第8話 異世界返りの元勇者が大学に防具屋を開いたけど、なにか質問ある?

 剣一郎けんいちろうの通う大学は、郊外に敷地を構えていた。

 近年はビルのような外観の大学も多いが、このキャンパスは緑豊かで広大な土地を有し、都会の喧騒けんそうから隔てられた、昔ながらの学舎がくしゃである。

 そんな閑静な学びにそぐわない奇怪な旗が、中庭の一角に立てられていた。


『異世界アパレル同好会 ~ケンイチローのアトリエ~』


 そう記された旗の脇には長机が置かれていて、「○○のアトリエ」的なタイトルのゲームを参考にしたと思われる、百均の煉瓦れんがやド○キの木製棚などで形成された即席の工房っぽい受付が作られていた。

 長机から垂らされた紙には、次のような紹介文が書かれている。


『異世界で10年間感性を磨いてきた私が、ファッションソムリエとしてぷろでゅーす(^0^) あなたにピッタリのおしゃれ☆異世界服をご案内しまぁす!」


 机の向こうに鎮座ちんざしているのは、もちろん九重剣一郎だ。

 彼は、女神考案のこの『アトリエ』で、かれこれ一時間以上来客を待ち続けていた。

 もっとも、中庭を行きかう学生たちは、遠くからこの奇怪な出し物を見ると、みな露骨に迂回うかいルートを取っていたが。


 ――なかなか人が来ないわねぇ……


 女神は翼をパタパタさせつつ、思う。

 本日の彼女は手乗り文鳥に姿をやつし、剣一郎の肩に留まっていた。

 この学校に籍のない彼女が、そのままの姿で彼の活動を手伝うわけには、さすがにいかなかったからだ。


「あー、すいません」


 その時、誰かが剣一郎に声をかけてきた。

 男子学生だ。

 一見さわやかなイケメンだが、どことなく腹に一物ありそうな雰囲気を醸し出している。

 女神も、伊達にあまたの人間をスカウトしてきたわけではないので、特に日本人が相手なら、ぱっと見だけで本質をある程度見抜けるようになっていた。


「はい! なにか御用でしょうか」


 剣一郎がはきはき尋ねる。


「異世界の服って、特殊な効果があるとか聞いたんだけど、本当?」

「その手の物はレアですが、当アトリエでもいくつか取り扱っています!」

「実はある案件をこなせる服を探してるんだけど、なにか役に立つものはないかなあ、と思ってさ」

「ある案件といいますと?」

「あー、ちょっとね。サバゲ―的な? あくまでゲームだけど、こう、人目に触れず室内に侵入する的な? そのままお目当てのものを見つけ出すまで部屋を漁り続ける的な?」


 男子はなぜか目を逸らしながら、曖昧な返答をかえす。

 明らかに不審な様子である。


『ケンイチロー、ヨウジンナサイ、ケンイチロー、ヨウジンナサイ』


 女神は鳥っぽい口調で元勇者に警告するが、剣一郎は一瞬怪訝けげんそうな目を彼女に向けただけで、すぐ客に向き直った。


「要するに、潜入ミッションの模擬訓練的なものでしょうか?」

「潜入ミッションて……いやそうそう! それだよそれ」

「かしこまりました!」


 そう言うと、机の下に置かれた宝箱を探り、なにかを取り出す。


「こちらの防具はいかがでしょう?」


 彼が机の上に広げたのは、黒い外套がいとうだった。

 髪の毛のような細長い物体と鳥の羽を無数に組み合わせた、不思議な素材でできている。

 見た感じは、外套というより江戸時代のみのに近い。


「なにかな、これは?」


 異様なオーラを放つその服を注視しつつ、男子がたずねる。


死出しで羽衣はごろもという防具です」

「死……なんだって?」

「俺の元いた異世界で、暗殺者が好んで利用していた防具です。特殊効果で、装備者の気配と物音を完全に断ち、存在を消します」

「つまり着れば透明人間みたいになれるってこと?」

「そうです」


 男の目が異様な光を帯びる。

 女神は、彼がちらりと中庭の奥にある建物に目を向けたのを見逃さなかった。

 あそこはたしかこの大学の部室棟……


 彼女は、ばさりと翼を広げて、剣一郎の肩から飛び立つ。

 件の建物に近付くと、果たして窓から着替えをしている最中の女子たちの姿が見えた。


 ――やはり、女子更衣室が目的か


 一方、剣一郎の眼前では、男が外套を手に取って目をらんらんと輝かせていた。


「君、これはいくらかな?」

「お代は頂かずにお貸しします。あくまでサークル活動ですので――」

「そうなんだ。じゃあ借りていくからね」


 食い気味にそう告げると、逃げるように立ち去ろうとする男。


「あ、ちょっと待ってください。まだ説明が――」


