第4章 バラ園のフジョシ

第15話

「せい!せい!」

「へー充のやつ、公務員とか目指してんの?まじめだなー」

「うん!なんか給料っは!安定したっ方がっいいんっだって!」

「へー」

「もっと脇を締めろバカ娘!」

「イエッサー!」

 早朝から要は、タマちゃん監督の下、庭で鍛錬をしていた。

 汗を散らせる突きの一つ一つに、タマちゃんからは厳しい叱咤が飛んでくる。

「おい、そこをどけ」

「へいへい」

 掃除機をかけていたアゲハが、慈を掃除機の先で押しながらどける。

「まったく、要の邪魔をするんじゃない」

 昨日から居候となった慈に対し、アゲハは厳しい。

 息子の幼馴染の家に転がり込んできた厚顔さからすれば、当然の態度ともいえるが。

「もー、慈さんのこといじめちゃだめだぞ」

「でもな」

「慈さんだって事情があるんだから」

「……まあ、要が言うんだ。そういうことにしておいてやる」

 じろ、と睨むアゲハの視線を、慈は無視する。

「カカカッ小童どもめ」

「うぉん」

 そんな二人を嗤うタマちゃんを、タロはボールのように咥えた。

「おいっやめろ!」

 初対面でタマちゃんを舐め切っているタロは、おもちゃよろしくタマちゃんを振り回す。

「あああぁぁぁぁったすけろっこむすめっ」

「風呂はいろーぜタマちゃん」

 あぐあぐと嚙まれ、よだれだらけのタマちゃんを要はひっ掴んで連れてゆく。

「あのアホ犬め!いつか俺が直々に犬鍋にしてやる!」

 よだれまみれのタマちゃんを、タロはお座りをして見送った。

 風呂はすでにアゲハによって湯が張られていた。

「タマちゃんは洗うの楽だなー」

「もっと丁寧に洗え!」

 要はガシガシとボディーソープで適当に洗う。

 雑加減はタマちゃんに対しても自分に対しても変わらない。

 適度に日焼けした、健康的な体に纏った汗を流せればそれでいい。

 合計で一分にも満たない速さで済ませ、要は風呂釜に浸かった。

「はー……朝ぶろ最高」

「もう少し熱くしろ。ぬるい」

 ピッピッと風呂の温度を上昇させるタマちゃん。

「やめろよ!兄貴が面倒なんだから!」

「風呂は熱くてなんぼだ!」

 やいのやいのと喧嘩が始まる。ザパンザパンと湯舟が大きく波打った。

 激しい喧嘩だが、タマちゃんの方が一枚上手だった。要がごちんっと風呂のふちに頭を打ち喧嘩はタマちゃんの勝利となる。

「カカカッ俺に勝とうなど四百年早いわ」

「なにおう」

「その程度では俺の力を使いこなせるのか不安だな」

「すぐに追いついてやる!」

「カカカッ」

 鼻息の荒い要に、タマちゃんは愉快そうに笑う。

「お前が戦いの快楽を理解すれば、おのずと体が力を求めるだろうよ」

「なんだそれ!俺は人を殴るのは楽しくねえぞ!」

「まだまだ青いな。俺の力を教え込むというのに、気が思いやられる」

 タマちゃんは要の胸を背もたれに、熱くなった湯を楽しむ。

 体をほてらせた要はそれをつついた。

「俺はこの前のだって、悪いと思ってないんだからな。最初は怪人になっちゃったおっちゃんを助けるためだったけど、泣いてるおっちゃんを殴る気になんてなれないからな」

 要は正しさを主張する。

 ヒーローにあこがれる要と、ただ暴力を好むタマちゃんは根本的に相容れるはずがない。

「知ってはいるが、いや、だからこそ不思議だ」

 タマちゃんはそのデフォルメされた顔をゆがませる。

「暴力を楽しくないというのであれば、楽しくもないものをなぜ鍛える」

「タマちゃんに教えてもらうのも、熱田先生の特訓も楽しいぞ!」

「だが、戦いは、争うことは好きではないという。お前が拳を握るとき、笑みを浮かべたことは一度もない」

