ヲタクはじめました

温水 貫太郎

序章 プロローグ

 深夜0時を過ぎた時間、ベッドに寝転んで見たスマホの画面の中では制服を着た女子高生5人組バンドが楽しそうに楽器を演奏していた。


 学生時代から付き合っていた彼女と別れた。

 就職活動で俺は名古屋のそこそこ大手の企業に早々に内定を貰ったので、彼女はもともと目指していた看護系の仕事を愛知で探し、卒業後は2人で地元の大阪を離れ、当然のように2人で同棲を始めた。

 就職後、俺の仕事は実家が大阪という事もあってか関西方面への出張が多く平日、週末を問わずに家を空ける事がちょくちょくあり、彼女は彼女で仕事柄夜勤も多く、一緒に暮らしていてもすれ違いがあった。

 学生時代は週末の度にしていたデートも、月1回・・・なんとか休みを合わせて出掛ける程度になっていたし、お互い疲れている時は部屋でダラダラしたり、月1回のデートの約束が急な仕事でキャンセルになった時は2人で出掛ける事自体が2~3か月に1回になってしまったりもしたが、それでも仕事が忙しかった分、職場での立場や給料も上がってきて、このまま結婚するのかな?とも考えて始めた33歳の冬。


「今週末の本社への出張、次の日休みだから実家で泊まって日曜の夕方に帰るわ」

「はーい、じゃあ私は家でのんびりしてるねー」

 出張先での仕事はスムーズに終わり、なによりも仕事の後に、このご時世からなのか飲み会の話もなかったので、実家に顔を出した後、案外、実家でする事もなんもねーな・・・と、思い、車を飛ばして大阪に帰る事に決めた。

 明日はダラダラしてるって言ってたし、0時くらいに大阪に着けば明日はどこか出掛けれるかもな・・・

 この時はそんな事も考えていた。サプライズで帰ってくれば驚くかな?喜んだりするのかな?とも。


 そして、そこからはテンプレ。

 鍵を開ければ、玄関には見知らぬ男物の靴。奥の部屋から聞こえる複数の声。カチャカチャと聞こえるベルトの金属音。

 あーコレはアレか・・・喘ぎ声じゃなかっただけマシかな・・・

 とりあえず武士の情けかとも思い玄関から部屋に続く短い廊下で待機。いや、これは自分の心を守る為の処置だったのかもしれない。

 やっぱり「コレハ違ウノ!」かな?それとも「コノ人ハ本気ジャナイノ!」か、「寂シクサセタアナタモ悪イノ!」のパターンか・・・

 どこか冷めた脳内でそんな事を考えながら、中で音がしなくなったのを確認し、意を決してドアを開く。

「ゴメンね・・・私、出て行くから・・・」

 着替え終わった2人はそのまま狭い廊下で少し体が触れ合いながらもすれ違い、そそくさと玄関から手を繋いで出ていく。

 そうかーこのパターンかー。

 どうやら俺たちの関係はすでに終わっていたらしい。俺としてはここ数年の2人の雰囲気はお互いの生活が空気のように馴染んできて、結婚してもこんな穏やかな生活が続いていくのかと思い始めていたが、彼女にとってはそうではなかったみたいだ。倦怠期、愛を感じない、刺激がない・・・そう感じていたのだろうか?そしてそんな時に魅力的な男性が現れた。どしたん?話聞こか?って言う男が現れ、真実の愛にでも目覚めたか。

 もしかしたらサインはあったのかも知れない。

 ここ数年は泊まりの出張で家を空ける事も多く、次に帰ってくる日は伝えてもわざわざどこに出張に行く場所まで報告する事も聞かれる事も無かったし、彼女の夜勤にしたって、一応は事前に伝えてくれていたのだろうけど、夜に家にいなければ、そうか今日は夜勤かーくらいにしか気にも留めていなかった。

 まぁお互いに浮気はし放題の環境ではあったと思うし、油断も隙もあったけど、俺自身は浮気なんて考えた事もなかった。が、浮気された今となってはもっと関心を持ったり、彼女の行動に気を留めて、あったかも知れないサインを見落としてはいけなかったのだろう。


 それでも次の日はやってくる。

 明日は休みだ。しかし、何も考えたくないのでそのまま部屋着に着替えてベッドで目を瞑る。目を瞑っても眠れず、考えるのは彼女の事ばかり。

 俺たちは別れたんだろうか?彼女にフラれたんだろうか?いつから浮気をされていたんだろうか?何を間違った?いつ間違った?どの時点でやり直せば、こんな結果にならなかった?

 寝たんだか、寝てないんだかわかならいまま夜が明ける。

 眼を瞑るのはダメだな。しかしながら本来は彼女と過ごせればと思って帰ってきた日曜日、する事がない。

 別に今日書く必要もない、出張の報告書を書き始める。

 仕事の事を考えている方が気が紛れるだろう。愛知の本社勤めなのに何故大阪の出張が多いのか?そういえば新入社員の頃に地元の友人と遊びたくて、大阪支社の営業の人手が足らない時期に志願して行ったんだったか?友人達のツテやコネや顔を使いながら、新入社員の割には良い仕事をして評価され、そっちの顧客にも顔なじみが出来て、そのまたツテから営業先が広がって、相手から名指しで呼んでもらえる事も増え、ここ数年はもう大阪支社に移動しろと言われていたけど、彼女に自分の内定の都合で愛知に引っ越してきてもらった手前なかなか言い出せず・・・結婚して、子供が産まれて彼女が休職したら移動の辞令を受けて地元で子育てしてもいいかなと・・・ああ、また彼女の事が脳裏に浮かぶ。