 剣一郎が慌てて声を投げるが、それを振り切るように男の後姿はぐんぐん遠ざかっていった。

 やむを得ず、アトリエを離れて追いかけようとした剣一郎だったが、その時、背後からぽん、と肩に手を置かれた。


「君、今の話を詳しく聞かせてくれない?」


 振り返ると、スポーツウェアに身を包んだ女子がこちらを見据えていた。

 ぱっと見、剣一郎より一、二歳年上だろうか。

 ショートボブの整った顔立ち。

 細身ながらスタイル抜群で、いかにも運動が得意そうな感じの女子だ。

 彼女の背後には、同サークルとおぼしき数名の女の子たちの姿もあった。

 剣一郎は、彼女たちの頭上を一羽の鳥が舞っていることに気付いた。


『チカンガネラッテルヨー、チカンガネラッテルヨー』


 そう連呼しつつ、ぐるぐる飛び回っている。

 さすがに、なんとなく事態を察した彼は、一連の出来事を彼女らに伝えた。


「うーん……それはちょっとまずいことになったかも」


 代表で声をかけてきたショートボブの女子が呟く。

 他の部員たちも、険しい顔を見せた。


「最近、うちの女子更衣室に何度か忍び込まれたのよね。で、私たちも警戒していたんだけど……」


 ショートボブが告げた。

 剣一郎はほぞむ。

 間違いなく先程の男が犯人の最有力候補だろう。


「申し訳ありません。そうとは知らず……」

「まあ、あなたもだまされたんだろうから、仕方ないけど。それより、そのなんとかの服を使って忍び込んでくるのをどうやって防ごうかしら……」

「それは当面大丈夫だと思います」

「え?」

「あの人の現在のステータスでは、死出の羽衣を使いこなせないので」


 剣一郎には、能力鑑定のオートスキルが備わっている。

 そのため、先程の男のステータスが、死出の羽衣の装備に必要ないくつかの能力値を下回っていると、すぐに気付いたのだ。

 そのことを本人に伝えようとしたのだが、逃げ去ってしまったというわけだった。


「必要値に満たない状態で装備すると、特殊効果を引き出せないんです」


 顎に手を添えて、しばし考えるショートボブ。

 それから剣一郎に尋ねかける。


「……つまり、本人は消えているつもりでも、実際はただ黒い服を着ているだけってこと?」

「はい。ですので、今のうちに取り返せば――」

「ちょいストップね」


 彼女は剣一郎の言葉を遮ると、他の女子たちとひそひそ話を始めた。

 再度彼の方に向き直る。


「うん。決めたわ。そのまま放置しといて」

「え?」

「あとはこっちで対処するから」


 なぜか怖い笑みを浮かべるショートボブ。

 他の女子たちも、一様に凄みのある笑みを浮かべて、頷く。


 ――とりあえず捕まえたら、心行くまでボコりたいわ

 ――その前に全裸で土下座させて撮影しておきましょ


 そんな不穏な会話を交わしつつ、立ち去ってゆく。


 彼女たちを見送りながら、今後は犯罪に使われぬよう気をつけねば、と気を引き締めた剣一郎は、ふと女子代表のショートボブが、まだアトリエの前に立っていることに気付いた。


「ていうか、これ面白いね」


 アトリエの旗をつまみながら告げる彼女。

 

「あ、はい。ありがとうございます?」

「なんで疑問形なの?w」


 彼女は旗を放して、剣一郎に向き直った。


「わたし、北野京子きたのきょうこ! よろしくね」


 すっと差し出された手を、しげしげと見つめる剣一郎。


「ほら、握手握手」


 ぶんぶん腕を振りながら促されたので、慌てて立ち上がり、握り返す。


「九重剣一郎です。環境生物学部一年で、趣味は経験値稼ぎです」

「経験値稼ぎてw やっぱり君、面白いわあ」


 あははは、と声を上げて笑う京子。


「また遊びに来るね! 次はお客さんも連れてくるから!」

「あ、はい、ぜひ」


 剣一郎はぺこりと頭を下げ、立ち去ってゆく彼女を見送ったのだった。


 ************************************


 件の男が捕まったのはそれから数日後のことである。


 裸の王様の話そのままに、全裸の上に例の装備を身に付けただけの姿で堂々と正面から女子棟に入ろうとしたところを、待ち構えていた女子学生たちに確保され、お縄になったとのこと。


 一見さわやかイケメン風で後輩女子から人気があったそうだが、その後、彼の姿をキャンパス内で見かけることはなかったという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る