしても出会うことができない。
どうやら彼には、いわゆる霊感の類が一切ないらしかった。
望んでも会えず、会えないことが原因でさらに思いが募る。
苦しくて苦しくて、どうしようもなくなってきた時に――彼女を見つけた。
同じ大学の一つ年下の女子。
初めて見た時、思わず息が止まった。
自分の初恋の相手である、あの怪談本のイラストの女が、そのまま抜け出してきたのかと思ったからだ。
それほどそっくりだったのである。
――まさかこんなに身近に理想の女性がいるとは
しかも、生身の女……
それからの彼は、北沢霞という名のその女子学生を追い続けることに、生活のほぼすべてを費やした。
もちろん、他のチャラい男子と同じように、いきなり馴れ馴れしく声をかけるようなことはしない。
距離感をきちんとわきまえて、物陰から見守ったり、盗撮したり、こっそり録音するだけだ。
そう。いまやっているように。
彼は少し前を歩く霞を見つめる。
この季節にしては少し大げさな分厚いコートを羽織っている。
なにか音楽を聴いているのか、ヘッドフォンを付けていた。
コツコツ、と彼女のブーツがアスファルトをきざむ音が響く。
場所は大通りから一本入った路地裏だ。
すでに夜も遅いため、まったく人気がない。
彼はスマホで霞を盗撮しつつ、すばやく電柱の影から影へ移動してゆく。
――しかし、彼女はこんな時間にどこへいくのだろうか。
いままで夜更けに出歩いていたことはなかったはずだが……
そんなことを考えていると、少し前を歩く霞の姿が、ふいに消えた。
慌てて、後を追う。
どうやら、路地を曲がったらしい。
彼はコーナーに体をぴたりと寄せ、細くて目立たない脇道の先へ、そっと顔を覗かせた。
――いた。
というか、こちらを向いて、すぐ目の前に立っている。
どうやら自分がつけていることに気付いて、待ち構えていたらしい。
彼は一瞬とまどったが、素早く腹をくくった。
――よし、この機会に自分の想いを直接伝えよう
手紙も渡したし、ここ数週間、ともに過ごしてきたので(彼の主観ではそうなっていた)彼女も自分に親近感を抱いてきたに違いない。
だから、こうやって待っていたのだ。
彼は息を吸って口を開こうとした。
その瞬間、霞がコートの前をはだけた。
――え……
彼は当惑する。
まるで男の変質者がやるような仕草だが、もちろんコートの下は裸ではなかった。
しかし、ある意味裸より奇異な光景が、彼の目を射貫いたのである。
巨大な二つの眼球が彼を見つめ返していた。
(わあああああっっっっ!!!!)
叫び声を上げようとしたが、言葉が出てこない。
というか、指一本動かせなかった。
その奇怪なカエルの
霞は白いシャツを着ていたが、件のカエルはその中央に鎮座していた。
一見イラストシャツのような感じだが、なにかがおかしい。
そのカエルは瞬きしていた。
さらによく見ると、シャツの材質も妙で、まるで植物の根かなにかをそのまま編み込んだような感じだった。
パニックに陥り始めた彼を、さらなる恐怖が襲う。
ふいにシャツの下部の方がピクピク動くと、口のような切れ目が現れた。
そこから耳をつんざくような絶叫が響き渡る。
「#%&*$$$$$$ー!!!」
日本語どころか地球上のどの言語とも――いや、人間の言葉とも隔絶した魂の叫び。
絶望を煮詰めたようなその音色は、ただでさえ弱り始めた彼の精神に、とどめを刺すに十分だった。
シャツの切れ目が閉じた瞬間、彼は白目をむいてばったり倒れた。
***************************************
「うまくいったみたいですね」
「だね」
少し離れた物陰から様子をうかがっていた剣一郎と京子は、男が卒倒したのを見届けると、路地へと姿を現す。
「霞、平気?」
京子の言葉に、霞は閉じていた目をゆっくり開いた。
「……はい、大丈夫です」
か細いながらも、はっきり伝える彼女。
「こちらの方に言われた通り、目を
剣一郎へと視線を流す。
「この防具の特殊効果は、事前の心構えがあればなんということはないんです。しょせん驚かしですから。しかし、事前の心構えがないとこうなります」
彼は、道端でのびているストーカーを示す。
京子は改めて、後輩女子の着ているシャツを――例のカエルと目を合わせないように――眺める。
「この生き物、なんだっけ?」
「バジリスクです。見た目は特大のカエルですが、視線に石化や金縛りなどの特殊効果があります」
「で、それに縛られちゃったから、こいつは動けなくなった、と」
「はい」
剣一郎は頷く。
――
剣一郎はこの衣服をそう名付けていた。
完全オリジナル装備で、彼とパーティを組んでいた女魔術師の二人で作り出したものだ。
昔のテレビアニメに、主人公が転んだ拍子に、シャツの中に生きたままのカエルが、押し花のように入り込むというのがあったのを思い出し、異世界でそれを再現したわけである。
ただし、使用したカエルはバジリスクで、目に呪縛の呪い効果がある点が原作と異なるが。
「あとは、衣の素材に乾燥させたマンドラゴラを使用したことですね」
「マンドラゴラって、なんか人面大根みたいな植物の根っこのことだよね?」
「そうです。この魔物の断末魔の悲鳴にも、やはり緊縛効果があるので、組み合わせてみたんですよ」
そこはかとなく、どや顔で語る剣一郎。
「目と耳の二重パンチかあ。そりゃキクよねぇ~」
口から泡を吹き、白目をむいている男を見下ろしつつ、京子が言った。
「ま、こんだけ怖い目にあえば、さすがにこの子をつけ回すのはやめるでしょ」
彼女は改めて後輩女子へと目を戻す。
霞はコートの前を正すと、剣一郎に向き直って深々と頭を下げた。
「どうもありがとうございます。おかげさまで、明日から元の明るい陽キャに戻れます」
そう告げると、すーっと路地の闇の中に溶け込むように消えてゆく。
「またキャンパスでお会いしましょう」
ふふふふふ………とどこかから笑い声が響いてきた。
「…まあ、たしかにちょっと幽霊っぽくはあるんだよね」
あはは、と苦笑しながら、京子。
「でも、彼女真剣に悩んでたから、ホントにありがとうね」
そう言って剣一郎の肩に腕を回し、パンパンと背中を叩いた。
「これからもよろしくね、ケンイチローくん♪」
「はい」
短くかえす剣一郎。
――そういえば、異世界から帰って以来、初めてじゃないか?
こうやって、心からの感謝の言葉をもらうのは
そんなことを漠然と思いながら、彼は京子と連れ立って夜道を駅の方へ歩いていった。
なんとなくだが、今夜は異世界で冒険していた頃の夢を見ないで済むような気がした。
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