「誰かを苦しめて楽しいことってあるのか?俺は悪ふざけは好きだがいじめは嫌いだぞ」

「その点は合わんな。俺は心身を焼き切らすかのような戦いを愛している」

「へー、よくわからんな!」

「分かってもらわねば困る。俺の力を利用してなお、健全な肉体頑強な精神でいられるお前には。お前のような存在には、これからどれだけ探そうと出会えまい」

「おう!俺は俺だ!オールインワンだからな!」

 恐らくオンリーワンだろう。

「あの女のところにいた頃はひどい生活だったぞ。犬、猫、鼠ならまだいい。死体やら昆虫やらにも寄生させられそうになったからな。挙句の果てには俺を分割し始めた」

「犬のタマちゃん、いいな!」

「何がいいのだ。俺は人間だったのだぞ。畜生になる気はない。お前は俺の、人間であった僅かな結晶を保管してもらわねばならんのだから」

「そういえば、昨日充たちがタマちゃんは昔人間だったって言ってたな。どんな人間だったんだ?」

 首をかしげる要に、タマちゃんは笑う。

「カカカッさてな」

「はぐらかすなよぅ」

「はぐらかしてはいない。俺は、己の名も、なぜ力を欲したのかも、ましてやかつてどんな人間だったのかも全て忘れてしまった」

「キオクソーシツってやつか!」

「肉体を持ったお前たちの病とは全く異なる」

 タマちゃんはべちんと要の胸を叩く。

「イドとして、肉体を持たぬ俺は、記憶というものが保てぬ」

「俺もバカだからすぐ忘れるぞ」

「治せんという点ではお前の馬鹿と同じか。俺の消失は止められんし、欠けた俺を戻すこともできん」

「じゃあ今も、タマちゃんはタマちゃんじゃなくなり続けるのか?」

「そうだ。今も、緩やかではあるが少しずつ崩れて抹消されていく。俺が俺でなくなる。俺はそれに恐怖している。その先にあるものは、肉体の死を超越した消滅だ」

 タマちゃんは自身の、角のとれた体、小さな手を見やる。

「今残るものは魂に刻んだ研鑽と、戦いへの渇望のみ。これ以上失う前に、俺は俺を遺さねば、俺が俺でなくなる。小娘、だからこそ、お前には全てを継いでもらわねばなるま「要―!ご飯できたぞー!」

「はーい!」

「ぬおっ」

 要はタマちゃんを抱きかかえザパンッと立ち上がる。

「タマちゃんメシにしよーぜメシメシ!」

「カカカッ。まあいい。なにもかも思い通りにならないこそ楽しいものだ」

 自由奔放な要のたわわな胸に、タマちゃんは体を預けることにした。


「うまそうだなー。嬢ちゃんもいい家に生まれたもんだ」

 キッチンにはトーストの香りが漂っていた。

「妹の健康と安全を守ることは兄の役目だ」

 アゲハは要用のミルクと砂糖たっぷりのカフェオレを淹れる。

 サラダや目玉焼きが並べられ、丁寧に作られた朝食は、二人分。

「オレのは?」

「あるわけないだろ。どうしても腹が減ってるのなら、タマと取り合いでもしろ」

 と、アゲハはタロのご飯皿の横へ設けられた猫用フードを指す。アゲハへは、タマの存在は新種の猫と説明されている。妹の言葉なのでアゲハは納得した。

「しょっぺぇ家だな。酒もこんなのしかねえし」

「それは今夜のビーフシチュー用だ!」

 持ち出された料理用の赤ワインを取り戻す。

「食材まで漁りやがって!いい加減にしろ!本当に、いつまでいるつもりだ!」

 のんきな妹の幼馴染の母親に、アゲハは青筋を立ててさっさと職場を見つけて出て行け、とひりついた空気を醸し出す。

「そう言うなよ」

 しかし慈はのらりくらりと鋭い視線をかわし、一枚のプリントを取り出した。

「まあ、家賃と言っちゃなんだが」

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