第27話 上手くいかなくて当然だ


「ん、疲れた? ちょっと休憩はさむ?」


「あの……すみません。さっきの話、聞こえちゃいました」


 申し訳なさそうな表情だった。


「あはは。私はこんなにいい女なのに。世の中の男どもの見る目がないだけだよ。まったく。嫌になっちゃうね」


 どうにか冗談で返すことができた。そうでもしないと、情けなくて泣いてしまいそうだから。


「本当に、その通りだと思います」


 しかし松崎は、冗談に応じるような口調ではなかった。


 羞恥で顔が赤くなるのを感じた。


 ――ってかさ、例の高校生徒はどうなのよ。


 恵実の発言を思い返されたけれど、慌てて頭から追い出す。


「お、言うねえ。そんなこと言っても授業料は安くならないぞ~」


 あくまでもジョークの一環で、別にさっきのは本音じゃない。そっちだってそうでしょ。そんなふうに、私もまたふざけてみるけれど、松崎は真面目な顔をしたまま、こちらをじっと見据えている。


 心臓の音が大きくなる。脳が警報を発していた。この話をそれ以上続けてはいけない、と。


 さっさと話題を変えてしまおうと思ったが、それよりも早く、松崎が口を開いた。


「俺は、先生は素敵な女性だと思いますよ。上手くいかなかったのはたぶん、相性とか、そういうものだと思います」


 ――向こうだって、私のこと、ただの塾の先生としか思ってないよ。


 最近の高校生は授業で社交辞令でも習うのかな。くだらないことを考えていないと、何か変なことを口走ってしまいそうだった。


「あ、ありがとう。うん。きっとそうだね」


 どこを見ればいいのかわからなくて、机の隅をじっと見つめながら、私は答えた。


「ちなみに、先生はどんな人が好みなんですか?」


 松崎が質問してくる。


「えっ⁉」


 まだ続いてたの、この話。いい感じで終わった雰囲気だったじゃん。


 ってか、えっと……それって、好きな男性のタイプってことだよね。そう確認しそうになったけど、滑稽なので思いとどまる。話題的にもそういう意味で間違いないだろう。


 小学生のときから見てきた生徒と、こんな話をするようになるなんて思ってもいなかった。変な感じだ。なんて、しみじみしている場合じゃない。


「別に、深い意味はないんです。ちょっと気になっただけで」


 松崎の方もしどろもどろになっている。なら言わなければいいのに、とも思うが、彼に意外とテンパり癖があることも知っていた。


 そして、私ももれなくテンパっていた。


 えっと、好きな人……。


 優しい人、などという答えが許されるのは小学生までだろう。年収が高い人、というのも、なんだか違う。大人の醜さは、高校生はまだ知らなくてもいい。私の恋愛偏差値の低さが憎かった。結局のところ、自分で考えて答えるしかなく。


「えーっと……頭のいい人かな。少なくとも、私よりも頭のいい人が好き……だと思う」


 その場しのぎで答えたにしては、それなりにまともな回答ではなかろうか。


 そして、言葉にしてから、もしかすると自分の好きなタイプは聡明な人なのかもしれないな……と気づいた。


 はぐらかすという選択肢があったことに、言い終わってから気づく。


 今までも、生徒の恋バナに巻き込まれることがしばしばあったけれど、ずっとそうしてきた。それができないくらいに、今の私には余裕がなかった。


「先生よりも頭のいい人なんて、なかなかいないと思いますよ。もっと世の中をよく見てください」


 これは文句を言われているのだろうか。それとも遠回しに褒められているのか。判然としないけれど、ここはプラスに受け取っておこうと思う。


「そんなことないって。私より頭がいい人なんてそこら中にいるよ。まあ、私はそこそこ天才だから、少ないのは事実だけどね」


 ちょっぴり調子に乗った答えを返す。いつものペースを取り戻しつつあった。


「でも、そうすると、先生はなかなか恋愛も結婚もできないですね」


 松崎が言った。なんでちょっと嬉しそうなんだ、この野郎。


「私は大器晩成型なのでこれからです~」


 実際、松崎の言う通りだった。今までいい感じになった男性は、ことごとく短絡的で、行動に理性が伴っていなかった。……いや、これただ単に私の男運がないだけじゃない?


 その点、水谷さんは理性的で思慮深い人だった。


 そこまで考えて、私は気づいた。


 今まで見てきた男性と比較して、水谷さんのことを好きになっていたのではないか、と。


 そこに思い至ると、とても申し訳なくなってくる。そういうところを水谷さんに見抜かれていたような気もする。というか、私はしっかり好意を口にしてなかったし……。そもそも本当に、私は水谷さんに好意を持っていたのだろうか、というところさえ怪しくなってくる。


 もしかすると、水谷さんと上手くいかなかったことに対して、ショックを受けているわけではないのかもしれない。


 私が否定されているような気がして、悲しくなっているだけだったのだ。


 最初からその程度だった。水谷さんもきっと、それに気づいていた。


 この人なら大丈夫そうだ。優しくて誠実そうで、今までいい感じの雰囲気になった男とは違う。


 私は相対的に、そして消極的に、水谷さんのことを好きになっていた。


 絶対的に、そして積極的に、この人じゃなきゃダメだ、この人のことが好きだと、そんなふうに思える恋ではなかった。


 そんなの、上手くいかなくて当然だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る