 そもそも昨日の今日だ。現実感は無くとも彼女の事を考えない方が難しい。

 LINEは来ない。こちらからも送る気も起きない。俺たちはもう別れたんですか?って。知らない男と手を繋いで出て行った彼女を見て、その質問をするのはさすがに頭がおかしい。もう終わっているのだ。終わりましたと言われていないだけで。


 再びまどろんだだけの夜は明け、月曜日の朝が来た。

 俺も社会人になって10年ほど経つ。彼女にフラれたくらいでは有給は取らない。いやまぁ社会人になってからフラれたのは初めてなのだけど。

 食欲は無かったが、コンビニで適当なパンを買ってお腹に詰め込み会社に向かう。そう言えば昨日は何も食べていなかったけど、気にならなかった。少し・・・いやかなりメンタルも参ってしまっているのだろう。

 職場について上司に出張の報告をした後、自分の通常業務に向かう。出張明けはこちらでの仕事も溜まっていて少し忙しい。それでも仕事で自分の時間を忙殺してくれるは助かった。何も考えなくて済む。

 仕事が終わって部屋に帰ってくると彼女の荷物は無く、手紙と鍵が置いてあった。

「ごめんなさい。ヨシ君とすれ違う事が多くて、一人の時間が耐えられなくなり、その時に一緒にいてくれた人を好きになってしまいました。ヨシ君が悪い所は一つもありません。私が弱かっただけです。本当にごめんなさい。必要な荷物は持って出たので残っている私物や家具は好きにしてもらって構いません」

 そうか俺は1つも悪くないのか・・・じゃあもうどうしようもないのか。


 見慣れた部屋に彼女の荷物だけがない。

 でもベッドは残ってる。シングルじゃ狭い、でもダブルなんて入れると部屋が狭くなるとあーだこーだと言いながら彼女が選んだベッド。2人で暮らすなら自炊しなきゃねと大きいサイズを選んだものの、部屋の通路を通らなくて結局1サイズ小さくした冷蔵庫。一番長く2人で居る場所になるからと言って奮発して買った少し高いソファー。部屋にあるもの全てに彼女との思い出がある。

 家でご飯を食べようと思ったけど、耐えきれなくなって、今日は外食で済まそうと外に出た。

 家から一番近い居酒屋はこの町に越してきた時に2人で今日からここの常連になろうと飛び込んだ店だ。駅に向かう途中の喫茶店は休日、朝ごはんを作るのがめんどくさい時によく行った店。裏路地を入ったところにある洋食屋は、初めて行った時に隠れた名店を見つけてしまったと2人で喜んだ店。駅前のラーメン屋は開店した時に俺が1人で行って美味しかったのでその後彼女を連れて行った店。駅前のファーストフード店やチェーンの居酒屋、ファミレスにさえ、彼女との思い出がある。見上げた看板にさえ、今度新しいお店が出来るねと言った彼女の言葉を思い出す。

 家に帰ってきてテレビを付ける。

 彼女が好きだった俳優のCMが流れる。あの作品は面白かったので続編は絶対に見に行こうと2人で話していた。俺が好きだったオススメのお笑い芸人を彼女も好きになってくれた。

 面白い動画も、面白い本も、好きな音楽もなんだって共有した。全部が好きって言ってくれたワケじゃないけど、これは合わないと言われた事すら今は思い出してしまう。


 そもそもこの町には、彼女と暮らす為に来たのだ。

 何をしても、何を見ても、何を聞いても、何を食べても彼女を思い出す。

 全部、全部、全部、彼女と一緒だったのだ。

 彼女の手紙を読んだ事で一気に現実感が押し寄せ、胸が押しつぶされそうになる。

 別れてからこの気持ちに気付くなんて・・・と、ドラマや漫画ではよくあるセリフだが、まさか自分が言う事になるとは・・・先人の言う事はちゃんと聞いておかないとなという自虐で自分を客観的に見てみても、次の瞬間には彼女との思い出を見つけて、また心が苦しくなる。

 何もしたくない、どこにも行きたくない、でも何もしないでも脳裏に浮かぶのは彼女の事だけ。苦しい、他の事を考えたい。


 また朝が来る。仕事を休みたいと会社に連絡を入れた。

 社会人10年目、彼女にフラれたくらいで仕事を休むワケない?はぁ!?バーカ!!こっちは社会人なってから彼女と別れたの初めてなんだよっ!自分がこんなにワケわかんなくなってぐちゃぐちゃになるなんて、自分が一番知らなかったんだよ!

 もう昼夜もわからずカーテンの閉めた部屋でかろうじて冷蔵庫にあるものを食べながら、モノに当たったり叫んだりしていた。

 最近の若い子達が使っているSNSのコンテンツで短い音楽付きの動画を見る。

 俺も彼女も30を越え、おっさんおばさんに片足を突っ込んだ年齢。こういうのは2人で見た事なかったな・・・と。

 ぼーっと見ていると、女の子が2人で踊っている動画で流れているポップな感じの音楽に聞き覚えがあって何度かリピートしてみる。

 何年か前、友人の結婚式の余興で組んだ即席バンドで演奏した曲だ。

 当時、俺以外の余興メンバーは地元で就職していたので、余興の内容は残ったメンツで決めて、ベースの経験があった俺には演奏する曲とスコアだけが伝えられ、何の曲かも知らないままこっちで練習し、地元に帰った時に数回スタジオに入っただけで披露宴で演奏した。

 新郎はびっくりして、顔が真っ赤になって、それでも最高の笑顔で喜んでくれた。

 あれはに何の曲だったんだろう?

 曲名を思い出して、検索してみる。


 スマホの画面の中では制服を着た女子高生5人組バンドが楽しそうに楽器を演奏しているアニメが流れた。



















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