身の上話

 滞りなく注文を終える為に、ろくに料理の名前に目を通さないまま、ビールの一杯を頼んだ。昔馴染みの友人と時間を共有する好奇心から、重い腰を上げた一ノ瀬にとって、舌鼓を打つ事など二の次である。如何に楽しげな会話を交わせるかが、この場に於ける優先事項だった。


「今、何してるんだ?」


 だからこそ、今自分が置かれている環境を探るような林田の追求には、苦い顔をして答える他なかった。


「工場でアルバイト」


「そうか」


 思わず漏らしかけた溜息を既の所で噛み砕き、辛うじて顔を俯かせる。それが一ノ瀬に出来る精一杯の体裁を保つ方法であり、空元気で声を弾ませるほど処世術に長けていなかった。


「疲れてそうだな。クマもある」


「そうだね、最近眠れてなくて」


「……そうか」


 覇気は決してこもらない。店員が届けてきたビールを一気に仰ぎ、血にアルコールを回すようなやけ酒めいた行動を取る事でしか、自分を癒す術が見つからなかった。


「一ノ瀬はさ、今の生活に満足しているかい?」


 林田は前後に交わすべき文脈を省いて、突飛な切り口から接近を図った。当然ながら、このような私生活に踏み込んだ質問は、「親しき仲にも礼儀あり」という決まり事に抵触し、気安く答えるなどあり得ない。


「急だなぁ。随分と」


「僕はこの頃、思うんだ。このまま歳だけを重ねて、惰眠を貪るように毎日を過ごしてていいのかって。一度きりの人生がこんな程度に終わってしまうのか。そんな恐怖感が、ふとした瞬間に湧き起こるんだ」


 林田はやおら、両手を組み合わせて固く結んだ。つらつらと弁舌する赤裸々な林田の胸中には、一ノ瀬も共感する部分はあった。しかし、嬉々として飛び付き、傷を舐め合うような真似はしなかった。軽はずみにこの話題を掘り下げて、共に穴に落ちるような間抜けな道化を演じるのは憚られたのだ。


「よくある話だよね」


 一ノ瀬は至って平静にそう指摘し、林田が抱える悩みと距離を取る。潮が引いていくのような、さめざめとした一ノ瀬の体温を感じ取ったであろう林田は、前傾姿勢になって熱を纏った。


「一ノ瀬、これを見てくれるか」


 注視を求める林田は、両手に握り拳を作って一ノ瀬の目の前に出す。それはまるで、手垢の付いたコインマジックと瓜二つの影形を象り、陳腐な驚きをもたらす為の小賢しい動作であった。そんな林田の思惑を看破するかのように、一ノ瀬はすかさず右手首を掴んだ。


「どうした?」


「あ、いや、何でもない」


 一ノ瀬は、熱された鉄を握ったのと変わらない、異様な反応で林田の右手首から手を離す。


「……」


 磨りガラスを貼り付けたかのような釈然としない林田の表情は、そのまま沈黙へと繋がった。ビールのジョッキは一段と汗ばみ、居酒屋の猥雑さに似つかわしくない、重苦しい雰囲気に首を突っ込んだのは、期せずして料理を運んでくる店員であった。渡りに船だと林田は目の前の料理に飛び付く。


「ここの焼き鳥がまた美味いんだ」

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