第20話 死後五、六時間の塾長


「ひと通り楽しそうに喋ったあと、翌日に提出する宿題の話題になったんだ」


「へぇ。じゃあ、まどちゃんと同じ高校なんですね」


「その男は宿題が終わってなかったらしく、まどに答えを写させてもらおうとしていたんだ。『明日の二時間目の宿題なんだけどぉ』という感じで、語尾を伸ばして媚びるようにあいつは言っていたんだ。チャラチャラしやがって!」


 いや、そんな細かいところまで再現しなくてもいいから。


「それはよくないですね」


 と言いつつも、高校生なんだし、課題を写させてもらうくらいはみんなやっていることだ。もちろん、泉澤だってわかっているはず。もはやその男を糾弾できればなんでもいいらしい。


「そうだろう。あんなだらしない男は、まどにふさわしくない!」


「しっかりした男だったらいいんですか?」


「いいわけないだろう!」


 泉澤はテーブルを再度、バン、と叩く。


 ですよね。


 とにかくこの父親は、娘に彼氏ができるのが許せないらしい。私が思っていた以上に、娘のことが大切なようだ。ちょっと、いや、かなりいきすぎているけれど。


 ……そういえば、まどちゃんが通っている高校は県内でも有数の進学校で、共学ではあるが男女別クラスの学級編成となっている。もしかすると泉澤は、このシステムがなかったら共学への進学を許さなかったかもしれない、とすら思ってしまう。


「それで、塾長はどうしたいんですか? もし、その男が彼氏だったとしたら、まどちゃんと別れさせたいんですか?」


「いや、それは……」


「そうですよね。そんなことをしたら、まどちゃんは悲しみますもんね。それどころか、嫌われるかもしれない」


「……」


 さすがにその辺りは、泉澤もわかっているらしい。


「一度、まどちゃんと話し合ってみたらどうですか?」


「……そうするよ」


 彼は力なくうなずいた。


 この父親は早めに子離れした方がいいと思う。


 本人のためにも、何より、まどちゃんのためにも。




 まどちゃんに彼氏ができたかもしれない、という話を泉澤から聞いた翌日。金曜日の三時間目の松崎柊の授業。


「よし。正解。すごいじゃん!」


 有名私立の入試問題を解かせたが、思ったより早い時間で解答を導いた。


「偶然、この前やった問題と似てたので」


 控えめなコメント。でも、それくらいがちょうどいいのかもしれない。過度な自信は油断の元になる。慎重さは大事だ。


「じゃあ、ちょっと休憩入れようか」


「はい。ところで、さっきから気になってたんですけど、塾長はどうしたんですか?」


 泉澤は、いつも通りパソコンで何か作業をしているのだが、普段とは少し様子が違う。この世のすべてに絶望しきった顔をしている。心なしか、姿勢も悪い。二割増しで猫背になっている。いつもはにこにこしていることもあって、今日の落ち込みようが強調されている。


「あー、まあ、家族の問題、とだけ言っておこうかな」


「えっ、大変じゃないですか! 仕事してる場合じゃないですよ!」


 この前の恵実の話もあってか、松崎は夫婦間の問題だと思っているようだった。


「いや。奥さんとの仲は問題ないの」


「じゃあ、娘さんですか」


「そう。まどちゃんのこと」


 泉澤は私の助言通り、まどちゃんと話をしたらしい。その結果が、負のオーラをまとった今の姿だ。


 私が今日、出勤して授業の準備をしていると、泉澤も少し遅れて出勤してきた。そのときにはすでに、彼の表情は死んでいた。魂の抜けた顔、という比喩がぴったりだと思った。死後五、六時間、といったところか。


「どうしたんですか?」


 私がそう尋ねると、泉澤は彼らしくない悲壮な声で、ぼそぼそと答えた。


「まどに、嘘をつかれたんだ……」


「どういうことですか?」


 心配だったので、私は手を止めて彼の話を聞く体勢に入る。ちなみに心配だったのは塾長のことではなく、彼の授業を受ける生徒たちだ。今日は彼の担当する授業はないものの、明日以降もこの調子だと困る。


 泉澤の話をまとめるとこうなる。


 今日の朝、泉澤は意を決して、まどちゃんに質問をしてみたらしい。


「先週の休日は誰と遊びに行っていたのか」と。


 その質問に対し、まどちゃんは「友達」と、一言だけ答えた。


 そこでやめておけばいいのに、彼は「男の子か?」と聞いたらしい。


 するとまどちゃんは「ううん。同じクラスの女の子」と答えたという。ためらう様子もなく、すらすらと、まるで用意していたように。


「何をしてたんだ?」


「普通にぶらぶらしてただけだよ。あ、もう出ないと間に合わないから行くね」


 まどちゃんはそう言って家を出て行った。


 その様子が、疎んでいるように感じられた、と本人は言うが、高校生にもなってプライベートのことをずけずけ聞かれるのは、あまり心地よくはないだろう。当然といえば当然だ。


 泉澤はショックで、その場から三十分くらい動けなくなってしまったらしい。というのはさすがに話を盛っているとは思……いや、あり得るな。


「ってわけで、今あんな感じになってるみたい」


「なるほど」


 私の話を聞いた松崎は苦笑いで応じた。


 生徒に話すのはちょっとどうかと思ったが、松崎なら大丈夫だろう。小声で話したし、泉澤本人はあんな様子だし、たぶんバレていない。


「まったく。高校生なんだから、恋愛だってするし、親に嘘もつくでしょ。ねえ」


 と、現役高校生の松崎に同意を求める。


「まあ、そうですね」


 柊も恋愛とかするの? と口から出かかったけれど、慌てて飲み込んだ。


 あれ……私、どうしてそんな質問をしたくなったのだろう。話の流れだと思うけど……。じゃあ、慌てて質問をするのを止めたのは、どうして?


 などと、一人で考えていると、


「でも、少し違和感があるような気もします」


 柊が呟くように発言した。


 私の思考は中断される。


「違和感?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る