君から、どうぞ。

少覚ハジメ

君から、どうぞ。

 どうしてこうなったのかはよくわからないが、本山中学3Bで、学校祭の出し物を決める時間のこと、自分の席で、坂本公一は隣の篠原飛鳥に手を握られていた。机はくっついているので誰かが下を覗かないかぎり、事が露見することはない。ないといっても公一は顔が熱くなっていたし、もしも赤面していれば不審ではあるし、汗もかきそうな気配がする。

 公一はなるべく頭を動かさないよう、手を握ってきた当の本人である篠原飛鳥を盗み見る。柔らかな栗色のショートボブ、大きめの目、透き通る白い肌。身長は多分平均というところで胸が薄い。スカートは少し短めで細い脚の太ももが半分ほど露出している。普段の少し大人びた印象に変わりは無い。無いことが一層羞恥心を掻き立てる。彼女は公一が自分を見ていることを知ってか知らずか、握った手を少し緩めて、今度は指で弄ぶようにする。 


 公一自身は、あまり異性とは交流がなかったが、篠原飛鳥とは、隣の席になってからわりと話をするようになった。共通の趣味があるわけでも無かったが、不思議と話があった。感性が近いというのが正しいかもしれない。だが、それと今現在手を握られて、指で手のひらをなぞられている理由になると、不明だ。どういうつもりか、いつまで手を握られているのか。逃げたいような、このままでいたいような、相反する気分だった。


 自分の手を握り続ける篠原の心境は、わからない。いったい何を伝えようとしているのか。他人の事はわからない、とあきらめた公一は、自分について考えてみた。手を握られていること、それ自体は嫌ではない。むしろ恥ずかしいことを除けば気分が良いくらいだ。 


 そう言えば、と以前、篠原が調理実習で作ったというクッキーを思い出す。食べきれなかったから、あげる。といわれてありがたく受け取った。食べてみて、と言われたのでお礼をいって、その場で食べたら感想を求められた。あの時、なんていったんだっけ?

 たしか、コーヒーが飲みたくなるね、といった気がする。我ながら何だその感想はと、今にして思う。彼女は紅茶なら淹れたんだけれど、と少し不満顔だった。そもそもあれはクッキーの味について意見を聞かれたのであり、コーヒー云々はかなりズレた答えで、紅茶の話は皮肉ではなかったか。申し訳ない気持ちがわいてくる。


 それから修学旅行。席順で決められた班で行動していたのだが、そうなると当然隣の篠原は同じ班で、彼女はある観光地の、有名な彫像の前で写真を撮りたがった。公一は写真を撮られるのが苦手だったので遠慮しておいた。何で一緒に入らないのよ、と彼女に詰られた気がする。あれは、何であんなに不機嫌になったんだろう?


 ふと、公一気づく。

 クッキーは誉められたかった。

 一緒の写真に入りたかった。


 いやいやいや、と彼は頭をぶんぶん振りたくなる。もちろんそんな奇矯なまねはできないが、いま思いついた事実、というより推測に基づけば、どうやら篠原飛鳥は坂本公一に好意を抱いている、という結論が導き出される。

 そんな都合の良いことがあっていいのか?クッキーにピントハズレの返事を返すような男子、せっかく女子が一緒に写真を撮ろうといってくれたのに、それを断る男子に。


 そして今この状況。むしろ篠原は公一が困るのを見越してこんな暴挙に出ているのではないか?彼女の指がくすぐったくて、恥ずかしくて、そろそろ耐えられそうにない。が、やめてくれと声を出せる状況では無い教室で、右手が空いていること、ノートが開かれていることを見て取っていきなりシャーペンをノートに走らせる。

『恥ずかしい』

 そう書いて篠原の方におしやる。

 ノートを見た篠原飛鳥はへえっという顔をして、公一の耳元で囁いた。

「恥ずかしがって、くれるんだ?」

 そして、でも、と付け加える。なんで恥ずかしいの?

 なぜ恥ずかしいのか?女子相手だから?違う気がした。女子と手を握るのは、たとえばフォークダンスでも恥ずかしい。でもそれは別に誰とでもそうで、今みたいに、こんなに胸がドキドキするほどのことはない。そもそもこの胸のドキドキは何なんだ、と自問するがわからない。

 『そろそろ許して!』ノートに書くと、それを見て、飛鳥が余裕の笑みを浮かべる。

 今度は、別の手で公一の手をつつみこみ、自由になった利き手でノートに書き込む。

『理由を、述べよ』

『恥ずかしくて、ドキドキしてもう逃げたい』

『そうなることに、心当たりは?』

 公一の手が止まる。そしてのろのろと動き出す。

『篠原と手を繋いでいるから…』

『私も、坂本の手を握るとドキドキする。なんでかな?お互いドキドキするって、面白いね?』

 飛鳥が大人の顔をして、公一を覗き込む。挑みかかるような瞳で、尖らせた唇で。


 ああ、と坂本公一は悟る。これがそうなんだ。僕にもとうとうやってきた。意地悪な篠原が、いや、きっとたぶん待ちきれなくなって気づかせてくれた。言わせたいなら、言ってやる。責任は、とってもらわなきゃ。そうしたらたぶん、手を繋ぐことが、今よりもっと素敵になる。


『篠原が好きだから』


『告白されたの、初めてよ』


 そして、ノートは閉じられた。

 



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