再開

 絵の具を溶いた水のような雑多な音で満ちた居酒屋の一角で、旧友の登場を持つ青年がここに居る。彼の名は林田である。埃の被った携帯電話に残った電話帳から片っ端に接触を図り、惹句となる言葉を開口一番の挨拶にした。


「久しぶり」


 未来を見据えて生きるより、過去を振り返る時間の方がよほど長い。だからこそ、人や風景に紐づく郷愁はかけがえのないモノとして昇華され、薄ぼんやりに思い出すとキラリと宝石のように輝く。しかし、いざ古い友人

と顔を会わすとなれば、煩わしいものに感じる天邪鬼な一面も顔を出す。付かず離れない距離感こそが、尊むべき時間という奴なのだろう。ただ今回、二人はそんな時間を越境して顔を合わす。


 からんとコップの氷が雪崩れる。先んじて店内に入っていた林田は、携帯電話を片手に何度もデジタル時計の案配に目を向けていた。約束の時間になるまで、あと十分弱はあるものの、気が急くままに足癖の悪さを露呈する。コップの水はほとんど飲み干し、自ら指定した時間に首を絞められているかのような苦慮を湛えて、ひたすら旧友の登場を待った。


 数多の呼気によって温められた空気は、排気ガスのように淀み、ぬるりとした感触を帯びる。そんな中で、外気を呼び込む扉の開閉は息継ぎを促し、徐に向けた視線の先には、首周りのよれたTシャツに袖を通す、くたびれた一ノ瀬がいた。


「ごめん! 待った?」


 約束の時間はキッチリと守られており、林田に謝意を送るまでもない。だが、あくまでも腰の低い一ノ瀬の態度を林田は歓迎する。


「いいんだよ。待つのは嫌いじゃない」


 対等な関係でありながら、そこはかとない優位性を醸成する林田の身の処し方は、不埒かつ手管が垣間見える。


「まだ注文はしていないんだ。君を待っていたから」


 そう言って、林田はコップに残っていた僅かの水を全て口に含んだ。


「ああ、ごめん」


 過去を掘り下げて四方山話に興じるのが醍醐味であるはずの旧友とのやり取りは、一ノ瀬が何度も頭を下げる事で、ありふれた日常の延長上にあるかのような辛気臭さが漂う。


「大丈夫だよ。僕も今し方来たところなんだ」


 一ノ瀬は頭を頻りに掻き、居た堪れない気持ちをどうにか立て直そうとする。


「それにしても、林田君が電話をくれるなんてビックリしたよ」


 苦笑を交えながら談笑の糸口となり得るきっかけを一ノ瀬は探った。


「ああ、そうだね。僕も君の電話番号が変わっていない事にビックリしたよ」


 内臓が持ち上がるような感覚に襲われて、鋭利な先端で突かれるチクリとした痛みを一ノ瀬は覚えた。


「……他の皆とは連絡したりするのかい?」


「頻繁にはないかな」


 林田は手元のメニューに目落としつつ、一ノ瀬との会話を片手間に行う。


「おれは実は、君の事を実は、よく覚えてないんだよ」


 痙攣する右目蓋に、不自然に吊り上がった頬が作るぎこちない笑顔をぶら下げて、極めて率直な気持ちを吐露する一ノ瀬は、林田の機嫌がどう動くか、つぶさに観察する。


「無理もない話だ。僕達はろくに話した事もないし、電話番号を交換したのも、卒業に合わせて儀式的に行われただけだからね」


 林田は店員を呼び、メニュー表に列挙された文字を次々と指差していく。そして、チラリと一ノ瀬を一瞥すると、逆さのメニュー表を差し出した。


「一ノ瀬、君は何を頼む?」


「おれはとりあえず、ビールを」

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