ジョン・ドウ
刻々と巡る時間の流れは、社会の底に敷かれた墨守すべきルールであり、朝と夜という概念は社会と切っても切り離せない関係にある。それは、法を度外視して社会に根付く者にも即していて、夜の帳を授かれば忽ち町を跋扈する。力任せに犯罪へ手を染める林田一行は、町の汚点そのものであった。
「これは酷い……」
町中に重機を走らせて、ざっくばらんに現金自動預入れ支払い機を破壊し、中身を掻っ攫ったような惨状は、監視カメラを介して現実のものとして顕現する。たった一人の人間が豆腐を千切るかのように、いとも容易く機械を引き剥がす世にも奇妙な、この世の理とは釣り合いがとれない現実がまざまざと見せ付けられる。そして、赤いラッカースプレーを地面に吹き付け、逆さの五芒星に翼の生えた珍妙な絵を残して立ち去った。
多種多様な情報媒体が、こぞってこの事件を大いに取り扱い、世間を扇動した。
「まるで超人だ」
一部では映画のプロモーションだと疑う声が上がり、メディアを巻き込んだ遠大なる計画だと身構える聴衆も少なくなかった。だが、向こう一週間の内にその考えはひっくり返され、厳然なる事実として胸に刻む事になる。
「三峡大江橋崩落」
翌年に計画されていた、沿線を挟んだ古い橋の取り壊しは、多大な人件費や時間を要して行う所を、一本の豪腕が五分と満たぬ内に解決してしまった。目下の強盗と同じ人間の手に掛かったと考えなければ到底、受け入れ難い一夜の出来事で、その豪放磊落な動向は、法による締め付けなど取るに足らない虚飾に過ぎないと、勘違いさせる。
「またこのマークか」
瓦礫の山にデカデカとラッカースプレーで描かれた件の絵は、上空に飛ぶヘリコプターの目を惹いた。同時多発的に起こる軽重の異なる犯罪と印象的なマーキングに、警察関係者並びにメディアは不特定多数の人物がとある思想の元に集団を為していると推測した。仮称、「ジョン・ドウ」
町に混乱をもたらす象徴として君臨し、「ジョン・ドウ」が現れる前後では、犯罪発生率にナイアガラのような画然たる差が出来た。そんな折目、神が拮抗薬として投入したかのように、彗星の如くドーベルマンは現れたのだ。
ドーベルマンを特別視せず、自身の行動に一片たりとも影響を及ばさないと、勝気な久世はより高慢ちきに肥大し、「ジョン・ドウ」を代表して堂々と宝石店を狙えば、ドーベルマンと鉢合わす。一つの町を舞台に立ち回る二つの相反する指向は、予め仕組まれた机上の采配によって、均衡が保たれているかのような錯覚すら起こさせた。
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